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ポストクラシカルというジャンル

超絶技巧に飽きました

私が長い間親しんできた音楽のジャンルはいわゆるクラシック音楽でした。
クラシック音楽の中でも特にアクロバットなピアノの楽曲を好んで練習してきました。

それがここ数年、超絶技巧な曲に飽きました。
今使っている電子ピアノでは弾きにくいといことと、激しい打鍵音が近所迷惑になり兼ねない(マンションなので・・・)ことから、静かな曲を自然と選ぶようになったのかもしれません。

超絶技巧で有名どころのフランツ・リストも、名人芸をひけらかす派手な曲から静かな曲風に変わっていきましたが、なんとなく分かる気もします。

音が多く、テンポは速く、重厚かつ煌びやか、そんなテンコモリモリの楽曲に飽きてしまってから、しばらくの間クラシック音楽を聴かなくなり、久石譲や坂本龍一などの曲を聴いたり、EDMなどまったく違うジャンルの曲も聴くようになりました。

それを可能としたのがamazon musicのサブスクです。定額で様々なジャンルに挑戦できるのはとても良いサービスだと思います。しかも最近の音質はストリーミングでありながらCDを超えたこともあり、私の中でCDは過去の遺物となりました。これまでにたくさん買ってきたCDは押し入れの中でひっそりと眠っています。


そんな便利で素晴らしいamazon musicですが、私はamazon musicなどのサービスが提供するリコメンド機能に対してはやや懐疑的な考え方をしておりました。つまり、自分が聞いた曲に似た曲をお勧めしてくれる一方で、聞いたことが無い曲には全く触れることがないといったAIが持つ性質です。

AIがお勧めした曲なんて大した曲はないはず。私が聞きたいのは私が決めるんだ!

とまぁ、考え方も古くなってきたようですが、「自分が聞きたい曲は自分が決める」という考え自体も、押し入れのCDと一緒にしまっておいた方が良いのかもしれません。実はこのリコメンド機能で素晴らしい出会いがありましたので、今回の記事を書かせていただきました。


始まりはアイスランドの作曲家

さて、私が大好きなSpitfireAudioではアーティストとコラボして音源を販売しております。
多くの音源の中でひときわ私の感性に響いたのがアイスランドの作曲家Ólafur Arnaldsが手掛けた音源とその楽曲でした。

SpitfireAudioのサイトで聞いたデモミュージックが、なんとも静謐でありながら美しい曲です。私は早速amazon musicで彼の作品を検索して聞いてみました。

それからしばらく彼の曲を聴いていると、amazon musicが色んな作曲家をお勧めしてくるではありませんか。そのどれも私が聞いた事のない作曲家。それぞれが癒しと静けさに満ちた素晴らしい曲の数々でした。

どれもこれも、好き、好きな曲!

ピアノは優しく包み込むようなフェルトピアノを使ったり、弦楽器が奏でる息の長い旋律は・・・これぞまさに私が求めていた曲だったのです!

amazon musicのAIが実力を発揮していたようです。
そのお勧めで出会ったのがMax RichterJóhann Jóhannssonといった作曲家達でした。Ólafur ArnaldsとJóhann Jóhannssonはアイスランド出身です。何でしょう、あの冷涼な土地がこのような音楽性を育むのでしょうか??

Max RichterとJóhann Jóhannssonはクラシック音楽の老舗ともいえるドイツグラモフォンのレーベルから出されているけれども、この曲のジャンルはいったい何だろう?クラシック?それとも・・・

そういう思いから調べてみると、それが「ポストクラシカル」というジャンルだったのです。


ポストクラシカルとは

ポストクラシカル

ポストクラシカルとはMax Richterが言い始めたジャンルだということ。
どのようなジャンルかというと、クラシック音楽とエレクトロニカが合わさってアンビエントな感じでもあり、現代的であり、ヒーリング的でもあり、ただ決定的な定義はないようなジャンルです。

Max Richterはアカデミックなクラシックを学んできた作曲家ですが、Ólafur ArnaldsやJóhann Jóhannssonについてはクラシック音楽畑ではなくハードコアバンドやメタルバンド、パンクロックといった全くイメージとは異なる音楽を経験しているとのことです。

この流れ、つまりハードにロックしていた人が静かな癒しに辿り着くという流れは・・・冒頭に述べたリストも同じですね。どうやら私もその流れに逆らってはいないのかもしれません。(その逆はいるのだろうか??)

wikiにもポストクラシカルのページはまだ存在しておりません。ここ10年くらいで出てきたジャンルのようです。映像作品にとても合う音楽で、感情的な場面や心情を映し出すのにピッタリに思います。

私の解釈としては、がちがちのクラシック音楽的な曲ではなく、クラシック音楽で使われる弦楽器やピアノによる静かな癒しの曲といったイメージです・・・が、やはりなかなか一言では表せませんので、私のイメージを絵に描いてみました!私のイメージは、青く凛とした中に佇む静けさと感情の波が揺らぎ流れる様子です。

ですが、実際の曲を聴いて頂いた方が早いですので上述の3名の曲を紹介します。 

↑弦楽器の旋律が美しいですね・・・映像は解釈が難しいですが、、、哲学的な映像の雰囲気にも合うということでしょうか。ほのかな温かさと冷たさの間を揺れ動く曲の流れが非常に好みです。

↑こちらのyoutube動画にはいくつかの曲が含まれています。ピアノと弦楽器との演奏も良いですが、電子的な音とピアノ、弦楽器の調和も美しいですね。こんな風に生の弦楽器と演奏できたらとても幸せですね。。。

↑映像が前衛的というか、こちらの映像も解釈は難しいのですが、音楽はとてもシンプルに、ただただ美しいです。

上の曲と並べるのも恐縮ですが、私の曲は・・・

・・・これもポストクラシカルなのか??
上記の私の作品はAudiostockに登録しており、いくつか定額ダウンロードでご利用いただいてますので、こうしたジャンルについても一定のニーズはあるのだと思います。

この曲についてもポストクラシカルを作ろう!と思って作ったわけではありませんが、ジャンルに捕らわれることなく、これからも好きな曲を作っていきたいと思います。

せっかくなので、私のnoteプロフィールに「ポストクラシック」というキーワードを加えさせていただこうと思います。癒しの曲といっても幅が広いので・・・ポストクラシカルな癒しの曲ということにしました。

新しさを求めて

長くクラシック音楽を聴いてきた私が”ポスト”クラシックという音楽に最近まで出会う事が無かったのは、自分が聞きたい曲しか聞かないという閉じた指向の中で円環していたからだと思います。

考えてみると、クラシックの音楽では当たり前ですが、新曲が出ることはまずありません。未発見の曲が発掘されたという以外は、基本的に演奏者のバリエーションが増えていくだけです。

聴きたい曲は自分の気分で選曲しており、AIが進めてくる曲であってもマニアックな作曲家でなければ殆ど知らない曲はないような状況です。だから新しい曲を聴こうというモチベーションに繋がらなかったのです。

これは一種の飽きであって、そのため私は新しさを求めていたのかもしれません。

クラシック音楽の巨匠達もまさか自分の作品がクラシック(古典)と呼ばれるとは思ってもいなかったでしょうが、彼らもその時代の中で新しさを飽くことなく求めていたはずですよね。

限られた範囲の中で閉じていると、源流がどれだけに清らかな流れであったとしても、必ず淀みが生じてきます。流れとは、新陳代謝であり、生み出すことに必須であると感じています。作品を生み出し続ける以上、私もこの流れに身を任せたいと思います。

そんなことで最近、閉じていた水門が開いたような感じがしています。


ここまで長々と読んでいただきまして、ありがとうございました。

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