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【“適応障害”と診断されるまで⑥】周りへの相談~前半 社外編~

◇発症〜完治まで◇
2015年4月 新卒入社&激務プロジェクトに配属
      ↑イマココ
2016年5月 適応障害の診断&休職
2016年8月 退職
2016年9月 転職
2016年12月頃 心療内科の通院から卒業
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こんにちは、はりねずみです。
心療内科に行く前に周りにどう相談してきたか、後半編です!

番外編的な感じなので、読み飛ばしてもらっても大丈夫です◎
前半よりはこっちのほうがライトなはずです・・・!

大学時代の友人たち

大学卒業後すぐだったので、大学時代の友人たちとも時間があるときは割と気軽に会っていました。それぞれの近況報告などもしていく中で、それぞれにしんどいこともあるな~と思いつつ、やっぱり私は断トツで働いていました。

周りも、「それ、やばくない!?」と心配してくれていて、私も「やばいよね」と話していました。最初のうちは冗談っぽく言えていても、どんどん疲弊していく姿に真剣に心配してくれるように。でも、心身がすり減っている感覚になっていくにつれて、徐々に顔を出す機会も少なくなっていきました。

別会社ですし、何かしてくれるというわけではないですが、仕事以外の時間を過ごせることは気分転換にもなって本当に有難いことでした。

彼氏

当時、大学時代から付き合っていた彼氏がいました。
同い年でしたが、海外に行くため1年休学していたので1年目の時は、まだ大学生。大学は地方、会社は都心だったので距離が離れていましたが、彼が就活の時などは家に泊まりに来たりしていました。

しんどいという話をたくさん聞いてもらったり、勤怠で正確な労働時間が残せない分、彼に仕事が終わるたびに「終わったよ~」とラインを送ることでちょっと記録として残るといいな、と思ったりしていました。

よく覚えているのは、彼が外へ連れ出した方がいいと思ってくれたのか、ちょっと遠出して観光に行った時です。

いつもなら「うきうき、楽しい♪」となるはずの旅行なのに、すぐに「疲れた」と思ってしまい、きれいな景色を見ても「なんか、感情がわかない」と思ってボーっとしてしまっていました。

”仕事だとしんどい、考えられない、頭が働かない”だと思っていたのに、”仕事から離れた場所でも疲れてしまう、感情が弱まっている”ことに気が付いて衝撃でした。しかも、大好きな人と一緒にいるのに。

これは非日常に連れ出してもらったからこそ、気が付けたことだな、と思います。自分がいよいよおかしくなってきている、と客観視することができました。彼には適応診断の診断が下ってからも、かなり支えてもらいました。

両親

両親とは仲が良かったですが、大学進学と共に1人暮らしをしていたため、特に相談をすることはありませんでした。

私は3人兄弟の長女で、出来るだけ色んな心配を掛けたくない気持ちが強かったですし、進学も就職も自分で決めて進めてきたので、正直相談の仕方もわからなかったかもしれません。聞かれれば「仕事大変なんだよね」と答えていたかとは思いますが、私の場合、ガッツリ相談しようという発想にはなりませんでした。

適応障害の診断が下った後は、実家にもしばらくお世話になります。

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◎本日のつぶやき◎
昨日に引き続き、本日も2本立ての更新です!

最終的に助けてもらったのは心療内科でしたが、「周りに話を聞いてもらえる人がいる」その存在には支えられていました。人に恵まれている。そう感じられたからこそ、”もっとよく生きたい”と思えました。感謝です。

人の心は見えないので、相談受ける側も難しいですよね。
私は追い詰められてしんどそうだと思ったら、友人にも心療内科の受診を勧めます。(実際に何度か勧めたこともあります。)

私は心療内科卒業後、また通う機会は今のところ訪れていません。ただ、風邪などと同じように、いざというときに”自分には心療内科のかかりつけ医がいる”という安心感は大きいなあと個人的に感じています^ω^
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*心療内科は怖いところじゃない*
*心がおかしいと感じたら受診してみてください*

もし質問などあれば、体験談でまだ記載のない
先のことでも大丈夫なので
コメントなどでぜひ聞いてくださいね。

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