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【“適応障害”で休職~休息編~③】とにかく休んだ1か月

◇発症〜完治まで◇
2015年4月 新卒入社&激務プロジェクトに配属
2016年5月 適応障害の診断&休職
      ↑イマココ
2016年8月 退職
2016年9月 転職
2016年12月頃 心療内科の通院から卒業
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こんにちは、はりねずみです。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!

人事と休職の各種手続きも終えて、いよいよ何の予定もない休み期間です。

彼の部屋への居候と気持ちの焦り

まず1~2週間ほどだったかな?近くに住む彼の部屋へ居候をさせてもらいました。とにかく私はよく寝ていたように思います。でも、夜になると寝れなくなったり。この頃のことはあんまりはっきりと覚えていません・・・

彼は仕事をしていたので、夜ご飯くらいは作ろうとスーパーに行ったり、必要なものを自分の家に取りに帰ったり。彼の部屋は私の会社から少し離れていて近くに住んでいる社員の人はいなかったので、とても安心して過ごすことができました。それに、夜ご飯を作る・洗濯物をするという些細な家事でも何かちょっとやることがあることは、「もう何もできないんじゃないか」と焦る心を少し沈めてくれました。

今まで激務をこなしていて、急にできた休み。最初は仕事のことを考えないようにすること、自分を守ることに精一杯でしたが、仕事から自分を全く切り離したことによって1週間ほどでも徐々に他のことを考える余裕が出てきて、そうすると”焦り”が出てきました。

この間に何か、役に立つ資格の勉強でもした方がいいのではないか、もっと本を読んだりした方が、この経験を何かに生かせるようにしたい・・・

働き始めて頑張っている彼を横目で見ていたので、それもあるかもしれません。でも、何かを頑張って、できなくて落ち込むようなことはしたくない。そう思って”今は休む時”と割り切って自分に言い聞かせていました。

結局その時にやっていたことといえば、

・とにかく寝る、寝れなくても横になって休む
・スーパーに行く(歩きだったのでいい運動になった)
・1人暮らしの家にたまに帰って荷物を取りにいく
(自転車だったので、これもいい運動・気分転換になった)
・不安になったら気持ちを文字に書き起こしてみる
・楽器をちょっとやり始める

くらいだったように思います。

何か気持ちが揺らいだ時に文字に書き起こすことは、元々習慣としてあったので毎日と決めることはなく、考えがまとまらなかったりするときにスケジュール帳にあるメモページへ今の気持ちを記載をしていました。

彼も気にして、散歩がてら近くのお店に一緒に行ったり、当時ポケモンGOが流行っていたので一緒にやったり、近くの銭湯に行ったり。無理のない範囲で外に連れ出してくれました。あと、おすすめの漫才とかを教えてもらって寝れない夜はその漫才を見て笑うことで、どんよりした気持ちが一時的にでも晴れたりしました。

実家へ帰る

マスクを外して外に出たり、少しずつ笑えたりするようになった頃、もう長距離移動も大丈夫だなと思い新幹線で実家に帰りました。

そこから、2~3週間は実家にいたと思いますが、都会と違い車がないとどこにも出かけられない状況で、それこそ寝たりテレビを見たり、たまに楽器をやったり、天気のいい日は散歩に出かけたり、とにかくのんびり過ごしました。

この頃には、焦りみたいなものがなくなっていて、ひたすらのんびりしていたように思います。ここにいれば、絶対に社員に会うことはないですし、仕事から場所としても大きく離れたことで心穏やかになれました。

そうして、休職してから穏やかに1か月がたっていき、心療内科に受診すべく実家を出て彼の部屋へ戻りました。

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◎本日のつぶやき◎
この1か月は、穏やかに過ぎていった記憶しかありません。当時はきっと、もっと葛藤があったんじゃないかなと思いますが、”とにかく休む”に専念した自分をほめてあげたいです。

「努力するのがいいこと」「頑張るのがいいこと」「常に頑張っているのが自分だ」と思っている人ほど”頑張らないでいる”、”休む”って勇気がいる選択肢ですよね。
前向きに”とにかく休む”選択をされた方、その勇気と決断に拍手です!

生きてるだけで花丸。今まで周りに合わせて頑張っていた分、その時の自分の心や脳に従って、自分に心地よいことをして過ごしてくださいね。
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*心療内科は怖いところじゃない*
*心がおかしいと感じたら受診してみてください*

もし質問などあれば、体験談でまだ記載のない
先のことでも大丈夫なので
コメントなどでぜひ聞いてくださいね。

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