『いいものに対する憧れ』から見えたもの

『いいものに対する憧れ』から見えたもの


 石田衣良の大人の放課後ラジオ第36回、「本の読み方、選び方」の終盤『いいものに対する憧れ』というトークをしていた。それを聴いていて、私自身のなかでずっと引っかかってた「なにか」が見えた気がした。
 番組を書き起こして、その「なにか」について考え、思ったこと書いていきます。

(有料会員部分になりますので、提供元のキクタス株式会社さんに事前許可を頂いて書いています。)



 いいものへの憧れに対して「例えば文化的なことに関してもそうだよね。素晴らしい音楽とか素晴らしい芸術とか本、小説とかっていうものの憧れがなくなっちゃったもんね。で、音楽はほんとにつまらなくった。映画は一時期の力がなくなってしまった。みんなアメコミになった。で、正直今アメリカの小説も面白くないのよ」


 と、石田衣良さんが話していた。最近の音楽はつまらなくったと音楽オタクの私もそう思う。イヤホン・ヘッドホンの向こう側に広がる空間(音世界)をふんだんに使ったりしている曲や、凝った音作りをしていてグルーヴを感じることができる曲はチャートの上位から消えてしまった。

 イントロ無しでいきなりボーカルから入る曲、再生時間の短い曲、込み入ってない単純な曲が増えた。手厳しいことを言えば、薄っぺらい曲ばかりだ。私自身、それがきっかけで自然と身体が揺れたくなるような、込み入ったグルーヴ感のある曲を探し求めて、昔の洋楽を聴き始めたりサブスクを掘ったりしている。



 そのあとに衣良さんは「リアルなものはいいしSNSもいいんだけど、やっぱりどこか心のなかに「こういうことは本当に大事だよね」って憧れるなにかを、自分の中に神様みたいなものを持っていないと、どんどん緩んじゃうと思う」と続けていた。

 「こういうことは本当に大事だよね」って憧れるもの。私の場合いい音で音楽を聴くこと。音楽を聴くのは好きという人は大勢いるが、いい音で音楽を聴くのって大事という人はごっそり減ってしまうだろう。
 3万円のヘッドホンを買ったと話すと、職場の同僚や同世代の美容師さんは驚きと同時に引いていた。
(ちなみに年末年始には3万円近く使ってにレコードを聴くために古いプリメインアンプとレコードプレーヤーを買っていたりもする。)



 そして、私の中でずっと引っかかっていた「なにか」とはおそらく「意味合いの違う『大人』という単語」ではないかと思った。

 「大人」という単語は一般的には二十歳を過ぎた人を指すもの。でも、衣良さんだったり、私の母親だったり、主に50歳を過ぎた人達はたまにそれとは違う意味で『大人』という言葉を使うことがある気がする。
(例えば大人時間、大人へ向けた音楽。今思えば大人の放課後ラジオもそうかもしれない。)

 今までは正体がわからず「言葉ではうまく説明できないなにか」としていたが、この話をきいていて少しだけそれが見えた気がした。


 『大人』に、私は強く心焦がれるものを感じている。同時に、もう届くことなんてないような、埋まることのない溝みたいな物も感じている。
 それでも、追いかけ続けていたい。50歳を過ぎた人たちの『大人』なものの話は、きいているとあっという間に時間がすぎるぐらい、楽しいものだから。



★今回取り上げた石田衣良の大人の放課後ラジオのリンクはこちら


考えること、文字を綴ること#01

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