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茶道 初級1日目

こんにちは。

茶道教室に行ってきたので、習ったことを記録として残しておこうと思います。

茶道をされた事がない方も、簡単な頂き方を書きますので、参考になるかと思います。

では、どこで茶道を習っているか。

「茶論」というお店で、中川政七商店さんの関係の方?がはじめられたお店だそうです。

現在、奈良と東京、そして大阪にあります。

「茶論」のコンセプトとしては、お茶をたてる事の上達をひたすら目指す、という事ではなく、

技術、知識、おもてなしの心、この3点をバランス良く磨こうというもの。

なので、茶道に関する知識のお話がとても詳しく聞けます。おもしろいです。

今回は、まず世界のお茶の歴史から日本を振り返ります。

お茶の文化が根付いているところといえば、主に、中国、イギリス、日本。

ではそれぞれの特徴と背景。

中国は、お茶を飲みはじめた世界最初の国と言われており、その種類は200種類以上とも言われています。

それは、中国でお茶の飲み方が進化し続けていった為で、色や香りへのこだわりが強い傾向にあります。

イギリスは、アフタヌーンティー文化に代表されるように、貴族のもてなしの側面が強い事が特徴。

そのため、お茶に限らず、お菓子にも重きが置かれて行きました。ティータワーなどもイギリス特有のものですが、狭いテーブルにたくさんの人をもてなす為には必要だったのでしょう。

そして、日本。日本はお茶、お菓子に留まらず空間全てを設えてもてなします。

では、その背景を見ていきます。

始まりは、平安時代。諸説ありますが、この頃初めて日本に中国からお茶が持ってこられたと言われています。

持ってきた人は、遣唐使として唐に行っていた最澄。

ただ、この頃のお茶は団茶と呼ばれるもので、お茶を色んな形に固めて乾燥させておき、煮立たせて飲むものでした。

それが、唐との気候の違いなどの理由で、日本で飲むと美味しくなかったそうで流行る事はありませんでした。

それが、時代を経て鎌倉時代。お茶のブームが来ます。栄西というお坊さんが宋からお茶の種を持って帰ってきます。

それがブームになった理由は「薬効」。象徴的な話として「吾妻鏡」という鎌倉時代の歴史書の記述。二日酔いで苦しんでいた将軍実朝へ、栄西がお茶を献上し、二日酔いが治まったそう。

また、飲み方も現代の飲み方に近くなっており、世間でも飲まれるようになりました。

薬としてのお茶から次は寄り合いの場としてお茶が使われるようになります。

最も象徴的なものは「闘茶」。本茶と非茶を当てると言うもので、本茶は京都栂尾のお茶。非茶はそれ以外。なぜ栂尾かと言うと栄西が持って帰ってきたお茶を、栂尾の明恵上人に送った事が始まりです。

ただ、闘茶は賭博の側面が暴走してしまい、生活が崩壊してしまう人が増えた為に禁止されます。

そこから、室町時代に移ります。ここで文化的には天才だと言われた足利義政が登場します。銀閣寺に代表されるように、お茶をいただくだけでなく、建物や庭、画、花など様々なものを合わせてもてなすようになります。

そして、村田珠光や武野紹鴎を経て千利休が禅のわびさびを取り入れた茶道を完成させました。

茶道が完成するまでの歴史を見てみると、華道や書道、建築などについても興味が湧いてきます。

お茶碗や茶筅も、それぞれ意匠が凝っており面白いです。

さて、お茶のいただき方について。

一番よく分からないのが、お茶碗の扱い方ではないでしょうか。

ですが、ポイントはひとつだけ。これさえ覚えておけば大丈夫です。

それは「お茶碗の正面」は大切だからこそ扱い。

お茶碗が自分の前に来た時は、必ず正面(とされる面)が自分に向いています。

ですが、正面から飲むことは失礼に当たる為、時計回りに2回回します。(2回で90度動けば良い)

そして、隣の人へ渡す時は、正面が手前に見えるように渡したい為に、先程とは反対に2回回します。(この時も2回で90度)

そして、お茶碗を亭主に返す時。亭主は反対側に座っている為、正面が自分に向いた状態に戻して、さらに180度回さなければなりません。

ですが、この時も2回で180度時計回りに回すだけ。

これだけです。意外とシンプルでした。その他にも小さな手順はありますが、とりあえずお茶を出された時の飲み方は理解できました。

次は、何を学ぶのか楽しみです。

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