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何を考えながら生きるか

最近、よく聞く「今は答えのない時代」や「VUCA:予測困難な時代」という表現があるが、本当だろうかと考える。これまでに明確な答えがある時代があったのだろうかと考える。未来が予測可能だったのか疑問に思う。50・60歳の親世代を見ていると、「答えがあった」というより、「全体で答えを信じて答えとしていた」という表現が適切ではないかと感じる。大企業への就職や寿退社を皆んなで答えと信じていただけではないか。いつも人の生活には答えなんてなかったと思い始めた。
親世代は、日本が経済的に成長していて、終身雇用などの「答えを答えとして信じる」ための後ろ支えがあったと思うが、今はそれが弱いと思う。現代の人は、そういった後ろ支えなしに、何を考えながら生きていくのがいいのか気になった。

フランソワ・トリュフォー『野生の少年』

トリュフォーの『野生の少年』を見ると、人間がいかに社会によって人間として成長させられているかに気づく。多分、私が森の中で育てば、言葉はもちろん、フォークとナイフの使い方、洗濯という文化について全く知らないであろう。
良いとされる生活も社会によって自然と刷り込まれているのである。

最近、力が弱くなった社会では、皆んなが同じ答えを共有するのは難しいと思うので、それぞれが、自分たちでゲームを決めて生活するのはどうかと考える。或いは、自分の人生を一つの個別プロジェクトとして生活するのはどうかと思う。
社会的な後ろ支えはないが、「生きていさえすればいい」という考えを頼りにすればいいと思う。私もこれを実践してみようと思い、大きな会社を辞めて、小さなNPOに転職を決めた。子ども支援を人生のゲームにしてみようと思った。


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