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柔道整復師、柔道整復術って何?②

前回、柔道整復師についてお話させて頂きました。

今回は、柔道整復師が施術する「柔道整復術」について

骨折や脱臼、筋肉の損傷による挫傷や捻挫に対して薬を使わず非観血療法(簡単にいうとオペをしない)の手技を用いて自然治癒を高める施術のことを指します。

よく混同されるのが按摩マッサージなのですが、実のところマッサージと呼ばれる名称は「按摩マッサージ師」と呼ばれるこちらも国家資格者のみが許される施術法であり、巷にあふれるリラクゼーション施設で「マッサージ」という名称は本来按摩マッサージ師が在籍していないと使用することはできません。

最近までは取り締まりも緩く、よく目にすることが多かったためマッサージと呼ばれる手技は広く認知されていますが

按摩マッサージ師が施術する場合のみ「マッサージ」という医療類似行為で

素人が施術する場合は「もみほぐし」「こりほぐし」などと慰安的な表記をするのが適切です。

話が少しそれましたが、按摩マッサージは血流改善を目的とした主に筋肉に施す手技であるのに対して、柔道整復術は脱臼・骨折・捻挫・打撲などいわゆる急なケガに施す整復法や固定法、リハビリのような手技であることが大きな違いです。

この柔道整復術の歴史を辿ると、柔道の祖である柔術にいきつきます

柔術は紀元前より前の古代より神事や祭事としてあった相撲や、平安時代に発祥した武芸の組討を母体とし戦国時代に古武術として発展するわけですがこの柔術には「殺法」「活法」があり以下のように体系化されていきます。

殺法・・・競技化、スポーツ化され柔道や合気道などに活かされる

活法・・・中国医学や蘭学医学を取り入れ昇華→柔道整復術の始まり  (江戸末期のころ)

歴史をさらに紐解いていくと元々、わが国の医療は古来、経験によるもの、祈祷や呪術による伝統的、民族的な医療しかなく、疫病などの病は「気」や「鬼」が災いしているという観念も根強くケガに対して適切な治療を施せずにいました。そこで国家事業として遣唐使派遣の際、飛鳥~奈良~平安時代の一行に医学留学生を加え積極的に諸外国、特に中国からの医療技術の導入に努めていたようです。

その国家事業の功績もあり奈良時代の「大宝律令」(701年)には外傷を専門とする天皇家に仕える官職のことが記述されおり、「古事記」(708年)にも医療の記録が記述されています。また、「養老律令」(718年)の中に医療、医療関係者の養成および薬園等の管理を行った典薬寮の記載の中に、「長官は、医師、針師、按摩師、呪禁師で構成されている」とありこの「按摩官制」に主な職務は、現代語訳でいうところの骨・関節損傷の整復・固定・マッサージ等と記載されており、これが柔道整復の起源であると言えます。

 その後、当時鍼博士の官職にあった丹波康頼が円融天皇に「医心方」(984年)を献上します。これは隋・唐の200点もの医学書を集録したもので現存する日本最古の医書とされています。全30巻からなる第18巻には、脱臼、骨折、打撲、創傷などについての治療法が記載されており柔道整復術の基本概念はかなり古い時代からあったといえます。

その後、医学書洋書の輸入が解禁され高志鳳翼、二宮彦可、各務文献、華岡青洲らによる武人や医師らの尽力で大きく発展、「接骨業」「接骨医」として江戸時代に華開いていきます。

<中国医学から影響>

・高志鳳翼 日本最古の整骨専門書「骨継療治重宝記」(1746年)

・二宮彦可 「正骨範」(1808年)

・各務文献 「整骨新書」(1810年)

<オランダ医学からの影響>

京都で医学修行後、紀伊で世界で初めて全身麻酔手術を行った

・華岡青洲 「華岡青洲整骨秘伝図」や「春林軒治術識」「欄方位」を発表

このように外国からの様々な医学の影響を受けながら柔道整復術の起源とされる接骨術は発展し体系化されていきました。


しかし、明治時代に入ると天皇家や将軍、貴族階級などに関わらず「国民一般の健康を守る」という欧米の衛生行政や公衆衛生の概念に感銘を受けた欧米使節団として派遣されていた長与専斎らの働きにより日本の医学を西洋医学に一本化しようとする医療制度改革が行われ、医制の制定(1874年)、漢方医学の廃止に伴い漢方医学の一種と扱われていた接骨業も漢方医とともに絶滅の危機にさらされていきます。

1883年に医師免許規則が明治政府より発布され、この規則により医師のみが漢方医学を扱えるものとして骨折や外傷は医師(特に整形外科医)の専売特許になります。

この後1885年、歯科医師など別業種が営業を公認されていく気運の中、柔術家、柔道家たちも柔道整復術としての営業を公認してもらえるよう嘆願書などを提出し政府に訴えかけますがことごとく退けられ、ついには1894年の太政官令により接骨業は廃止の運命をたどりました。

この内務省令により接骨業、接骨術という名を使えなくなり、当時柔術家や柔道家の特に道場主は、殺法で「武」を教え、その時ケガをした患者を「医」療術、活法を活用して治していました。そのほとんどは道場横にすぐ施術所がありほねつぎ、接骨院という名を使っていましたが、その営業が出来なくなります。按摩の門下として生計をたてることも困難となり、収入源を絶たれて窮地に立たされました。

そこで柔術家、柔道家が別々に嘆願していたものを、当時学校体育で教える科目が「撃剣・柔術」から「剣道・柔道」になり警視庁の採用試合でも柔術家に勝ち国内外に門下生を持っていた嘉納治五郎が起こした(講道館)柔道側に一本化。嘉納治五郎の高弟で講道館四天王とされ史上初めて十段位を授与された山下 義韶が請願書の代表として政府側を説得し、大正9年(1920年)に内務省令「按摩術営業取締規則」の改正で、付則の中に柔道整復術に関する記載が盛り込まれ、柔道整復術公認されます。

その後戦後GHQの統治下で武術の禁止や旧憲法下すべての法律が失効した中、1947年「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が制定され再び法的根拠を得るわけですがGHQによる医学教育の伴わない医療の禁止により、教育を再考し、医学教育を伴う柔道整復師の養成学校の卒業と試験によって資格を与えるという今の体系を構築することとなり、その後1970年単独法としての「柔道整復師法」が成立。1976年には指導要領が定められ教育内容の明確化がなされ また柔道整復師の業務範囲についても骨折、脱臼、捻挫、及び筋腱などの軟部組織損傷に対する施術とし、柔道整復術の内容についても整復・固定・後療法 (手技・運動・物理療法)として明確に記述されるようになりました。

1989年(平成元年)の「柔道整復師法改正」で教育内容の充実が図られ、試験及び免許に関する事務権限が都道府県知事から厚生労働大臣への変更され国家試験、国家資格となる職種として今日に至ります。

2001年には世界保健機構であるWHOの報告書において初めて柔道整復師がJudo Therapistsとして紹介されるまでになっております。

長い歴史と遍歴を持つ、稀有で医師以外に外傷に対して唯一単独の判断で健康保険が適用でき、医療類似行為である柔道整復術を扱う柔道整復師は、このような先人たちのたゆまぬ努力と運動により継続されきた職種であり資格です。


自信と誇りをもって今日も職務にあたりたいと思います。



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