蟹座の家族観について考えてみた
家族って、一番身近で一番遠いなと思う。
家族=[幸せ、安心]なのだろうか?
何十年一緒に生きてきたとしても、
意外と家族はお互いのことを知らない。
私たちは生まれた瞬間から、何か立場や役割を持つ。
生まれた瞬間に誰もが親の子供であり、娘や息子となる。
自分の次に生まれたら姉や兄になるし、
自分が後に生まれたら妹や弟になる。
父
母
姉
妹
兄
弟
このどれもに見える世界があって、
それぞれに見え方が違う。
父には父という立場から見える世界。
母には母という立場から見える世界。
子供には子供という立場から見える世界。
だから、同じ家庭で暮らしていても
その人にとって家庭や家族がどんな風に映っているかが全く違う。
ただ、残念なのは
家族間でその意識が薄れやすいということ。
よく“家族と他人”という区別を私たちはする。
占星術では、蟹座のテリトリーになる。
蟹座は内側がとてもセンシティブだからこそ、自分の身を硬い甲羅で防御するのだ。
防御しておいて、自分が許可した人だけ心を許す。
身内意識がとても強い分、他人との区別が激しいとも言える。
じゃあ、その身内はどうか?というと
私は身内であっても意識は他人なのだと思う。
でもそんな風に私たちは思わない。
“母だから”
“父として”
“娘として”
“息子として”
とか色々立場や役割を持ち出す。
例え、父や母であったとしても家族だけど他人。
“家族ならわかってくれる”
“家族だから当然こうあるべき”
そんな無意識が私たちの邪魔をする。
もしかしたら蟹座的には、自分と違う存在として認めた上で受け入れているだけなのでは?と私は思う。
自分のテリトリーに入れたからといって、
もしかしたら自分と同じとは思っていないんじゃないか。
自分と同じ人なんて、この世に存在しない。
でも蟹座的には自分の内側に入れた人は自分と同じと思いたいのだろうか。
そんなことは望んでいない気がする。
私たちの意識の問題なのかもしれない。
どうして他人同士が結婚するのか?
これは遺伝子的なこともあるのだろうけど、
やっぱり、家族の基本は他人だということを表していると思う。
誰かの心のテリトリーに入ったとしても、
誰かと家族になったとしても、
“他人”であることは普遍だし。
実際、その家庭がどんな存在だったかは、同じ家族であっても全く捉え方が違う。
それは家族であっても見える世界が全く違うし、
お互い見てる世界が違うからこそ交わらないことも多い。
私の母は、私の描く絵を見て、
「こんなに繊細なタイプやったんやなぁ…」とポツリと言う。
40年も経ってるのに、初めて知ったらしい。
私としては、ずっとこの私ですけど!と思う。
(ずっと昔から主張してたと思うけど…)
同性であっても、
一番近いはずの母と娘であっても、こんな具合。
でも、同じことが私にも言えるかもしれないのだ。
家族は他人の集まりだからこそ、
その人が見ている世界がどんなものかを知るための蟹座力なんじゃないかと私は思う。
人の感情を繊細に感じる力。
自分の感情もちゃんと感じる力。
この両方が蟹座には備わっていて、
違うとわかっているからこそ、
“相手の気持ちを理解する”
“相手の感情を感じ取る”
“察する”
ことが必要で、
また同時に
“相手の気持ちを理解しない”
“相手の感情を感じ取れない”
“察しない”
ことも起きてくる。
これは自分の内側をガードしている時に起こる。
安心であるはずの関係の中で、防御が起こる。
本当の蟹座力って、
“家族であること”よりも
“他人同士であること”に意識があるのではないだろうか。
違う個性をお互い尊重できた時に、
初めて柔らかい布団のように心地良い安心に包まれるのが本来の蟹座力なのではないだろうか。
家族であっても、相手を100%理解することなんで出来ない。
だからこそ、相手の気持ちを知ろうとすることが心の触れ合いになるのではないかと思う。
家族・家庭は、実践の場所。
実践しながら、お互いに魂を磨いていく。
家族関係は一筋縄にはいかない。
他人がどんなにいい関係に見えていたとしても、それぞれの心の内は覗いてみないとわからない。
他人の家族を羨むことは必要ない。
今世、あなたに必要な学びがあなたの家族間にある。
ただ、それだけなのかもしれない。
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