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つゆとの話し(11)

前回のお話し


いよいよ、つゆとのお別れ

 11月17日。いつも通りの時間に目が覚める。今日はいよいよつゆとお別れの日だ。

 足もとで寝ているつゆにむかってあいさつをする。
 「つゆちゃん、おはよう」
 妻と顔を見合わせる。また涙がこぼれそうになる。

 リビングに出てカーテンを開ける。よく晴れた日だった。元気だったころのつゆはきっと窓際で日向ぼっこを楽しんだに違いない。 

 まつにもあいさつをする。返事の代わりに元気に朝ご飯を催促してくる。変わらないで元気にいてくれることが少しだけほっとさせてくれた。

 いつものくせで  つゆがいた場所に視線が行ってしまう。ぽっかり空いた空間につゆがもういないことを実感する。

つゆが生前によくいた場所。

 それでも何とかその日のことを進めた。妻は家事、子供たちは学校へ。みんな口数が少なかった。

 僕はいつも通りなふりを自分自身に対して演じながら仕事へと出かけた。
 つゆが死んでしまった悲しさと、火葬場に連れて行かないといけない悲しさに朝から押しつぶされそうになる。

 この日の仕事もあまり記憶に残っていない。どうしてもつゆのことが頭から離れない。さみしくて、悲しくて仕事中なのに涙がこぼれ落ちてきた。それでもなんとか午前の仕事を終え帰宅した。

 いよいよ火葬場へ行く。僕は つゆの入った段ボールを抱え家の中、庭を歩き つゆに我が家との最後のお別れをさせた。

 最後にもう一度つゆを撫で、そっとふたを閉じた。

 車の後部座席に妻が座り、膝の上につゆをのせた。火葬場まではわずか10分程度。つゆとの別れまでの残された最後の時間でもある。
 妻はその道中、ずっとつゆに話しかけていた。

 火葬場に着いた。車から降りて本当に最後だと思い、また箱を開けた。

 「つゆちゃん、またうちにおいでよ。」
 妻が声をかけた。
 僕は何も言えず、つゆの柔らかい毛をただただ黙って撫でた。

 いよいよ建物に入り、指定された台の上につゆを置く。係の人に「最後のお別れをしてください。」と言われる。

 つゆにむかって手を合わせてお辞儀した。僕は固く目を閉じた。そのまま、係の人に一礼し頭を上げる。
 目を開けると景色は滲んで見えた。振り返らずに建物を出た。本当は、もう一度つゆを見たかった。離れたくないと思った。

 妻と、つゆの体はなくなっちゃうけど、魂はまだうちにいるのかな?、つゆちゃんのんびりしてるからきっとまだうちにいるよね、と話しながらゆっくりと車まで戻った。

 つゆが大好きだった青い空が出ていることをうれしく思った。

 帰りに動物病院へ寄った。お世話になったお礼を言いたかった。診療自体は休憩時間だったが受付の人はいるはずの時間だ。

 自動ドアをくぐり受付の人と目が合い話しかけられた。
 「どうされましたか?つゆちゃんですか?」
  ・
  ・・
  ・・・
  ・・・・
 「つゆは昨日なくなりました。」

 ここまでしか言えなかった。あとは黙って頭を深く下げて病院を出てしまった。本当はお礼が言いたかったのだ。でもまた涙が出てきた。

 妻が、泣いている僕の代わりにお世話になりました、と言ってくれた。

つゆのいない家

 家へ帰ってきた。まつが心配そうに寄ってくる。つゆちゃん、いなくなっちゃったね、と妻がまつの頭を撫でていた。

 いつも昼寝をしている時間だったのでとりあえずベットに行ってみた。目をつぶると今は思い出したくないつゆの最後のことが浮かんでしまう。眠れない。ひどく疲れを感じた。

 夕食の準備に取り掛かった妻が一人だけになってしまったキッチンで声を上げて泣いていた。

 少しだけうつらうつらとして目が覚めた。こんな日でも目が覚めるのはいつもと同じ時間だった。もたもたと支度をして撫ぜる頭がひとつ少なくなってしまった家を出た。

 午後の仕事に行き、いつも通り仕事を終え、いつも通り帰宅する。ここ数日のばたばた振りがうそのように、いつも通りだった。

 食事を済ませ、静かな家の中で何をするわけでもなくぼーっとしていた。いつの間にか深夜0時が過ぎていた。

 つゆとお別れした1日が終わっていった。
 僕たちの前からつゆは本当にいなくなってしまったのだ。

首輪についていたネームタグ。今は僕のキーホルダーに。

最後に

 こうしてつゆと過ごしたあまりに短く、でも幸せな4年半は終った。
 僕は相変わらず、つゆのいた場所を見てしまう。まつはさみしさからなのか前よりも甘えてくるようになった。

 それでも、最近は少し悲しさは薄れ、楽しかったこと、かわいかったことを妻と話し合えるようになった。

じまんのふわふわ尻尾を立てて、つゆは逝ってしまった

 悲しいならいっその事 思いっきり つゆのことを思おうと考え始めたnoteだった。
 書き進めるうちに楽しかったこと、かわいかったこと、つゆとの楽しくて幸せだった4年半を順に思い出し、大切に書き記せたと思う。

 改めて気づいたことは、僕たち家族は4年半の間につゆからたくさんの幸せな気持ちや記憶を受け取っていたと言うことだった。
 つゆがくれた時間は何物にも代えがたい、僕たちにとって本当に幸せな時間だった。

 つゆはその小さな身体を通じて他者に向けるべき優しさや慈しみの気持ちを教えてくれた。
 猫は人を優しくしてくれる、という言葉は本当だったのだ。たくさんのことを学ばせてもらった。

 そして、つゆがうちに来た時のように、僕はうちにどんなにかわいくてきれいな猫がいたのかをnoteを通してみんなに話すことができた。すごく嬉しいことだ。

 最後にもう一度言いたい。

 つゆは本当にきれいな猫でした。

岩合さんにほめられた写真

 幸いなことに、うちにはまつがいる。まだ我が家と猫の生活は続く。つゆのことを思いながらまつとの時間も大切にして過ごそうと思う。

 自分のために書いた文章をここまでお読みいただいた方、本当にありがとうございました。


今日はつゆの最初の月命日です。

令和3年12月16日


おまけ

 「つゆちゃんが死んじゃった次の日に、大きな虹が出ていたよ。」

 つゆが逝ってしまってからしばらくして、何人かの人に言われた。
 僕はその虹を見ることはできなかったのだが、聞くと時間的にちょうど火葬場にいた時間帯のようだ。

 もちろんただの偶然なんだろう。だけど、あの日出ていた虹の話を聞いたとき、僕はつゆが本当に虹の橋を渡っていったと思った。

 火葬場で分けれ際にかけた「またうちにおいでよ」と言う言葉もきっと聞いてくれただろう。

 こうして確かにつゆは、虹の橋を渡って行ったのだ。4年半前のノラ時代では考えられないほどたくさんの人に想ってもらいながら。

つゆとまつの絵をいただく

 つゆが逝ってしまって数日後。我が家はまだまだ悲しみに暮れていた。
 そんな時、以前からお願いしていた猫の絵が届いた。

 絵を見た時のうれしさは凄くて、一気に元気が戻ってきた。
 本当につゆとまつにそっくりで、思わず顔がにやけてしまったのだ。

 妻ともつゆのしっぽのふわふわ具合、2匹の毛色の再現度が本当にすごい、としばし悲しみを忘れて話し合った。

 この絵を見て、楽しい話しをした事が僕と妻が悲しさを吹っ切れる大きな助けになった。

つゆもまつも元気いっぱい

 つゆちゃんは逝ってしまったけど、この絵の中ではずっと元気いっぱいでいてくれる。それが僕も妻もうれしいのです。

 作者の方は諸事情で明かせませんが、製作中につゆの訃報を知っていつも以上に心を込めて書いてくださったそうです。本当にありがたいです。

 この場をお借りして改めてお礼をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。
 この絵の中のつゆはうちの守り神です。

保護ねこ譲渡会を見にいく

 12月中旬。保護ねこ譲渡会に行ってみた。すぐに飼うつもりはないのだけど妻と一緒に行ってみた。

 会場にはたくさんの猫がいた。小さい子もおとな猫もいろいろで、こんなに助けを求めている猫がいるんだ、と考えてしまう。逆に本当につゆちゃんを助けてあげられてよかったとも思う。

 いろいろな子を見て、スタッフさんと話をし結構な時間を過ごした。つゆのことも話した。

 たくさんの猫を見たが、僕はやっぱり、長毛の子や大柄でおっとりしている子ばかりに目が行ってしまった。

 FIPの闘病中の猫もいた。幸いにも手遅れにならずに治療が開始されているそうだ。がんばって、とたくさん声をかけてきた。
 あの子がつゆとは違う結末を迎えられ、幸せな猫生が長く続きますように、と祈るばかりだ。

 そしてうちにも縁があればまた猫が来てほしいと思う。また庭に来る子か、譲渡会でお迎えするか、あるいは子猫をもらうのかは分からないがいい縁が来るのをゆっくり待とうと思う。
 もしかしたら新しい身体になったつゆがまた来てくれるのかもしれない。


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