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デュッセルドルフとライン川

ドイツの人口は約8300万人。
ここノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)の人口は、約1800万人。
 
ドイツの州は、全部で16州。
NRWは総人口の約20%を占める州である。
更には、ライン・ルール地方はドイツ最大の経済圏でもある。
ついでに、NRW州内の日本人人口は、約1万5000人。
 
そして、ここデュッセルドルフについて。
街の人口61万人。
うち日本人8400人。
人口割合では1%を超えるので、在留邦人割合は高い。
 
日系企業数でカウントすると、NRW州内約640社のうち、400社がここデュッセルドルフにある。
つまり、かなりの日本人がこの街もしくは、この近郊に住んでいる。

中央駅から旧市街地までを抜ける一本道、インマーマン通り(Immermannstraße )。
ここが、リトルトーキョーと呼ばれる通りだ。
去年の12月、ここに日本語の道路標識が建てられた。

日本食レストラン
日本食材店
ラーメン店
お寿司屋さん
お蕎麦屋さん
日系ホテル
 
更には、本屋さん、マッサージ店、美容院などが軒を連ね、まるで日本にいるかのようだ。
 
世界の街をたくさん見る機会があったけれど、このような街に出会ったことが他にはない。
こんな風に、日本との関わりが深い街だ。
 
デュッセルドルフは、ミュンヘンやベルリン、その他の都市と比較すると、それほど観光客の多い街ではない。
お隣のケルンの方が、人口も多く、また世界遺産の大聖堂もある。
 
それでもなお、ドイツ内外から、デュッセルドルフ観光に来る人は絶えない。
 
しかし、観光目的ではなく、私が今まで見てきたデュッセルドルフを書いていきたい。
 
デュッセルドルフ(Düsseldorf)とは、デュッセル(Düssel)という川の名前から来ている。
ちなみにこの川は、私の自宅近くを流れているのだが、小川くらいの大きさだ。

ドルフ(Dorf) は村。
だから、日本人がデュッセルドルフに引っ越してくると、「デュッセル村」にようこそ、と言うのが、お決まりの台詞のようになっている。
なんだか、東京ドイツ村みたいだなと、いつも笑ってしまう。
 
街の西側を、街を東西に分けるように、ライン川が流れている。
ライン川に近い場所には旧市街地があり、レストランが立ち並ぶ。
ビアホールもいくつかある。
デュッセルドルフのビールは、黒ビールだ。
 
余談だが、デュッセルドルフは、お隣のケルンとすこぶる仲が悪い。
日本でも、近隣の都市同士が仲が悪いというのをよく聞く。
千葉では松戸市と柏市、埼玉県内でも、旧浦和市と旧大宮市などは有名だ。
国が違えど、ここでも同じことが起きているのが面白い。
 
ケルンに住む人は、デュッセルドルフなんてケルンより小さいくせに州都だなんて、笑わせないでくれ!と声を大にして言う。
デュッセルドルフの人は、ケルンよりも重要視されているのはこっちだ、と言い返す。
ケルン訛りを小馬鹿にする人さえもいる。
 
ケルンの人は、デュッセルドルフのアルトビール(黒ビール)を飲むくらいなら、家に帰らせてもらうと言う。
デュッセルドルフの人は、ケルッシュ(ケルンのビール)を飲むと、翌日頭痛がひどいと言う。
 
こんな風に、どちらの街もお互いをけなす言葉を豊富に持っているのだ。
 
でもこれは、吉本新喜劇の台詞ように、こう言われたら、こう言い返すというお決まりで、飲みの席での他愛ない話だ。
私は、また始まったか、と傍で笑って聞き流している。
 
それでも、どちらの街も仲良くできる日が、年に一度だけやってくる。
それが、カーニバルだ。
カーニバルは、ドイツ全土で行われているものではなく、数か所で祝われている。
デュッセルドルフ、ケルン、マインツが中でも特に有名だ。
 
この日は、皆が一緒になってバカ騒ぎをしている。
それぞれ、アルトビールやケルッシュを手に、ご機嫌だ。
子供よりも、大人が真剣に馬鹿なことをするので、見ていて本当に面白い。
 
 
そんな風に、デュッセルドルフは、黒ビールと、ライン川、そしてカーニバルの街だ。
 
 
少しだけ、街の様子を。
 
クリスマス時期の旧市庁舎。
市庁舎前広場では、クリスマスマーケットが開催される。

高級ブティック、ブランドが並ぶKönigsallee。

旧市街地からラインタワーまでの遊歩道。

ラインタワーからの眺め。

Hafen(港)と呼ばれる地域は、現代アートが多い。
デュッセルドルフは、有名な芸術家を多く生み出した街でもある。
デュッセルドルフ大学は、美術専攻がとても有名だ。

街の南には、ベンラート城がある。
ピンクの外壁が可愛らしい。
昔は、ピンクの塗料はとても高価であったことから、建築当時に敢えてこの色を選択したのだそうだ。
内部もとても豪華な造りだ。

それぞれの建物や、場所を一個一個挙げての思い出は、いつか書きたいと思う。
 
今日は、この街について、私が思っていることを書いておきたい。
 
私は、引っ越してきたばかりの時に、この街に馴染めなかった。
知り合いもおらず、寂しくてたまらなかった。
日本からドイツに来た時には、ホームシックにさえならなかったのに、ここに来た途端に、小さくても居心地の良かった学生時代の街に、今すぐにでも帰りたくて仕方なかった。
田舎ならではの人懐っこくて、少しばかりお節介が過ぎるような街が好きだったのだ。
 
この街には、何でもある。
日本に関わるものも、すぐに手に入る。
それでも、この街の都会(田舎から来ると都会に見えた)特有の、少し冷たい雰囲気が、どうしても好きになれなかったのだ。
独りぼっちで取り残された気がして、不安でたまらなかった。
 
そんな時、一人で散歩をしていたら、ライン川沿いまで来てしまった。
街のザワザワとした喧騒が無くなり、ライン川が流れ、人々がゆったりと散歩をしていた。
目の前を、手を繋いで歩く老夫婦の姿があった。
それは、街の少し冷たい雰囲気ではなく、あの学生の頃の街と同じ、温かいものだった。
 
そこで私は初めて、この街をいつか好きになれるかもしれない、と思えたのだった。
 
あれから約20年。
今もまだここに住んでいるなんて、信じられない。
 
引っ越してきたばかりの時は、居心地が悪くて、落ち着かなくてソワソワした。
今は、どれほど楽しい旅行をしても、デュッセルドルフに帰ってくると、そこが駅であっても、空港であっても、やっと帰ってきた、と安心してしまう。
日本に一時帰国した後でさえも、ここに戻ってくるとホッとしてしまう。
 
これは、この街を好きになれた証拠なのかなと、ぼんやりと考えている。
 
海外生活は、一見華やかに見えるかもしれない。
でも、辛いこともたくさんあった。
それは私だけでなく、海外生活の方は、大抵の人は同じような経験をされている事だろう。
一体何度、この街で涙を流しただろうか。
 
 
私の第二の故郷となったデュッセルドルフは、ライン川が豊かに流れている。
私の不安や悩みを全て流すかのように、ただ静かに流れている。
だから私は無性にライン川を見たくなり、何度もここに来てしまう。
 
ライン川は、男性名詞だ。
Der Rhein 
父なるライン。
 
そのせいか、私はライン川に来る度に、寡黙ながらも、温かく私を包んでくれた父を思い出す。
 
デュッセルドルフにライン川が流れるように、私の体にも、父の温かい血が流れている。

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