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Family History ①〜ハイカラさんが通る〜

おいでませ。玻璃です。

自分史を書いていく上で重要な、家族の歴史を遡って綴っておこうと思う。
まだ私が生まれていない時代の話を…。

幕末から明治維新にかけてたくさんの傑出した人物を排出した萩市。
その萩で明治時代後期
父、保次郎 母、竹の六人目の子が誕生した。

「もうこれで子供はしまいじゃ」
と名を“トメ”とする。
結果、もう一人その下に生まれたのだが。

父、保次郎は仕事熱心で勝負師のような思い切りの良さがあり、菊が浜沿いの広大な土地を買い占め、牧場を営んだ。

母、竹は当時としては珍しい双子だった。松と竹。松の消息はわからない。竹は教育熱心な母親だった。

そしてこの六人目の子供、トメこそ私の母方の祖母だ。

保次郎の商売は軌道に乗っていたのだろう。割に裕福な家庭だったのか、トメはあの田舎町で初めて自転車を乗りまわしていた女性で有名だったらしい。
まさにハイカラさん。

さらに当時としては高学歴。
東京の女学校へと進学する。
東京ではアメリカ人の家のメイドさんとして働き、英語も堪能だったらしい。
そんなトメの事を気に入って、主のアメリカ人夫婦は帰国の際、「是非アメリカに一緒に帰ってくれないか」と誘ってくれたそうだ。

だが、それを断ってトメは萩へと帰郷する。
「本当はアメリカ人夫婦について行きたかった」と歳を重ねた後でもこの時のことを振り返っていた。
あの時、祖母がアメリカに行っていたら今の私はなかったのだから祖母の選択に感謝だ。

帰郷したトメが25歳になった頃、働き盛りだった父、保次郎が急逝した。

商売に熱心だった保次郎は手広く事業拡大するために大きな借金があった。
その借金ごと牧場をトメが引き継いだ。
兄妹6番目のトメがなぜ引き継いだかは、今となってはわからないが、おそらく兄妹の中でも頭がキレたのだろう。

ここからトメの新たな人生、波瀾万丈な人生の幕開けだ。

この続きはまた今度。

ではまたお会いしましょう。


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