見出し画像

房総半島千倉:花の谷クリニック~ここで最期を迎えたい

何年前だろう。『「花の谷」の人びと』を読んだのは。
おそらく、4,5年前だと思う。
母が亡くなってから、その最期がずっと心の中でくすぶり続けていて、人の生死や医療の問題、緩和ケアに関する本を読むようになった。

おそらく、母の最期が穏やかな死だったら、こんなにも死に方にこだわることはなかったと思う。

今回、縁あって南房総の千倉にある「花の谷クリニック」を見学させて頂いた。
本に書かれている通り、千倉という場所も、診療所も、そしてそこで働いている院長先生はじめ、スタッフの方たちも含めてとても素敵なところだった。

今回は東京から館山までバスを使い、館山駅から千歳駅まで電車を使った。
診療所までは千歳駅からは徒歩10分強で、駅からしばらくは2車線道路の脇を歩くのでちょっと危険なのだけれど、途中から住宅街の中に抜けていく。

千歳駅に降りたときは、正直面食らってしまった。何もない。ほんとうに何もない。う~ん、すごいところにきてしまった。

その日は初夏の陽気で、汗ばむほどで、歩いていると鶯の鳴き声が聞こえてきた。まさか、東京の商店街のスピーカーから流れてくる鶯の鳴き声じゃないよね??と我を疑い、スピーカーを探すがそんなものはあるはずもなかった。

住宅街に入ると、古い一軒家が点在し、古民家風の立派な建物が多い。道の脇に野の花が咲き、木々が生い茂る。とても長閑な雰囲気で、足取りも軽くなる。

グーグルマップを見ながら歩みをすすめると、「花の谷クリニックP」という小さな木の看板があり、少し進むと木々に囲まれた建物が見えてくる。
ここが「花の谷クリニック」だ。

木々に囲まれて、病棟と外来棟が渡り廊下でつながっていて、奥に、とても立派な古民家のデイケア「庄左エ門デイセンター」が鎮座している。

病棟玄関からお邪魔すると、ナースステーションがあり、そのすぐ先に、明るく広々した多目的ホール(食堂)がある。
建物が木で造られているからか、とても居心地の良い空間が広がっている。
診療所だと言われなければ誰も気づかないと思う。
所謂わたしたちが想像する「病院」や「クリニック」とはまったく違う雰囲気だ。

多目的ホールに案内されたときから、「ここで暮らしたいわ~」と本気で思った。
その後、病棟を見学させてもらい、病室(個室)も見せてもらった。
室内はゆったりした作りで、中庭に面しており、ベッドに横たわったままテラスに出ることができる。青々とした木々も、初夏の風も、鳥のさえずりも肌で感じることができる。

渡り廊下を歩いた先に、外来棟があり、待合室はまるで近所のおうちに遊びに来たような雰囲気。こんなゆったりのんびりできる待合室は見たことがない。
外来棟には、広い施術室もあって、鍼灸施術室とリハビリ施設を兼ねている。

鍼灸師さんのご厚意で、緩和ケアでの鍼治療を少しだけ体験させてもらう。
わたしのガサツな鍼とは違うやさしい鍼。経絡治療を取り入れた、てい鍼を使った施術。おそらく、気を動かす治療だと思う。緩和ケアでは、弱った身体にガンガン鍼を打つなんてできないから、選択肢としてはてい鍼を使った経絡治療がメインになるのかなと思う。
経絡治療は第6感がとても大切だと思う。見えないものを感じ取る力。わたしが早々とあきらめたものがそこにある。

緩和ケアなのにリハビリ?と思ったあなた、わたしも同じことを思った。

花の谷クリニックでは、緩和ケアでも必要であれば化学療法も放射線治療もやる。完治の目的でやるのではなくて、身体の辛さが少しでも楽になるのであれば積極的に取り入れるのだ。
同様に、最期まで自分でトイレに行けるように、お風呂に入れるように、歩けるように、リハビリも取り入れる。誰だっておむつなんてしたくないし、自分で歩きたい。

このクリニックはいつだって、その人の尊厳を一番に考え、大切にしている。それって、医療で何よりも大切なことだ。
母が亡くなったときも、祖母が亡くなったときも、彼女たちの尊厳は守られなかった。まるで物のように扱われた。死んで行く人に尊厳など必要ないと言わんばかりに。

木のぬくもりが感じられる多目的室、病棟、外来棟、渡り廊下も素敵なのだが、やはり目を引くのは、庄左エ門デイセンターだ。ここの地主さんで亡くなられた庄左エ門さんのおうちを改装したらしい。
とにかくとても立派な古民家で、立派すぎて圧倒される。
「ここに住みたい!!」と心の中で叫ぶこと数回。わたしの叫びは届いただろうか。

また、おうちの中もとても素敵で、天井の立派な梁がそれは見事!
これを残した院長はやっぱりセンスがある。

クリニックの建物の外装、内装のセンスに加え、本を読んでもらえばわかるがその文章力も含めて、院長先生のセンスの良さに、この人はなんてマルチな才能の持ち主なのだろうと感心する。

その上、初対面だと思えないような親しみやすさと、ユーモアと人の良さが前面に出ていて、こんなお医者さんわたしは会ったことがありません!!

院長先生の人柄の良さに加え、スタッフの皆さんもほんとうに穏やで優しい雰囲気の人が多く、都会にはこういうひとたちはいないわ、と思う。

スタッフの方全員とお話したわけではないので、中には意地の悪い人がいるのかもしれないが(いや、おそらくいない)、院長先生、施設を案内してくれたナースの方、鍼灸師の方、少しだけ挨拶させて頂いた事務の方、PTの方、みなさん表情が穏やかであたたかい。
わたしのようにせかせかイライラしている人がいないのはなぜですか??

こんなに穏やかで優しい人たちと接していると、自分の卑しい心が見抜かれてしまうのではないかとドキドキした。

施設を見学しながら、院長先生やスタッフの方たちにお話しを聞きながら、「あ~、ここで最期を迎えられたらなんて幸せだろう。きっと穏やかな最期を迎えられるなあ。わたしが死ぬときにこの診療所があったらいいのに。」と思った。
そして、もし母や祖母がこんな素敵な施設で最期を迎えていたら、後悔の念と悲しみと悔しさでときどきほんとうに頭がおかしくなりそうになることもなかったかもしれないと思う。

穏やかな最期は、残された家族がその先の人生を前向きに生きていくために必要なのだ。尊厳を踏みにじられた最期は、いつまでも家族の心に哀しみと後悔の念がくすぶり続ける。

医療に興味のなかった自分が、家族の死から医療に興味を持ち始め、鍼灸師になった。穏やかに最期を迎えていたら、医療に興味を持つこともなかった。たぶん、贖罪のような気持ちがどこかにあって、その気持ちと折り合いをつけたい自分がいる。医学を少しかじったからといって、その気持ちが消えることはなく、いまだにずっとくすぶり続けている。
ほんとうは、まったく関係ないところで、のんきに気楽に何も考えずに生きていきたい。
いまだにわたしにとって病院も医者も薄暗いじめじめしたネガティブな場所なのだ。できれば一生関わりたくない。そう思っている。

一方で、花の谷のようなクリニックがあって、患者さんのために働く医師とナースとスタッフがいる。その事実が、存在が、少しだけくすぶっている自分の心を溶かしてくれて、希望の光のように感じ前を向くことができる。

なんだか暗くなってしまったので、やめよう。

花の谷クリニックのような有床診療所は多くないけれど、他にもいくつかある。家族の最期や自分の最期について悩んでいる人たちに、こういう診療所やお医者さんやスタッフがいるんだよいう参考になればいいなと思います。
わたしももっと早く出会いたかった。

有床診療所が抱える問題はたくさんあって、十数年後には消滅すると言われていた。いま、少し持ち直して横ばいから減少傾向になっているらしい。少し古い本ではあるけれど、伊藤院長が書いた『生きるための緩和医療』は、有床診療所が抱える問題点や、花の谷クリニックのような患者さんの尊厳を守る診療所がいくつか紹介されているので、参考になると思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?