外見だけじゃ、何か違う。
「アーモンドの中身が白いからじゃないですか?」
とある、アイスのパッケージに白い種を持った猫の絵が描かれていた。
何とも斬新なパッケージに目を引かれて、そのアイスの味にも虜になった。
ランチ時にそれを食しながら、そのパッケージに描かれているイラストについて謎の議論が生まれた瞬間の発言であった。
周囲にいた皆が、フリーズしたのがわかった。
そして、
「何言ってんの?アーモンドの中身はアーモンドだから」と、言われた。
他の皆も、「ま〜た。とぼけたこと言って〜」
「アーモンドに対して中身って何?笑」
などなど、微笑。
(え?でも、中身は白いし、、、。)
何だかもやもやしながらも、ランチ時間の終わりが近づいていたため、その場を後にした。
数時間後。
Bさん 「ねぇねぇ。りんごの中身は何?」
さっきの会話に入っていなかったはずの人から問われた。
ランチ時の謎の議論を、どこかから聞いてきたのだろう。
とりあえず答えるか。
自分「え?白ですかね?」
Bさん「いやいや。りんごはりんごでしょ?」
自分「でも、りんごの中身は?って言われたら、白って答えちゃいますよ。」
Bさん「じゃあ、外見はって言われたら?」
自分「赤い皮です。」
Bさん「なるほど。食べ物に対して外見と中身分ける人初めてだよ。りんごはりんごだと思うんだけどなぁ〜」
自分「まぁ。そうでもあります。」
Bさん「やっぱり、君。ちょっと違うよね笑」
また微笑。
ほんの些細な発言がきっかけ。
くだらないと思う人も多いかもしれない。
けれど、一週間程、何故だかこの話題で盛り上がったのは事実である。
そうしてふと、思い出した昔のドラマ。
『エジソンの母』
確かあれは、第一話だったかなぁ?
エジソンのように発想が独特の小学1年生の少年がいた。
「1+1=2」
これは現代では、当たり前の解答であり、正解と呼ばれる。
しかし、ドラマの中の少年はみかん1個とみかん1個、合わせて2個。
いや、1個を半分にして食べると3個。さらにみかんの中の粒まで数えようとした。
だから「1+1=2」という、解答に「どうして?」がまとわりついた。
別に自分の発想が面白いとか、エジソンみたいな脳みそであるとは到底思ってはいない。
ただ、改めて人間て、変だなと実感した。
十人十色でまとめきれないほどに、多角的思考を持つ人間はどれくらい存在するのであろう?
「アーモンドの中身はアーモンド」「りんごの中身はりんご」「1+1=2」
これは正解と呼ばれる解答達なのか?
よくよく考えてみると、「りんごの中身はりんご」に、納得はできる。
だけど、自分の解答としては、やはり白いシャキシャキの物体である。
これを人間の視点に変更してみた。
人は人を見る時、まず視覚で容姿を捉える、そして言動や態度によって、どのような性格なのかを判断しようとする。
目に見える情報だけに囚われて、その先を考えようとしなければ、発想は生まれない。
自らの五感をフル稼働させ、りんごだから赤いとか、甘いとか。アーモンドだから硬いとか、脂肪分が多いとか。1+1=2は本当は、2じゃないとか。
人間の中身を知りたいという欲と同じように、アーモンドやりんごの性質も理解してみたいという欲が生まれただけだった。
何事に置いても、外見だけで判断するのは違う気がする。
あぁ。そうか。
自分は面倒で、だけど人間の中身を知り尽くしたい派なのかもって、かなり複雑でポジティブに考えすぎた出来事になった。
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