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(育児)父と母と、祖父と祖母

 出産し、子供ができた途端、義両親、はたまた実両親との仲が悪くなるような話を聞くことがある。私の場合も、重症ではないにしろ、違和感を覚える場面には何度か遭遇した。人間とは変わっていく生き物なのだから、感じ方が変化することは致し方ない。誰のせいでもない。と、言いたいところだが、大概の場合、時代にあった正しい距離感を保てない祖父母側に問題があるような気がしてならないのである。

 時代は変わったのだ。

 私は今の時代しか知らない。昔を知ろうともしていない。だからこんなことを言ってしまうと怒られるかもしれない。一体誰に?顔も知らない誰かに、だ。インターネットでの発言は、そういう無責任さの上でも成り立つものらしい。
 今は核家族がほとんどだと思う。核家族とは、つまり夫婦とその子からなる家族のかたちである。私と夫、そして息子は3人暮らしであるから、いわゆる核家族である。そして我々の実家はそれなりに遠い。車で最低2時間はかかる。
 私の子供時代もそういう環境だった。祖父母の家は、とても遠く、一年に一度帰るか帰らないかで、久々に会う祖父母に対しては敬語で話した。まして母親の田舎は大そうなまりがキツくて、祖母と二人になるのが怖かった。(祖父は私が生まれるずっと前に他界していた)祖母が何を言っているのか、私には全くわからなかった。母親も、祖母と話すときは、私の理解のできない方言で話していた。今になっても、やはり方言で交わされる会話を100%理解することはできないだろうと思う。あの田舎は、私にとって異国だった。
 私にとって、祖父母は完全に「家の外」の人だったのだ。家族ではなかった。家族と呼べるのは、母親と父親と、姉の3人だけだった。だから、これがスタンダードな感覚なのだと思って昨今まで生きてきたけれど、世の中には、もっと広い「家族」の形があるのだということを、大人になってから知った。

 私もたまに感じる違和感が、「私たちの孫」という様な祖父母の感覚である。いや、もちろんあなたたちの孫なんですよ。そうなんです。そうなんですけど。「孫である前に、私たちの子供なんです」と毎度思う。だから何?と言われてしまいそうだけれど。私たち核家族が生きていくにあたって、私と子供の関係を問われることがあっても、子供と祖父母の関係を問われることはあまりない。特別な事由の時以外、ない。と、思う。(自信はない)もちろん、祖父母が元気で仲良く、孫たちに優しくしてくれることは歓迎すべきことであるが、一番大事なのは、我々両親と子供の関係性である。悪いが、祖父母は二の次なのだ。だから、我々親の意見を無視してて子供にダイレクトアタックしてくることはとても違和感を覚える。我々親が許可しない、あるいは認知していない行為を子供することは避けたいのである。

 もちろん例外もあると思う。親同士の仲が良くなかったり、あらゆる理由で離婚をしていたり、死別している場合もある。その場合に、祖父母が親代わりとなり子供と関わっていくケースがあることもわかっている。だから、「私たちの孫」という強い思い自体は、子供の安全安心を守る上で重要であることもわかっている。それ自体を否定するつもりはない。けれど。自分の周りの状況を鑑みず、自分の欲望のままに距離感を詰めてくる祖父母は、やはり困ったものだと思ってしまう。

 以前、息子が義父に抱かれあやされているときに、息子が徐に義父の口元に指をやった。すると、それを喜んだ義父が、ペロリ、とその指を舐めたのだ。私はそれを見ていた。同じ部屋に夫も義母もいた。見ていたのは私だけだったかもしれない。その光景があまりにもショックで「さすがに舐めるのはやめてください」とすぐに言った。義父は少し申し訳なさそうにして、息子を膝から下ろした。
 義父は悪い人ではない。わかっている。その行為も、本人にとってはジャレ合いの一つだったのだろうことも理解できる。けれど、「人の家の子に同じことをするのか?」と聞かれれば、多分答えはノーなのだ。誰かの子供、というカテゴリーをぶっ飛ばし、「私の孫」という視点で見ているから、こういうことになったのだと思う。私はこの一件で、いい意味で義父に姿勢を示すことができたと思う。この子は、私の子です。あなたの孫である前に、私の子供なんです、と。
 もちろん互いに大人であるから、それからギクシャクすることもなく、相変わらず義両親は初孫である我が息子をこよなく愛してくれている。これはとてもありがたいことだ。ただ、「私たち夫婦の子」であることは忘れて欲しくないな、と思う。

 時代は変わったのだ。

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