見出し画像

私は飽き飽きしている

SNSは好きな方だ。
mixiが流行った時も、毎日ポエムのような日記をあげていたし、さらにその昔は、レンタルサーバーで借りた無料のサーバーに自前のホームページをこさえて、刹那とか、無垢とか、覚えたての漢字を使った小っ恥ずかしい詩をアップしたりしていた。いわゆる個人ホムペである。あの頃使っていた、掲示板に「カキコする」とかチャットで交わした「こん」とかいう挨拶も、今では過去の遺産となり、私たちの生活の遠いところに捨て去られている。時間が流れ、あらゆるコンテンツがその波に追いやられていくのだ。
今もネット上での人々の交流はやまない。私はTwitterにアカウントをつくり、Instagramに絵を投稿し、あらゆる人と繋がり、時には誹謗中傷されたりしながらも、新しい出会いに恵まれたり、まぁ、SNSの恩恵を存分に受けて生活しているわけだ。SNSは楽しい。人が一番信じるのは「口コミ」なのだ。情報の真偽(とりわけ〇〇の商品が良い、とかいう情報において)は、誰かの言葉で語られたものを一番に信じる。インフルエンサーなんて、その典型である。インフルエンサーという、多くの人から注目されている人間が発信する情報を人々は信じ、マーケットに影響を与えている。私だって、インフルエンサーに影響されて、買うコスメを決めている。多分、多かれ少なかれ、多くの人がそうやってSNSから情報を得ているはずなのだ。

私はSNSが向いているんだろう、と思う。ある一面においては。でもたまに辟易する。ばかみたいだな、と思う。会ったこともない人間の情報に踊らされて、喜んだり悲しんだりしていると、本当に虚しくなる。私はなんのためにSNSをしていたんだっけ?

第三者の話が面白おかしく描かれていると、なんだかとても変な気持ちになる。もちろん世の中に変な奴はいる。こんな奴二度と関わりたくねぇな、というようなモラルに欠け、人を貶めるようなやつは、少なからずいる。そんな奴放っておけばいいのに。なぜかそれをさまざまな方法で電波に乗せて発信したがる。誰かが読んで、一緒にやいのやいの言ってくれる。同調したり共感してもらうことが誰かの救いになることもある。嫌なら見なせればいいだけなのだけれど。それでも私は気になって、こうやって文字にしたためているから、多分私もみんなと一緒なんだ。

みんな、誰かに自分を認めてもらいたいし、自分は普通とは違うと思ってる。多かれ、少なかれ。それをどう表現するかは、また別の話だ。

私は女子校の出身であるが、多分少し浮いていた。いや、浮いていたという言い方がスカしてる。正確には馴染めていなかった。女同士特有の馴れ合いがたまにゾワゾワした。放課後は一人で化学実験室で勉強していた。そのくせ偏差値も普通な大学に行ったから、頭だって大して良くはなかった。馴れ合いは悪いことではないけれど、合わない人間には多分難しい才能なのだ。私にはその才能がなかった。
今でもたまにあの頃の感覚がする。私には向いていないのかも、と思い、またしばらくすると面白さに目覚め、しばらくするとまた飽き飽きしてくる。このサイクルを何度も繰り返し、そろそろ自分の馬鹿さ加減に気づくのだ。 
私は飽き飽きしている。
ただ、未だに答えはない。

2022.5.23

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?