卵巣嚢腫→稽留流産 ある意味プロフィール的散文その3

帝王切開術から多分3,4年くらい。

当時は銀行でデータ入力のパートをしていた。

同じ年代のパートさんが沢山いて、お昼休憩は楽しかったな。皆さんお元気かしら。

ある時仕事帰りに車を走らせていると、お腹に激痛が。お腹というより、膀胱付近?というか、もう胃痛腹痛とはあきらかに違う、例え様のない痛みが走る。

冷や汗ダラダラでコンビニに車を停め、電話してそこからほど近い総合病院で診てもらえることになった。

もう病院での経緯は忘れたけど、泌尿器科で念のため超音波かけて診てもらったところ、
「うーん、これは婦人科も行ったほうがいいねえ」

えっ( ・∇・)

とりあえず、泌尿器科での診断結果は
腎盂腎炎。
抗生剤とかのお薬で治ると思うけど、多分卵巣あたりが腫れてるから、それが圧迫してるのかも。
このまま婦人科で診てもらってね。…と言われた。


えーっ😱

婦人科へ行くと優しい美人女医さんが診察してくれた。
卵巣嚢腫という聞いたことない病名を告げられ、この大きさでは手術した方がいいから次回旦那さんと来てくださいとのこと。

また腹切るんかい、と思ったけど、今の大きさなら腹腔鏡手術で行けるだろうとのことだった。

で、なんだかんだでオペ当日。
浣腸やら剃毛やら済ませて、多分すっぽんぽんで術着に着替え、オペ室Go。

もうすでに何も恥ずかしくない私がいた。
いいのかそれで笑

この時のオペの流れも心情もおぼろげにしか思い出せない。
気持ちは淡々と受け入れるだけ、みたいな感じだったと思う。
確か全身麻酔。片側の卵巣の腫れた部分だけ穴をあけて取り出してくれた(と思う)
麻酔打って、口もとマスクあてられて、数を数えてるうちに寝て、起きたら全て終わってた。

でも…
あとから旦那に聞いたら
オペ室から戻って来た看護師さんに
「あと〇〇分くらいで起きると思いますよー」と言われたあと
病室で私を見ると、ものすごいイビキをかいていたらしい。 ヤダー(*゚▽゚*)

寝てる間に幽体離脱して、自分の姿見たりしてーとか脳内お花畑なこと思ったりしたけど、なーんにも覚えてなかった。

取り出したものは旦那がいたらしいけど、私は見なかった(見たくなかったので)
なんか薄い膜みたいなので水分はもう抜けてた、とか言ってたような。

それよりも何かいろいろ管が繋がれてて、
またか…って(-.-;)

とにかく導尿がイヤで頑張って身体動かして早めに外してもらった笑

娘と旦那は義父母のところでお世話になり、入院中娘もじいばあに連れられて一度面会に来てくれた。

義父母は初孫の娘に激甘だったので、面会もそこそこに
「じゃあねーママ😃」と、ウキウキで帰って行った。ちょっとムカつくが仕方ない。

そ 




入院生活一週間が天国だった。

腹腔鏡手術だから開腹の帝王切開より全然ラクだし、上げ膳据え膳、掃除も洗濯も子供の世話もしなくて済むなんてー(´∀`)

アパート帰りたくなーいって思ったのはよく覚えてる。

それからまた時が流れ、
もう一人くらいうちに子ども来てくれないかなあって思ってたけど、なかなかできなくてもう無理かなと思ってた頃、生理がとまった。
検査薬が陽性に。

卵巣嚢腫でお世話になった婦人科で診察してもらうと、
「とりあえずおめでとうございます」と言われる。
え、とりあえず?と思いつつ、「ありがとうございます」と、答えると
医師は「ちょっと早すぎて確実なことが言えないから、〇〇日にまた来てね」てなことを言われた。

んー、なんか微妙な雰囲気。

そして次回の診察で
胎嚢はあるけど胎芽がないことを告げられるのでした。

とても残念だった。

かくして稽留流産→掻爬処置となるわけですが、またしても採血やら浣腸やら剃毛やらを済ませ、局所麻酔(多分。覚えてない)にて処置が始まります。

医師、看護師さん2人が担当してくれた思う。

3人の話し声も聞こえていて、
看護師さんの「先生、(多分子宮内が)キレイになりましたー🎵」はよく覚えている。

そうかー、キレイになったかー( ̄▽ ̄)って。

私に宿ろうとしてくれた子は、男の子だったのかなあ、女の子だったのかなあ、あわててフライングしちゃったのかな?とかまた来てくれないかなあ、、って思いながらも、術後の日々の慌ただしさに悲しさは薄まれていった。

→普通分娩・子宮全摘へ続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?