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「短歌入れれます」一首評・3/7

 もう誰もここに来たりはしないからさくらのなかではだかの私 /泉由良

一読して、景はわかるけど状況はわからない歌だなあと思いました。状況というのは、前後の文脈があってそのなかに位置づけが可能なシーンのことです。
〈さくらのなかではだかの(=になっている)わたし〉といったん読んでみても、〈さくら〉が実際の景なのかイメージ上の風景なのか、〈はだか〉は文字通り一糸まとわぬ裸体なのか、それとも心持ちの比喩なのか、正確に読み取ろうとするとさまざまにその光景が膨らんでいきます。一方、上の句はというと〈から〉という接続詞によって動機が示されています。〈もう誰もここに来たりはしない〉ことから一瞬主体の孤独を導くかのように見えますが、下の句を見る限り、主体は〈誰もここに来たりはしない〉ひとりの環境をこころよく思っているようです。〈もう〉〈誰〉〈来たり〉といったささやかな副詞や助詞が「独り」であることを強めています。それが〈から〉によってつらなる下の句に広がりをもたらしたのでしょう。
おそらく何か思うところあってひとりになり、〈さくら〉(といううつくしいもの)のなかでさらけだすありのままの自分の姿とそのささやかな解放感の歌だと読みました。

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