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「短歌入れれます」一首評・3/9

君が抱き君が殺した魂だ二度と傷つかないと思った /織紙千鶴

この歌を読んだとき、考えなければならないのは「何の」魂であるか、ということではないでしょうか。もちろん「魂」という概念一般ということもできますが、下の句の〈二度と傷つかないと思った〉からは、〈思った〉行為主がいることが明らかです。主語がはっきりとしない歌においては、なかば暗黙の了解的に、作中主体の行為として読み進めるので、〈思った〉行為主=主体として考えたとき、この魂は、「私(ここでは主体を指す)の」という省略があると考えました。
この省略の補足に従って読んでみます。〈君が抱き〉〈君が殺した〉というところからは、主体の意思とは関係なく、扱われる「私」の存在、すなわち魂があります。このような存在を無視される扱いをうけると、多くの人は傷つくでしょう。主体もおそらくかつてはそうで、〈二度と〜ない〉から、少なくとも一度はあったと伺えます。でも「〈君〉がこんなことをする人だとわかったなら、もう傷つかないように自分を守ろう」と思った。〈傷つかないと思った〉の〈た〉からは、そのようなこれまでの決心と、でも結果そうではなかったという現実がにじみでてきます。
ほかの省略の可能性としては〈君が抱き君が殺した(君自身の)魂だ(だから君は)二度と傷つかないと思った〉。この補足だと、〈君〉に主眼のおかれた歌となります。

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