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パワーバランスを崩せる講師でありたい

今学期最後の試験が一昨日終了し、晴れて一年目の全てのプログラムが終了しました(!!)。非常に充実した1年目だったので、学びはまた振り返りたいと思います。

さて、今学期は大学院の活動とは別に、いくつかありがたいご縁を頂き、日本からボストンに来てくれた中高生たちに自分の経験を講演させてもらう機会がありました。

日本の一部の中高(公立私立問わず)の中には、独自に生徒向けにグローバル研修を提供している学校があり、ボストンはMITやハーバードがあるため研修の目的地となることが多いです。今回は、私が現役のハーバード生として、大学キャンパスを紹介したり、私のこれまでのキャリアや大学院での経験談を生徒の方々に共有したりという役目を務めました。

生徒の方々に案内したハーバードヤード(メインのキャンパスです)
出所: https://barrier-breakers.org/blog/2020/07/09/2020-7-9-harvard-and-mit-file-lawsuits-against-new-federal-immigration-regulations

ありがたいことに、私の講演に対する生徒の方々のリアクションは総じてとてもよく、私自身も彼ら/彼女らの質問や意見、姿勢から大きな刺激を受けることができました。今後もこの活動は積極的に続けていきたいと思います。


「雲の上の存在」

一方で、生徒の方々から頂いた感想の中には、こんなものもありました。

「○○さんは常に小さいころから目標を持っていて、それに向けて計画を立てて実行しているところが羨ましいと思いました」
「やっぱりハーバード生だけあって学びを深めるための記録の仕方や、行ったことの多様さが自分と全然違う
「○○さんは色んな事にチャレンジしていて、私とは真逆だと感じた」

講演後に匿名で頂いた生徒の方々の感想より抜粋

これらの感想に共通するのは、「この人ははるか雲の上にいて、自分が追いつける存在ではない」という意識だと思います。

中高生にお話をするということが決まった時、できる限り生徒の皆さんがこういう印象を抱かないようにと工夫をしたつもりではいましたが、私はこの感想を読んで、まだまだ訓練が足りていないな、と反省しました。

私がこの「雲の上」コメントを重視しているのには二つの理由があります。

まず、彼ら/彼女らにとって私は全く「雲の上の存在」ではありません。私自身、中高時代は全く海外経験がなく、周りと同じようにそこそこに勉強し、そこそこに遊んでいました。むしろ、中高生の時点でボストン研修に参加するような中高生に比べれば、私はあまりにも「怠けた」生徒だったと思います。つまり、まず事実として、「雲の上の存在」などではないのです。

そしてもう一つ、「雲の上の存在」だと思い込んだ瞬間に、聞き手は講演内容を自分自身と重ね合わせなくなります。聞こえてくる話を、単に”誰かすごい人の物語”として聞くようになってしまいます。本当であれば、その話の中に聞き手の自分でもできること、学べることが散りばめられているはずなのに、「この人は自分とは違う」という先入観がその学びを妨げてしまいます。

私が講演をする理由は、生徒の皆さんに「雲の上の存在」だと思ってほしいなどというものではありません。それよりも、私の講演を機に、彼ら/彼女ら自身の生活が(かっこよく言えば人生が)、少しでも前向きに変わったり、希望を持てるようになったり、選択肢が広がったりすることがゴールです。これは私のゴールでもあり、私に講演を依頼してくれた方々(先生方など)のゴールでもあります。

どうすれば、この「雲の上」の意識を和らげられるのでしょうか。

AIによる「雲の上の存在」の描画。相変わらず独創的である。

「雲」を作り出すパワーの存在

講師として、人前で話すことには、常に「パワー」が付きまといます。「パワー」は「権威」とも言い換えられますが、「この人の言うことは正しそうだ」と無意識に思わせてしまう力です。そしてこのパワーが講師の側に溜まりすぎると、聞き手はその人を「雲の上の存在」だと思うようになります。

パワーは様々な要因から生まれます。

まず、「社会的規範から生まれるパワー」は強力です。ハーバード大学の大学院生、と聞くだけでも、中高生の多くは「何でも知ってそう」「すごいことをたくさん経験してきてそう」などと感じます。その他にも、私の方が年上であること、(時には)男性であること、などもこのパワーに含まれるでしょう。起業家、資産家、弁護士、医師、などのワードを聞いたときに私たちがイメージする「キラキラ感」もこのパワーに属します。

次に、「役割から生まれるパワー」もあります。私は「講師」という役割で生徒の方々の前に呼ばれていますし、先生方からも「有益な情報を教えてくれる人が来ました」と生徒に紹介されます。当然パワーが集まっていきます。

さらに、「構図から生まれるパワー」も存在します。大きな教室で、前に立つ私とそれを座って聞く生徒。目線の高さも声の通り方も大きな差があります。

他には、「第一印象から生まれるパワー」もあるでしょう。スーツを着て低い落ち着いた声でしゃべる人は、ボロボロのシャツを着て高い声で早口でしゃべる人よりも信用を得やすかったりというのはこれに当てはまります。(その是非には触れません)

これら全てのパワーが、基本的には講師である私の側に集中しています。ですから、放っておくと生徒が私のことを「雲の上の存在」だと思ってしまいやすい状況が、既に出来上がってしまっているのです。

(注1: パワーが完全になくなると、それはそれで問題です。それが意味するのは、「なめられている」状態に近いからです。ある程度話を聞いてもらうためには一定のパワーは必要です。)

(注2: 一部のパワーは私ではなく生徒たちが握っています。それは「数から生まれるパワー」です。40人近い生徒全員が全く同じ意見を述べたら、私は彼らが正しいと思い込むでしょう。)

さて、パワーバランスが感情にどのような影響を与えるかを示したのが下の図です。相手のパワーが自分よりあまりにも大きいとき、人は恐怖を覚えますし、逆に自分のパワーが大きすぎるとき、人は相手を蔑視し始めます。

今回私が経験した講演では、講師側にパワーが蓄積しているため、デフォルトで生徒が私に抱く印象は①恐怖と②尊敬の間あたりになります

仮に私の役割が、生徒を洗脳し、海外留学の良さを喧伝することなのであれば、それで問題ないかもしれません。

しかし、生徒の方々に私の経験を聞いてもらい、人生の選択肢を広げてもらうことが私の役割である以上、このバランスは理想ではありません。彼らに盲目的に従ったり信奉したりしてほしいのではありません。

よって②尊敬と③興味の間あたりにパワーバランスを調整することが理想なのですが、これを「パワーを持たない側」(≒生徒)が行うのは困難です。一般的にパワーは、弱めるよりも強化する方がはるかに難しいからです。

だからこそ、常にパワーを持っている講師側がパワーバランスを崩しにかかる(雲をかき消す)ことが必要だと思っています。

「雲」から降りるために

さて、それでは講師として「雲」から降りてパワーバランスを崩しに行くにはどうすればよいのでしょうか。

今回の経験を踏まえると、私は生徒の皆さんに3つのメッセージを伝えるのが重要なのではないかと思っています。(まだ思索中です)

①先入観の解体:「私が正解ではありません」
②自己の開示:「私も昔はそうでした」
③優越感の提供:「私を踏み台にしてください」

①先入観の解体:「私が正解ではありません」

私が生徒さんにお話をする内容の多くは、彼ら/彼女らが普段学校の授業で経験する、先生が答えを解説する類のものではありません。私自身の個人的な体験をもとに、目標設定や仕事選び、継続的な学習・成長のための一つのアプローチをシェアするものです。

それなのに、たとえば「海外で英語を使って活躍するにはどうすればいいか教えてもらおう」という"正解を探す"スタンスで生徒が私の話を聞いていると、自分が苦手なことが出てきた瞬間に「やっぱり私には無理だ」と諦めてしまいます。正解は一つだと思っているからです。

しかし本当は一人一人得意不得意があるのですから、自分ならではの方法を今後見つけていけばいいはずです。ですから、「この人は正解を教えてくれる」という先入観を解体しにいくことはとても重要です。


②自己の開示:「私も昔はそうでした」

これが最も重要なメッセージだと思います。先にも書いたように、今遠い存在に見える「ハーバードの大学院生」は実は昔は自分と同じような中高生だったと知ることは、社会的規範から生まれるパワーを解く有効な方法です。

私自身、生徒の方々へのプレゼンテーションでは、序盤で自分のこれまでを小学生から順に、中高大、そして社会人と振り返ります。当初は「誰も自分の小中高時代なんて興味ないだろうし、彼らが興味がある大学時代の話から始めればよいだろう」と考えていました。しかし、基本的に彼ら/彼女らは大学生活がどんなものかすらまだ知りません。そこで私が何をしたかをいきなり聞いても、知らない人が知らないところで知らないことをしている話にしか聞こえません。

だからこそ、小中高時代は全く海外経験も目的意識もない、平凡な中高生だったという事実をある程度時間をかけて話します。そうすることで、「この人は自分と同じような状態だったんだ」という目線合わせができ、その後の大学・社会人の話も自分事として自分を重ね合わせながら聞いてもらえると思います。

ある生徒の方から実際に頂いたコメントの中に、こんなものがありました。

○○さんの話の中で、自分と似ていると思ったことが、自分が何がやりたいのか分からなくなったという点だった。大学へ行きたいという大まかな目標はあるが、「その先は?」「そもそも何が学びたいの?」と聞かれたら答えられないと思う。その答えを見つけるために、○○さんのようにたくさんのことにチャレンジできるかは分からないが、まずは高校生のうちにボランティアなどに参加したり、□□コンテストなど手の届きやすいところからチャレンジしたい。

頂いたコメントより抜粋

こんな風に私の話を自分自身に重ね合わせて聞いてくださる生徒さんがもっと増えるように、話し方を工夫していきたいと思います。


③優越感の提供:「私を踏み台にしてください」

②「私も昔はそうでした」から、もう一歩聞き手側に歩み寄るメッセージがこれです。具体的に言えば、「私もみなさんと同じく何の目的意識もない生徒でしたが、今は何とかやりたいことを見つけてここにいます。今日話す私のこれまでの迷いや教訓を踏み台にして、私より先に行ってください」というメッセージです。

目の前に既に自分と同じ悩みを抱えていた人がいるのであれば、その人の学びをそのまま自分の学びにしてしまえば手っ取り早いじゃないか、というある種のお得感・優越感を感じてもらえれば、パワーバランスは大きく崩れていきます。

大げさに言えば、「講師に教えてもらおう」のスタンスから「講師を利用してやろう」のスタンスへと変化を促すのが、このメッセージだということになります。


以上が、これから私が心がけていきたい3つのメッセージでした。

(なお、この3つのメッセージは講演の序盤に固めることが重要です。一度「この人は雲の上の存在だ」と実感してしまうと、その後自分の話に相手を引き戻すのはとても難しいからです。)



相変わらず、書き始めたら筆が止まらなくなり長文になってしまいましたが、私が中高生との対話から得た学びをご紹介しました。この夏もいくつか講演関連のお話をいただいているので、そこで上記のフレームワークを実践して、また磨いていきたいと思います。

ではまた。

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