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引っ越し初日のご飯はあらかた不味い

「寮」に引っ越した。

「寮」といっても、人々がイメージするようなTHE 寮ではない。大学が保有している建物、というだけで、実際にはただのアパートである。

築年数は100年、しかし家賃は日本円で約30万円。実はどちらも桁を間違ってるわけではない。
この全くお財布に優しくない価格設定からも、寮と呼ぶのがいかにふさわしくないかがおわかりいただけると思う。(ただし水道光熱費は含まれている。ここは素直にありがたい。)

その「寮」に引っ越した初日にがっかりしたことが3つある。(もちろん、思ったよりも広かったとか、コンセントがいっぱいあったとか、よかったポイントもあるにはあるが、ここでは省略する。)

1. エアコンがない。

これはよくよく読めば契約書にも書いてあったのだが、常人はそんなところまで読んだりはしない。私の住むボストン(正確にはその隣のケンブリッジ)は基本的には夏が冷涼、冬が極寒という気候である。とはいっても、夏は夏であって、日中暑い日がいくらかある。事実私が到着した日はなかなか暑かった。エアコンが欲しかった。

しかし、そうはいってもここの暑さは一時的、かつ(東京に比べれば)生易しいので、がっかり度としてはそこまで高くないと言える。

2. シャワーの水圧が弱い。

これは日本でもよく聞くお悩みだが、ここのシャワーはとにかく弱い。イメージとしては、日本の典型的な鹿威し(ししおどし)の竹にちょろちょろとそそぐ水くらい頼りない。

何かがおかしいと思いYouTubeの怪しいTips動画なども試してみたが、心なしか強くなった気がする、程度の改善だった。そして皮肉にも、風呂場ではなくキッチンシンクの水圧は異常なまでに強い&シャワーよりも熱い湯が出る。この手の嘲笑うかのようなジョークはイギリスの専売特許だと思っていたが、どうもアメリカもなかなか負けてはいないらしい。

とはいえ、これも時間が経てばいくらか慣れるであろうし、最悪シャワーヘッドを自分で購入して付け替えてしまえばよい、ということで何とか平静を保っている。(正直、築100年の設備なので、リプレイス品が売っているのかは謎だが)

3. 謎の虫が大量に生息している。

正直これは予期していなかった。

入居してすぐ、部屋の収納スペースを確認しようと、備え付けの棚や引き出しを一つずつ開けていった。すると、なんとキッチンの引き出しのほぼ全てから謎の虫の死骸 and/or 生きているものが複数発見された。

虫そのものはそこまで大きくはなく小柄なハエを縦に伸ばしたような羽の生えた生き物である。捕まえるのも容易で、ティッシュで軽く叩くと簡単に息絶える。

しかし問題はその数だった。引き出しに驚いてキッチンの床やテーブルを改めて見ると、そこら中に死骸が転がっているではないか(もちろんリビングにも)。

その瞬間、私には「大駆除作戦」を始める選択肢もあったわけだが、そうもいかなかった。死骸については掃除すればよいとはいえ、まだ掃除器具もほとんどそろっていない。生きている連中についても一つ一つつぶしていけばよいのだが、13時間のフライトを終えてようやく命からがら日本からたどり着いた身にはあまりにも惨めな作業だった。

そこで私は大胆にその虫(たち)を放置するという選択をした。その日はもう遅かったので就寝したのだった。


翌日、目を覚ますと無性に料理をしたい気分だった。日本でよく作っていたシンプルなペペロンチーノが食べたくなった。

そそくさと食材を買い集めた。近くのスーパーは思ったよりも品揃えが良く、日本と同じレベルの食材が手に入った。高揚感を感じた。そしてガスコンロで丁寧に料理した。虫の死骸が目に入り、時に目の前を虫が飛び回る状態だったが、「作ってしまえばこっちのものだ」と思っていた。なぜなら、美味しいものは美味しいに決まっているからだ。

食べた。美味しくなかった。もはや不味かった。

味に違いはないはずだった。多少の材料の差こそあれ、麺は日本と同じものを使ったし、オリーブオイルもエキストラバージンだった。それでも、不味かった。


料理は環境で不味くなる。

よく、レストランの評価で「味は良いが、店員の態度が悪かった」「料理は絶品でしたが、テーブルの汚れが気になりました」といった書き込みを目にする。これは私も経験がある。料理の質が良くても、食べる環境が悪いことで、結果的な「食事体験」が悪くなる、という類のものだ。

しかし、今回私がたどり着いたのはもっと大胆な結論だった。環境があまりに悪いと、「料理そのもの」の味まで悪くなるのだ。虫の舞うキッチンで死骸を見ながら調理し、その残像が脳裏に残ったまま、テーブルも椅子もまだ届いていない部屋で床に座して食べるペペロンチーノは、本当に美味しくなかった。


引っ越し初日のご飯は概ね不味い。アメリカに来てから考えた、自分なりの仮説第一号である。

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