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に:「SNS」と「文通」

 「SNS」が頭に浮かんだ。私もやっている。
 そのあと、「文通」が浮かんだ。

 私は昭和50年代の生まれだ。小学校5年生頃から女子を異性として意識していたと覚えている。6年生頃から「文通」をしている子たちがいた。

 中学生の時期、初めて女性から手紙をもらう。他愛もない、今日の授業のことや、質問などの内容だ。

 中学3年生の時を思い出す。初めて、告白の手紙をもらった。嬉しかったのを覚えている。あの頃は、みな純粋な気持ちだった気がする。達筆だった。

 高校生の時、ポケベルが流行った。私は持っていなかったので、何が良いのか分からないが便利だったようだ。その時でも、友達の女子から手紙をもらい、お互いの印象や他愛もない事を手紙にして「文通」をしていた。楽しかった。

 高校卒業後、県外へ進学、就職した友達との「文通」のやり取りがとても新鮮で楽しかった。

 大学時代、初めて彼女ができた。その彼女とは大学卒業し、遠距離恋愛であったが、その時でも「文通」を通して、お互いの気持ちを伝えあったのが新鮮だった。

 その彼女とは卒業後別れたが、その後もお互い辛い事があった時励ますために手紙を出したり、もらったりと「文通」を通して分かり合った。

 鉛筆、ボールペンを握り、文房具屋で買ってきた用紙に、直筆で書く。書いてもらった手紙を読むと、その人の優しさが伝わる。それが非常に良かった。

 インターネットの普及が進んできた頃、携帯電話、メールといった手段が出てきた。手紙をだす、「文通」という事は薄れていったような気がする。手軽だから。

 そして、時代は「SNS」の時代。色んな自己表現の道具が増えた。そのことに関してはとてもいいことだし、便利だ。

 手紙とは違って、すぐに相手にボタンを押すだけで、伝える事ができる。連絡や報告、相談、面白い発見を直ぐに画面上にできる。便利だ。昭和生まれの私でも日常で当たり前のように使っている。字を書くことは減ってきた。

 ただ、嫌な事もある。誹謗中傷であったり、いじめ、詐欺と連日の情報番組で伝えている事のバックグラウンドでは、この便利な手段が使われていることも事実。

 また、余裕がなくなってきたのではないかと私自身感じる。返信がないことへの苛立ちや悲しみ。負の感情が大きくなっている気がする。

 

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