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1/4/2020

久しぶりにノートを開いて、約2年前に書かれた記事を発見した。今の思考とは全然違うから面白いなと思って。

2020年にこの記事で自分は優しい人間ではないなーっていってた笑笑。優しいことは私のidentityじゃないみたいな。2022年、人が困ってたら助けるのは当たり前、おもいやりに溢れた日常ラブ!だったから。いやいやこの2年になにがあったんや、と思うくらい真逆で笑う。

おもいやりがある、優しい、愛のある人。それが私の今年の目標だった。

小さいことでゆうと、「写真、撮りましょうか?」の一言とか。お皿がない時に「もってくるよ」の一声とか。その一言声がかけられるかかけられないかって結構大きなところだと思う。あ、誰か困ってる、一言かけようかな、辞めようかなっていう選択。今年は絶対行動しよう!ってきめた、躊躇うのやめよって。だって出来なかったら後悔するし、たった一言だし。それがめっちゃ大きかった。

カルチャーだよって言われればそうなのかもしれないんだけど、日本に久しぶりに帰る時、重たいスーツケースを持っていたらオーストラリアでは色んな人が手伝ってくれた。大丈夫?持とうか?みたいに。でも日本は誰も声さえかけない、明らかに困ってたのにね、でもこれってカルチャーなの?って2022年の私は思ってしまったんだよね。当たり前だけど男の人の方が力がある。だから自分がやれる事だからやろう、ってマインド。レディーファーストとかそういうことじゃない、自分に出来ることがあるから手伝おうってそれだけ。そんなシンプルなことなのにねって、

だけどそれを日本はなぁっていう風に言うと、カルチャーの押しつけやめてって言われるのが悲しい。わたしは、ただ、迷惑かもしれない、声掛けないほうがいいかもしれないって思うのを辞めた。その躊躇を捨てた。いいのか悪いのかは分からないけど私はこれでいいとおもってる。

実家に3年振りに帰った時、できるだけあばあちゃんのお手伝いした。自分の大好きな人に楽してもらいたい、そういう気持ちって当たり前のことで別にいい子だと思われたいとかじゃない。

そういう気持ちで居られることが当たり前に増えた。年齢は全然関係ない。

ただ人間として、成長できてる、そう思った。高校卒業するとき、わたしの性格っていうものはもう確立していたし、自分がどういう人間なのかよく考えて分析して、知っていた気がする。もうこれ以上変わらないと思ってた。今思うと、なんと無知な事だったんだろうと、。私はこれからも変わっていくし、変わっていきたい。


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