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はんにゃの金田はヤンキー高校の中で、標的にされないように存在を消して生活していたらしい。

こんばんは。

2週間ぶりの真菰です。先週は色々ゴタゴタしててなかなかnoteを書くことができませんでした。この写真は先週行った焼き鳥屋さんのレバーです。一本100円なのに大きくて美味しくてめっちゃコスパ最高だし幸せでした。皆さんも是非。

言い訳です。はい。すいません。今週からはきちんと締め切りまでに出せるようにします。自分に甘くしてしまうとどんどん怠惰な方に流れていってしまうので注意しないとですね、、

ということで今週のテーマは「間合いとは何か〜二人称的身体論〜」の読書感想です!

この本を本屋で探したところ、自分一人では多分見ることのない棚に置いてありました。人の趣味であったり、読む本を知るというのは自分の世界観が広がるような気がするので楽しいものですね。

この本は題名的に難しいのかなと覚悟して読んだのですが、意外にもスラスラと読むことができました!

では本題に入りたいと思います。

①間合いとはエネルギーのようなもの

本書にて繰り返し出てきた表現です。柔道のような直接的な対人関係を伴う競技はもちろんのこと野球のように対物のスポーツにも間合いがあるようです。

自分のゴールキーパーとしての経験でも、例えば一対一のシーンで、相手のスピード、ボールとの距離、目線、体の向きなどさまざまな要素を直感的に感じ取って自分のポジショニングを決めていました。本書の表現を借りるならばそれはエネルギーを感じとって自分の行動パターンを決めているということだろうと思いました。

このエネルギーのようなものは本当にあるのだなと思います。鬼滅の刃でも柱の中でさらに技を上達させた剣士たちは「透き通る世界」に至ると書かれています。これは相手の血流や筋肉の動きなどが透けて見えるというものです。この能力によって次に繰り出される攻撃の予想が立てられます。

ただここでふと疑問に思ったのが、そのエネルギーのようなものを我々はどのように感じ取っているのかということです。

本書は、間合いとはなんぞやというところに焦点を当てていたので、何によってエネルギーを感じ取るかというところまでは言及していませんでした。人間は視覚が知覚のほどんどを占めると言われていますから、間合いを感じるのはおそらく視覚であると思います。しかしスポーツの世界においてはゾーンという瞬間に入ることがあります。ボールが止まって見えたり、相手の動作がスローで見えたりという瞬間です。またブラインドサッカーの選手は目が見えていなくてもまるで見えているかのようなレベルの高いプレーをする選手もいます。それを考えると人間は五感をフルに使って間合いを感じているのだろうと思いました。


②モノになる

歯科検診における間合いの分析の章における記述です。歯科医に検診を受けている間、自分の間合いの中に歯科医が入り込んでくるため非常にきまりが悪くなるのはよくあることです。そんな時、人は目線をそらしたり、目を瞑ったりして、医者からのエネルギーを緩和しようとすると言います。この状態のことを、モノとして振る舞う、と言うそうです。

無の状態とでも言うのでしょうか。強い剣士からは殺気が伝わってこないと言います。自分から出るエネルギーを調節して相手を一瞬のうちに斬る。

人は相手から出るエネルギーのようなものを感じ取って間合いを決めているということですから、エネルギーを感じられず間合いがうまく取れていない状態のうちに斬られてしまう、というのはすごく理にかなっているような気がします。


③一人称的視点を自覚しつつ記述する習慣は次第に相手や対象となるものに対し二人称的に関わる境地に達する

本書のまとめのところで書かれていた一文です。筆者の仮説のようです。

なるほどなあと思いました。

僕は大学時代までサッカーをしてきたのですが、その中で長年一つの疑問を持っていました。練習をするのは試合に勝つことが目的なのに、どうして試合を模した実践的な練習をたくさんしないんだろうと。

この疑問を持った理由は僕の勉強法にあります。僕は教科書を読むのが嫌いです。成績を上げるためにはより実践的な問題集をたくさん解く。その方が実際の出題形式もわかるし、問題を解く中で知識を覚えていった方が効率的だと考えていたからです。

そう言う意味で、サッカーで試合に勝つためには実戦を模した紅白戦やシュート練習、対人(二人称的練習)をたくさんやるべきだと思っていました。つまりキーパーでいえば型の練習やハンドリングの練習といった一人称的練習はそんなにやらなくてもと思っていました。(専門的すぎてわからない人はスルーしてください。)もちろんそういう練習でも真面目に取り組もうとはしましたが。笑

感覚的にはそのような地味な練習の大切さはわかっていても、きちんと理解できていないというような状態でした。

だたこの本を読んで一人称的な練習の大切さが理解できた気がします。

それは自分のエネルギーの動かし方だったりを自覚することにより、他人のそれも理解できるようになり、結果として勝ちに繋がるということです。

ああ

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」ですね!

なるほどという感じでした。笑



今週は読書感想文ということでした。2週間ぶりということもあり、若干忙しかったということもあり、なかなか深く考えることができませんでした。

時間的余裕は大切ですね。

ではまた。



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