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贅沢のコントロール

大人になって、好きな時に好きなおやつを買えるようになった。仕事の休憩時間にコンビニスイーツを買いに行ったり、スナック菓子や、チョコレートのファミリーパックなんかはストックしておくようになった。お菓子だけじゃなく、誕生日にしか食べれなかったケーキも、残業頑張ったし…、部屋の大掃除できたし…、彼氏と別れた記念日だし、と、なにかと理由をつけて食べれる。

最初は、こんな贅沢できて幸せだなあ~大人って最高と感じていたが、いつの間にか、その生活が普通に変わり、贅沢の感動が薄れていく。

まだ、少し高価なお菓子や、あそこのケーキ屋さんのシュークリームも特別でいたいのに。

いろいろ考える。贅沢を感動できるにはどうすればと。やっぱり自分でルールを決めることに尽きるような気がしたので、1か月お仕事頑張ったから、これ食べよう。1つのプロジェクト成功したから、シュークリーム買って帰ろう。と、ご褒美化する。タイミングを計算して食べるのだ。達成感とともに幸せが二倍になる気がして、ささやかな楽しみに変わる。

贅沢の質を上げなくても、また感動できた。が、ただだんだんと疲れてきた・・・

どう頑張っても小さいころと同じ感覚にはならないのは、工夫して、わざわざ贅沢にルールを付けたからだ。「好きなものを食べたいときに食べると、感動がなくなったため、感動を取り戻そうとする作業」をしている。

この作業、はっきりいってめんどくさい。

大人になるにつれて、自由になる。憧れていた大人は、なんでも手にできて時間も自由に使えて、自分で考えて行動できるが、沢山の知恵と荷物を背負いすぎて、どれだけシンプルに生きれるか?と考えがちになった。この課題は、子供のころなら気づかぬうちにクリアしていたことである。

「どれだけシンプルに生きるか?」と考えること自体お荷物だ。ただ、こんな思いがふつふつ沸く大人に、ワクワクしている。気づけることに楽しさを感じている。

ノー天気破天荒なジュニアポポも楽しかったが、背負い込んだものをぽんぽんと減らして身軽にしていくアダルトポポも楽しい。

贅沢のコントロールはめんどくさくても続けてみる。もっと気づくことがあるかもしれない。またその時に、思ったことをつぶやこう。

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