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全ては、おっぱい合宿から始まった。

「全く出てないやんかぁぁぁ!私の乳!」

初めて長男に授乳した日の私の心の叫びです。
(ちなみにアイキャッチ画像は、産後1ヶ月のくたびれた私。)

乳が出ない!

私が出産したのは、母と子が別で過ごすスタイルの病院だったので、3時間おきにお母さんは授乳室に集まり授乳をします。どれくらい母乳を飲んだかの目安を知るために、飲む前の子の体重を計ります。そして 10-20分程度よくわからないなりに助産師さんに教えてもらいながら授乳したあとで子の体重を測る。すると、


子の体重
飲む前3650g
飲んだ後3651g

1gしか増えてない……
つまり1mlしか飲めてない……


目を疑い、いろんな可能性を考えたけど、間違っていないようで。「やっぱりまだ上手に吸いつけてないみたいなので、今回はミルクを飲ませましょう。80mlミルク追加〜」と、まるで居酒屋でビールのお代わりと頼むかのようなノリで助産師さんが言と、別の助産師さんがミルクを持ってきてくれました。

そんなバカな……。
呆然としました。だってだって、子供を産めば、水道の蛇口をひねれば水が出るかのごとく母乳がじゃあじゃあ出ると思い込んでいた。いや、もちろん母乳育児がうまくいく人行かない場合もあることは知ってましたよ。「たまごクラブ」に書いてあったから。だけど私は大丈夫だと思い込んでいた。私はややぽっちゃり体系なので胸はそんなに小さくなかったし、妊娠するとさらに大きくなりますよね。だから出るに違いないという謎の自信がありました。なのになのに、なんでやねん!

呆然としながらミルクを飲ましていると、隣で驚きの光景が。私の隣で授乳していた、同じ日に子供を産んだママさんは母乳だけで90ml以上飲ませている猛者であることが発覚した。


私1mlで、お隣さん90ml。
神様、母乳格差がすぎやしませんか。


何を隠そう私は教科書通りに物事が進むのを好むので、そうならないと非常に焦る傾向にある。そのくせ下調べが甘く、なのに勢いで行動する癖があるので、何かをやると大抵派手に失敗する。この時もそう。私は大いにうろたえた。1mlってつまり1gだから、目くそ鼻くそ耳くそと変わらない重量じゃないか。それなのにお隣さんは90ml!!

気になって仕方がなかったので、授乳している最中に「特別なことをしてるんですか?」と90mlの猛者に質問しました。さぞ怪しかったと思う。90mlからは「特にないけど、マッサージをしてる」と聞きつけたので、これだと思った。「私はマッサージをちゃんとしてなかったからダメだったんだ。」そうとわかったら…即マッサージ!


乳のクリーチャー化

部屋に戻りずーっと乳をマッサージし続けた。1日数分を2,3セットで良いと書かれているものを4時間くらい延々続けた。途中手が痛くなったけど謎のガッツで頑張ってしまった。というのも、私は妊娠38週目で急遽帝王切開が決まって、検診の翌々日に出産することになった。長男の頭がでかく、私の骨盤が小さかったらしい。

繰り返しますが、私はややぽちゃだからお尻も小さくないんです。なのに骨盤が小さいだと?私のケツってオール脂肪だったのか。つらっ……。というわけで、出産の時から予定通りに進まなかったので、私はうろたえていた。子供が無事に生まれて幸せだったけど、出産時のバースプラン崩壊したことは、ちょっとした心のしこりになっていた。

そのつまずきをちょっとでも取り返したかった。たまごクラブに書いてあるように物事がうまく進む=いいお母さんだと思い込んでいたから。また産院には「当院は母乳育児を推進します」ってポスターがでかでかと貼られていた。あくまで「推進」なのに刺激に弱い私は、それをmustと思い込み、「母乳育児をやらねばならない、じゃないといいお母さんじゃない」と思い詰めた。

そんな思いでマッサージを4時間くらい延々と続け、少し寝た。起きたらきっと母乳が溢れるに違いないと夢見た。


数時間後訪れたのは……、巨大化した自分の胸だった。巨乳とかセクシーの域を超え別の生き物のごとくクリーチャー化した胸だった。

なんじゃこりゃ!!!!!!
ただのおっぱいモンスターやんか!!!!


慌てて助産師さんに泣きついたら「マッサージのやりすぎで腫れています。書いてある時間を守ってね。」とやや呆れて言われる始末。かくして次の授乳時間は我が子に母乳をあげることすらできず、モンスターおっぱいをタオルでくるんだアイスノンで冷やしながらミルクをあげることしかできなかった。

アホすぎるし無力すぎる自分を恨んだ。なんで私はこうなんだろう。私はただ、一生懸命この子のために何かしたいだけなのに。こんな調子で入院期間中は母乳が出る方法のことしか考えない、おっぱい合宿になっていた。その甲斐あってか退院する頃には20mlくらい母乳を飲ませられるようになった。でも新生児が1回の授乳で必要なのは80ml-100mlくらいと聞きました。残り60-80mlはどうしたらいいのか?しかも子が大きくなるにつれてこの必要な量も増える、だったらその差は開く一方。私はどうすれば……。


一人おっぱい合宿

退院してからも一人おっぱい合宿は続いた。ミルクに切り替えるという選択肢もあるのに、「この子のためにできることをやるのが良い母の証だ」と勝手に思い込んで、

インターネットで
「母乳 出ない」
「母乳 出る方法」
「母乳 コツ」

など考えつく全ての検索ワードで調べを尽くした。ちなみにこういう時の私は、非常にねちっこく粘り強い。調査の結果わかったのは、どうやら母乳は3時間起きにあげるのではなく頻度が命。少量をずーっと飲ませることでホルモンが刺激されって母乳が出やすくなるらしい。

えええ、そんなこと書いてましたか?たま……。いや、少なくとも病院ではそんな話は一言もなかった。「母乳育児を推進しています」ポスター貼る前にそういうことを教えて欲しかったよ私は!

愕然としながら、毎日息子以上に乳のことだけ考えた。この辺今思えば非常に自己中。良い母であることより、腹を空かせてる息子のことを一番に考えてあげてってツッコミたい。でも当時の私にはできなかった。正確な飲んだ量を知るためにわざわざベビースケールをレンタルし、育児日記を事細かに毎日つけた。


少しずつ母乳は出るようになったもののそれだけでは不十分だと判断し、母乳専門の助産院に通い、適切なマッサージや授乳方法を教えてもらい、一人おっぱい合宿を続けた。今思うと狂気がかっていた乳への信念。そしてついに産後3ヶ月目にして完全母乳になった。つまり、ミルク0にまで減らすことができたってこと。勝った……もはや何に勝ったのかはわからないけど、できなかった自分に勝った。何事も努力。努力すれば大抵のことはできるじゃないか。ふん、ふふん!(鼻息です。)


……と思ったけど長くは続かなかった。


夜泣きでつまづく

母乳育児が軌道に乗り始めると、今度は夜泣きが始まる。母乳はさっきあげた。オムツも濡れてない。抱っこしていれば泣き止むけど、「じゃあ私はいつ寝ればよい?」と思うほど夜泣きやまない日が増えてきた。抱っこ紐で抱っこして時間が経つうちにそうだ母乳を…そうだオムツを…これで寝てくれますか?と思って布団に寝かせたら「ぎゃ〜〜〜〜」って泣く。抱っこ…母乳…オムツ…布団へ寝かすもまた撃沈。眠れないといろんなことにイライラしてきて、夫にも子供にも冷たくなる。頭がぼーっとしてくる。なんだこの苦行は。

夜泣きを克服するまでの間は、みなさんどうやって乗り越えたのですか?
イライラして0歳の息子にすら優しくできない私は頭がおかしいのでしょうか?

教えてください、ひよこクラブ
教えてください、ヤフー知恵袋
誰か教えて……

そしてはたと気づいた。私には友達がいない。妊娠期間中はギリギリまで仕事をしていたから、母親学級の類を全無視していた。また、高校や大学の友達の中では比較的早めに出産していたので、相談できる友だちがいなかった。夫はこの頃激務であまり家にいなかったし、母も近所に住んではいたけれど仕事を持っていたし、夫の両親は離れて住んでいたので実質いわゆる「ワンオペ育児」でした。


気づけば私は、孤独だった。

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(育児疲れが著しい2009年の私)



救世主現る

朝夫が仕事で家を出て行ったら私と息子の二人きり。世界と断絶された気がして泣きそう。いやいや、お母さんになったんだから泣くな私。そう思っていてもどんどん弱気になる。

そんな時に希望の光が。幸運なことに、幼馴染のSちゃんが近所に住んでいてしかも1ヶ月違いで出産していたことが判明したのです。「判明」と書いたのは、私とSちゃんが直接繋がっていたわけではなくて、うちの母とSちゃんの母同士がずーっと仲良しで、お互い転勤族で住まいが変わっても年賀状とかたまに電話する仲で親交を保っていたから。

あるとき電話でマイマミーが「綾は今大阪の上新庄に住んでいて、4月に出産で〜」って会話したら、Sちゃんの母も「えええ!うちのSも上新庄に住んでるし、あの子5月に出産したのよ。」と母同士のやりとりがきっかけで私は幼稚園の時ぶりに幼馴染のSちゃんと再会します。

Sちゃんは朗らかで可愛らしく、せかせかしている私とは大違いで彼女と喋るだけで私は落ち着いた。しかもSちゃんは妊娠期間中ちゃんと母親学級に通っていて近所にママ友を作っていたから、そのお友達のグループの集まりに私を誘ってくれた。私は一気に8人くらいのママ友ができた。


何度窓から放り投げようと思ったことか!

そこからは水を得た魚のように私は元気になった。日替わりでママ友の家に集まりお菓子を食べながら日々の育児の悩みやストレスを口々に言い合う。子供を産んだ時期が近いもの通しだから悩みは手に取るようにわかるし、そこへの向き合い方も人それぞれ。乗り越えたあとの鮮やかさではなく、現在進行形で悩みながら育児している彼女たちと会話することは正直どんな雑誌よりもネットの情報よりも私には価値があった。

あるとき「子供の夜泣きが酷くておかしくなりそうだ」と恐る恐る告白したら、「わかるわ。もうね、夜泣きがしんどくてこの子を何度窓から放り投げようかと思ったか」とAちゃんがあっけらかんと言う。その瞬間どっと笑いが起きて、私もゲラゲラ笑った。こんなに腹の底から笑ったのは産後初めてじゃないかなというくらいに。

当たり前ですが、一応補足すると私もAちゃんももちろん子供を窓から放り投げない。それくらい辛いよねっていう比喩です。でも追い詰められていることとを口にすることすら我慢していた私にとって、この一言にどれだけ救われたか。「そうか、私だけじゃない。みんな悩むし苦しいしもがいている。」このことが知れてそういう仲間と語り合い一緒に時間を過ごせたから、私はみるみる元気になった。

子供が1歳半になった時に、夫の実家の街に家を建てることになったから、引っ越しすることが決まった。寂しい。でもそこまで悲観的にはならなかった。引っ越すと言っても同じ大阪だし、はっきりと言語化はできていなかったけど、私はコツを掴んだのだと思う。こういう本音で語り合える仲間と居場所があれば私はきっと元気になれると。



コミュニティの原点

振り返ると私のコミュニティの原点は、産後のおっぱい合宿でのつまずき、孤独体験から始まったのだなと思う。学校も受験も就職もそれなりにいろいろあったけど、一応無難に乗り越えてきたし、人ともまぁまぁうまくやってきたから、自分がこんなにも無力で孤独になることなんて想像もできなかったんです。人っていとも簡単に孤独になるし、孤独になると人の気持ちは簡単に折れる。

それから何度もたまごクラブか〜と書きましたが、雑誌は何も悪くないです。子供がもう少し大きくなってからも今もやっぱり何か困ったら本を頼って答えを求める癖は変わらない。バイブルは欠かせない。私の精神安定剤です。でも本を読み込んだってイレギュラーは必ず起きる。だから本で知識を蓄え、その上でイレギュラーを乗りこなせたら最強なんじゃないかなって思考に変わりました。


孤独を感じても仲間がいれば大丈夫。
想定外のことが起きたって、仲間がいれば乗り越えられる。
人は一人だと弱いけど、弱いからこそ助け合い補い合うことで強くなれる。だから私はコミュニティが好きで、かくして私はコミュニティにどハマりしていくのでした。





このnoteは、作家 岸田奈美さん主催の「キナリ杯」で、特別リスペクト賞「ほぼ日刊キシダ新聞賞」を受賞しました!ありがとうございます。


#キナリ杯

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