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ニワカ富野信者から見た「シャア・アズナブル」という人物

我らがガンダムの親よ、永遠なれ!
富野由悠季監督、2021年度の文化功労者選出及び傘寿おめでとうございます!
富野信者気味のはらの、先日このような記事を目にしました。

富野監督ご本人からシャアについて言及されていたら語るっきゃないでしょ!
ということで、今回は富野由悠季監督とガンダムについて、ニワカ信者なりに少し語っていきます。

この記事にはガンダムシリーズのネタバレ、独自解釈が多数含まれていますのでご注意下さい。

▼シャア登場ガンダム視聴作品
機動戦士ガンダム / 機動戦士Zガンダム / 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編
機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 / 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
ということで機動戦士ガンダム THE ORIGINはノータッチです

問題の発言引用

『ガンダム』生みの親が傘寿直前に明かした「創作の秘密」https://news.livedoor.com/article/detail/21075012/

(前略)
現実の世界でテロなんてあっちゃいけない。裁かれるのが当たり前です。『悪のヒーロー万歳!』なんて言えるわけがない。僕はシャア・アズナブルに関しても一貫してそういう描き方をしてきました。なのに『理想の上司はシャア』なんて論調もあったりするから困るのよね(笑)

私が気になった発言はこの部分。
そうなんですよね、富野監督はシャア・アズナブルというキャラを肯定的には描いていないんです。
ではどんなキャラかと言えば、「理想の高い未成熟な男性」になります。

割り切れない男

シャア・アズナブルは理想の上司としてクローズアップされることもありますが、一方「シャアは上司にしたくない」というファンも結構多いです。
理想に燃えるオトコではあるのですが、マザコン説なども囁かれる不安定なライバルキャラなんですよね。
アムロとシャアの区切りとも言える逆シャアまで視聴して、「結局シャアは割り切れない奴」と思ったファンも多いのではないかと思います。

逆シャア最後のシーンで、未だララァの死を引きずっていると気付いた時の虚脱感は、アムロだけでなく視聴者も味わったことでしょう。
友情より復讐を取った割に落ち込んでるし、ダカール演説からのコロニー落としはするし、支離滅裂な言動にも程がある。
カッコつけて大人ぶってるけど全然割り切れてないじゃん!
男女平等の時代ではありますが、この「男のやせ我慢」を地で行く不安定さこそ、シャアという男の魅力と言えるのかもしれません。

ララァは帰る場所

初代ガンダムの最終話で主人公アムロは、ホワイトベースクルーを確認し『帰る場所がある』と涙しました。
待っていてくれる人がいる、引き返せる場所がある、そのことを『こんなに嬉しいことはない』とララァに伝えています。
つまり、アムロはアムロなりに一度ララァへの気持ちに区切りをつけてはいるんです。

しかしシャアはずっとララァの面影を追い続けていた。
キャスバルからシャア、クワトロと名前を変えるたび、シャアは「帰る場所」を失い続け、引くことが出来ず前に進み続けることしかでいなくなっていったのではないでしょうか。

シャアは逆シャアにおいて『ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性』だと発言しました。
勿論純粋に母性を見出していた面もあるでしょう。しかしガンダムは地球の環境保護や宇宙移民をテーマにしています。
母なる自然、母なる大地、母なる地球――……、これらすべては人類にとって癒され、守られる存在です。

シャア・アズナブルは果てしない孤独を抱え、ありのままの自分を抱きしめてくれる”母”という存在を求め彷徨った人物ではないかと思います。

まとめ

冒頭でニワカ信者と自称した通り、詳細や台詞をすべて記憶している訳ではありません。
でもやっぱり「シャアが理想の上司」というには違和感がある!
そんなもやもやポイントを、富野監督がドンピシャで言及されていたので書かずにはいられませんでした。

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