注意されてもわからない事
こんにちは、ハラキリです。
ゲーム配信者向け&ゲーム好きな人の居場所を作るDiscordサーバー「ゲーム好きな猫の集会」の管理人をやっております。
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NOTE再開した理由が、なんと文章で伝える力を鍛えるため…ということで、年中注意されていますが、反省の色なし!ハラキリです!
さて、個人的に人を注意するという事が少なくなりました。
ん?と思う方、いや子供とかに注意するとかそういう事ではないです。例えば〇〇はしないほうが良いよっていう場合、基本的に注意というか忠告みたいなのはサラっとして放置というスタンスを取ります。
え?冷たくないか?って思う方もいますよね?はい、ではちょっとこの事について説明します。
ずばり体験による学習が最も効果的だからなんですよね。
自分なんかもそうなんですが、散々注意されてても失敗する事はあるんですよ。だめだよ!って言われてもアチャーまたやっちまったーみたいな感じで、つまり忠告を殆ど受け入れてないと思います。
正確には本当にヤバいやつ以外はスルーしてるという感じです。よっぽど犯罪とかじゃない限りは注意や忠告は参考程度という感じです。
なぜでしょうか?
つまり失敗したりミスして痛い思いをしないと分からないんですよね…火傷をして初めて熱いものが怖いというのがわかるわけです。なのでまず先に体験から得られるフィードバックのほうを重要視してるという感じです。
こういう事すると注意や忠告する側が呆れかえります。それどころか見捨てられたりするんでしょうね…じゃあ、忠告する側の意見を聞き入れて言う通りにするのが正解なのでしょうか?
忠告や注意した側はそれでいいでしょうね、自分のアドバイスが役に立ったと実感できるわけですから。ただ、体験を通じて得られるフィードバック程役に立ってないというのが正直なところです。
つまりどういうことか?私たちは人の意見を聞き入れる事も重要ではあるんですが、基本的に体験によるフィードバックに勝るものはない・・・という事なんです。これは数々の失敗をしてきた自分だからこそ言える部分でもあります。
注意や忠告はともすれば、その人の成長を阻害する可能性も秘めている諸刃の剣なわけです。注意や忠告の仕方次第では、本当にマイナスにしかならない場面もよくあるわけです。
とはいえ、体験する側も考えておかなければならない事も沢山あります。
あくまで体験が一番といっても、失敗のダメージが大きすぎる場合は純粋に危険なわけです。もちろんこれは個人差がありますが、責任というものも大きくのし掛かってくるので、それを受け止めれるか否かという問題があります。
それを踏まえて自分はあまり注意をしなくなりました。とりあえずどうなるか?というのを体験してもらうのが一番だと。ただし絶対にマズい場合は注意などではなく引き留めます。確固たる言葉でやめておけ!という事にしています。
そしてそれ以外に関しては、うーん…といいつつお茶を濁す感じで軽く助言だけして終わります。中途半端な回答にしかならないんだったら、もういっそふわっとした言葉だけで、あとは本人の意思に委ねて、見守るほうが良いと思うようになりました。
いかがでしたでしょうか?自分も昔は人に注意や忠告をするのが好きでしたが、今はむしろ見守る事を主としています。これは見ている本人も辛いんですけど、自分がそうであったようにその人にもそうであって欲しいという願いが込められている…といった感じですね。
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