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宇宙からみたらどうでもいいけれど、人生最大級が毎年更新されていく

ーこれ、やりきれるんだろうか・・・?

先日終わった仕事を担当することになった時、そんな気分だった。

先が一切見えない、全体像が全くわからない、進め方が不明、やり切れる自信はない、事故が起こる予感しかない。

え、これをこの体制で進めるのは理不尽っていうか、無理ゲーでは・・・負け戦の香りしかしないyo・・・という感じだったけど、なんとか無事に終わった。

これが終わったとき、どんな気分になるんだろうか。ものすごい達成感なのだろうか。


宇宙から見たら超絶どうでもいい

宇宙から見たらどうでもいい、宇宙から見なくてもどうでもいいであろう、そんな私の仕事だけど、私にとっては人生で3本の指に入るハードさだった。「不安」という点でも、そう。

一日に何度も頭が沸騰したけれど、その度に「宇宙から見たらどうでもいい・・・私だけじゃない、この世界のみんながそんなどうでもいいことに一生懸命沸騰しながら、ベストを尽くしてるのがこの地球・・・」とか意味不明なポエムを頭の中で流していた。

終わった時、どんな気分になったのか。思い返してみると・・・特に達成感はなかった。なんとも言えない気持ちだった。気が抜けたと言ってもいいのかもしれない。

やっと終わった。

無事に終わった。

良かった。

ほんとによかった。

ただ、それだけだった。不思議な感覚だった。

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過去の決断は変えられない、変えられるのは未来だけ

至極当たり前のことだけど、特に昨年末くらいから自分の中にしみ込ませてる、この言葉。普段、自分の決断を悔やむことはあまりないのだけど、昨年は、過去の決断を悔やむことが結構あった。

過去に対して悔やみまくって、悔やみきった末に出した答えは、悔やんでいる過去も含めて全て昇華させ、新しくステップを踏んでいくしかないってことだった。

燃やした先には、きっと新しい何かが待っているだろうし、その先に見える未来は絶対無敵にするんだ、と思って生きていこうと思った。物事が過ぎ去り、終わっていき、また新しく始まることがある。全て受け入れて、燃やすことは、未来をつくることなんだ(ポエム・・・)。

そんな気持ちで挑んでみた仕事だった。ここで書いてる仕事以外にも並行している業務があるわけで、そちらもそちらで色々大きな動きがあって。途中、結構パニックにもなったけど、なんとか無事(?)新しくステップは踏めた気がした。

からあげを食べると元気がでた


いろんな角度から振り返ってみる。とにかくがむしゃらに頑張った。

最初は様子を見た。全体像が解る気配はなかった。どうしようもないので、着手可能なTodo、不安要素、ゴールを洗い出した。段階的に、それを潰していった。

2月中旬くらいには、ゴール地点が見え始めた。それでも完走出来る自信は全くなかった。自信なんてものは、当日まで全くなかった。終えるまで、ずっと不安だった。

辛かったけど嬉しいこともたくさんあったし、新しい自分をたくさん知った。

例えば、この間、いつも必ず甘いものを食べていた私の朝ごはんから、甘いものが消えた。甘いものじゃ乗り切れなかった。というか、「食べたい」と思わなくなった。自分が極限にたった時、体が求めるのは甘いものじゃないことを知った。

朝ご飯に求めたのはカロリーだった。朝からカレーを食べた。パスタを茹でた。卵かけごはんをたくさん食べた。

あと、からあげをたくさん食べた。からあげを食べると頑張れた。からあげを食べるとパワーが出た。ありがとう、からあげ。タンパク質とカロリーのバランス栄養剤かもしれない。

普段から食事にほんの少しだけ気をつけているからか、自分が今必要な栄養を正しく欲せていた気がする。

「その時の自分に必要な栄養を適切にとる」のは、大事なことだと思った。

普段からの小さな習慣が峠越えに効いた 


びっくりするくらい働いてた。朝8時から夜2時くらいまで。働きたくてこんなに長時間働いてるんじゃなくて、これくらい稼働しないと終わらなかった。

人と話すと「そんなことある?」って言われるけど、ほんとにそうだった。全くタスクが減らない。2時まで働いても、先が見えないから安心して眠れない。

だけど、一度も倒れることもなく体調を崩すこともなく、乗り切った。眠い以外は、むしろ超健康だった。

眠いと言っても、フルリモートで仕事ができたので、1日に4~5時間は寝られた。これはありがたい環境だなと感じた。

あとは、日々の筋トレだったり、ゆるい食事コントロールだったり、そういう習慣が地味に効いていた気がする。毎日ちょこちょこ筋トレしたり、野菜やタンパク質を適量とるように少し意識したり、意識してたのはそれくらいだけど、この数ヶ月を健康体で乗り切れたのは、自分なりの日々の小さな習慣が糧になっていた気がする

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20代の意識高い系時代からの心がけが本領発揮

自画自賛で、めちゃくちゃきもちわるいけど、我ながら「処理能力あるんちゃうか私...」と感じる場面が何度かあった。そしてこれはメンバーにも指摘された。

特に処理能力を意識していたわけではないけど、返せるチャットやメールはすぐに返す、どうしても返せない時はブックマーク、少し余裕ができたときにブックマークを一気に処理する。それだけ。でも、そのスピードや量は確かに他のメンバーより、定量的に振り返っても、捌いている量は多かった (自画自賛でごめんなさい)。

即レスをしていると、投げかける人は、まずその人にメンションするようになる。そうすると、即レスする人は処理すべきものが増える。爆速で返す、その繰り返し。結果、最後はものすごい量になってたけど、なんとか処理した、たぶん。

この「即レス魂」は、意識高い系だった20代前半に読んだいろんな本に書いてあった「仕事で即レスは大事ですよ」「まずは即レスしましょう」的なものが最初の刷り込みで、昔から意識していた。

いつからか、自己啓発系の本は、なんとなく全部同じことが書いていると気づいて読まなくなったけれど、あの時、「早く成長したい!」って思いながら、いろんな本を読んでた意味はあったのかな、なんて思った。

今の会社に入社してよかったなと何度も思った

何よりも乗り切れた大きな糧は、そばにいた仲間と支えてくれた人がいたからだった。彼ら彼女らがいなかったら、この山は登りきれなかった。

今回のプロジェクトを一緒に戦った仲間は、本当に恵まれていた。奇跡のような人選だったと思う。

合間に何度も励ましあえた。直接は会えないから、話したければすぐにzoomを繋いだ。仕事以外でも、息抜きに話したければすぐに話した。オンラインだったけど、オフラインのように密にコミュニケーションを取り続けられていた。なんでもすぐ指摘しあえたし、阿吽の呼吸でプロジェクトが進行できた。

「つぎに着手すべきはこれでは」「今問題になっているのは何か」そういったことの認識が同じメンバーに囲まれているのはすごく重要だと、改めて思った。ここに対する感覚が同じだったから、プロジェクト自体のタスクは膨大だったけど、「人と一緒に進行する」上でのストレスはほぼなかった。

そういう仲間と働けている環境にいることには、何度も何度も感謝した

この人たちと働けたことは間違いなく自分の糧になったし、こんな経験ができたことはほんとに感謝している。とてもとてもしんどい仕事だったけど、会社として大きなプロジェクトだったので、関われてよかった、そしてこの仲間でよかった。心からそう思える。

人生最大級が毎年更新されていくのはなぜなんだろう

終わってみて、これはいろんな意味で人生最大級の経験だった気がする。

しんどさや大変さとかそういうことだけじゃなくて、大勢の人を巻き込んで進めるプロジェクト、ひとつにまとめることの難易度の高さ、壮大な調整力が試される、タスク量とか色んな、本当にいろんな観点で。宇宙からみたらどうでもいいし、他の人がやればもっと簡単にできたのかもしれないけれど、私にとっては人生最大級だった気がする。

社会人になってから、「あ〜これは人生最大級(or最大)だったわ〜」て思うことって結構毎年起こっているのだけど、これはその中でも結構でかいボールだった。

社会人になって30代を超えて、いまだにこう思える経験が毎年更新されることは、本当ありがたい環境だなと思う。

物量的にもメンタル的にも、これは一人では絶対に乗り越えられなかった。あとは、この間にそばにいてくれた人、一緒に乗り超えてくれた人に、本当に感謝。あの人たちがいなかったら無理だった。本当に支えられた。

ありがとうございました!!

なんの脈絡もないnote。この気持ちを書き残したかったので書きました。以上です。

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