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キャンプと家族と幼馴染

noteを開いたら、キャンプの話をしよう というタグを見かけた。一気に15年前の夏にタイムスリップしたような感覚になった。私にとってキャンプは楽しくもあり、少しだけ感傷に浸りたくなる思い出でもある。

当時小学生だった私にとってキャンプは【連れて行ってもらうもの】だった。「いやいや、小学生だったら親に連れて行ってもらって当たり前でしょ」と思われるかもしれないが、私は自分の親に連れて行ってもらったことがない。幼馴染の親に連れて行ってもらっていた。


幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いがある、私にとって幼馴染と呼べる友人が6人いる。双子もいたので、私を含めて6家族でよく一緒にいた。兄弟の年齢がほぼ一緒ということもあり、母親同士が仲良くなって子どもが仲良くなったという、幼稚園ではよく見られる光景だったと思う。とは言っても遡れば4歳くらいの話になるので覚えていないことの方が多い。はっきりと言えるのは、私は後から加入したということ。編入してきた私を仲間に加えてくれた幼馴染たちには今でも感謝している。

この【編入した】が一つのポイントである。我が家は転勤族である。明るく誰にでも友好的な母と、寡黙で自分の世界を大切にする父。子どもながら、母はすぐにグループに馴染んだが、父は馴染めていなかったように見えた。

小学校に入っても幼馴染との関係は続いた。みんなバラバラの小学校だったが、家に行き来してゲームしたり、公園で日が暮れるまで遊んだり、日曜日にはBBQをしたりもした。春になれば花見をし、クリスマスには誰かの家でホームパーティーもした。
その中でも一大イベントが夏休みのキャンプだった。

毎年8月の終わりくらいに、車で行けるところへ1泊2日でキャンプに行く。子供だけでなくもちろん家族全員で。基本的にどの家もお父さんが運転と設営、調理を担当し、お母さんが主に子供たちの世話をしていた気がする。
ただし、私だけは例外だった。誰かの車に乗せてもらい、母と弟に見送られて毎年1人で参加した。父が行かなかったからだ。どこも二人でやっていることを母一人でするのはいくら助けがあったとしても無理があったと思われる。
だから、毎年この2日間だけは私に5人の母親と5人の父親がいた。

私はこのキャンプが大好きだった。威力の強い水鉄砲も、手羽先の食べ方も、焼いたマシュマロの美味しさも全部キャンプで知った。シャワーは100円で時間制限があることや、夜になると本当に真っ暗で何も見えなくなることも。子どもだけ早起きして朝からするUNOがあんなに楽しくて、でも帰りを意識し始めてしまいちょっと寂しいことも。そういえば人生で初めてスイカ割りをしたのもキャンプだった。初めてのテントはまるで秘密基地だった。とにかくキャンプは私の知らない世界を沢山見せてくれた。
見せてくれた人の中に私の家族の顔はない。

当時の私は父が嫌いだった。「パパが来ないからみんなに迷惑をかけてるし、ママが申し訳ないって思ってるんだ。なんでみんなのパパはいるのに来てくれないの?」と思っていた。思っていただけで伝えたことはない。怖くて言えなかった。
でも今なら、輪に入れなかった父の気持ちも理解できる気がする。大人になってから知らない輪に1人で飛び込むことの大変さを実感する機会が格段に増えた。友達の作り方が分からなくなった。今の私が、もし当時の父と同じ状況に置かれたら悩み、苦労するだろう。まあ、父が実際にどう思っていたかはわからないし、聞くつもりもないから答えは出ないままだが。

大人になってやっと私がどれだけわがままだったかが分かる。十中八九「みんな行くのズルい。私もキャンプに行きたい」と駄々をこねたはず。そんな私を見かねて連れて行ってくれたのであろう。
他人の家の子どもを連れていき、怪我なく病気なく無事に連れて帰ってくるという責任の重さ。しかもそれを毎年。改めて感謝しかない。
それと同時に父と母にも感謝する。よく私を送り出してくれたな、と。圧倒的に迷惑をかけるのに、私のわがままを叶えてくれた。おかげで沢山の経験と、一生忘れることのない思い出ができました。ありがとう。


私の引っ越しがきっかけで幼馴染とは中学に入る前に分かれた。今でも会うことができる人と、連絡先もわからない人がいる。どこで何をしているか全くわからないけど、どこかで元気にしていることを願っています。いつかみんなで再会できたらいいな。その時はキャンプにでも行きましょう。

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