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思い焦がれる夜と待ち遠しい春

あの日の記憶はもう薄れてきている。けれど、今でも覚えていることがある。彼女を応援し続けた9年の間、ライブに何度も足を運んだがまだこんなにも心揺さぶられるなんて、と胸をしめつけられ涙をぽろぽろ流しながら聞いた『六等星の夜』。

彼女のデビュー曲であり、ファンの中でも人気なこの曲は何度も聞いた。それなのに、彼女が発する一音一音が涙腺を刺激するかのようにこの日は目から熱いものがあふれて止まらなかった。終演後、来ることができて本当に良かったと心底思えたしこのときの心地良い疲労感と高揚感は忘れられない。

最後にAimerのライブを見に行ったのは2020年2月14日。あれから一年と半年が経った。初めて彼女のライブを見た日からこんなにも長く行ってない期間が続くとはあの日は思っておらず、また今回みたいな思い出深い夜を迎えることができる、と次のライブを楽しみにしていた。

未だ蔓延する新型ウイルスについて当時は日本国内でひっ迫した危機感がまだ見られなかったように思う。けれど少しの警戒心を持ちつつライブに行きたいという気持ちが勝った私はあの夜を過ごすことができた。あのときの涙はそのような状況下で歌声を聞けることの喜びでもあったのかもしれない。


今の私にとってライブとは何なのか、時々考える。ライブに行けていた頃は非日常を味わえる空間であり、生きがいだった。実際ライブがない日々が続く中で生きてしまえているけれど、ライブに代わるコンテンツはないと断言するしどこか物足りなさを感じたまま過ごしている。

そんなからっぽな気持ちを満たすことに焦がれるかのように、あの日のライブのことを日に日に恋しく思う。胸をしめつけられるくらい感情が高ぶった瞬間、彼女の歌声に会場全体が包み込まれたかのような温もり、私はそれをまた味わいたい。

そして何よりライブを楽しむ自分、言い換えれば好きなものを好きでいられる自分がどんな自分より好きで誇っていられるから私はライブが好きなんだと実感する。自信を持てない、自分を好きになれない私はライブという空間で少し自分を愛することができる。

彼女に会えない期間が時間が経つにつれ長くなっていく。寂しく思うけどそれ以上にあの日もらったものが私を繋ぎとめてくれているみたいだ。あのときのライブはまさに「解けない魔法」のようでずっと私の心を離さない。




新曲「季路」を聞いて最初に思い起こしたのはあの日のライブのことだった。一音一音取りこぼさないように大切に響かせる歌い方が重なった。初期の曲に多くあるバラードは彼女の得意とするところだしそれ以降にも数々リリースされているが私は違和感を少し覚えるほどに普段とは違う歌声の鳴りを感じた。

実際に歌い方や表現方法が変わったのかはわからない。当時私はそこまで聞き込んでいたわけじゃなかったけれど、どこかひっかかりを覚えていた。なんであの日のことを思い出したのか。今は自分なりにこの曲を受け止めたのもあり、理由がわかった気がする。


私たちの生活様式が変わり始めた一年前、同様に季節は巡っていった。急速に様変わりする社会、けれど人々の苦悩や悲しみは今も変わらずあふれていくなか季節は穏やかに過ぎていく。私はそのギャップが少し怖かった。今まで当然のようにあったこと、できていたことがなくなって歩みを止める私たちを置いていくように季節だけが巡っていくことに不安を覚えた。

変わらない現状に焦燥感を抱いていたけれど、「季路」を聞いて少し気持ちが和らいだ。それは曲の中で「春は訪れる」と希望を見せるのではなく、「ただ春を待っていた」と言ってくれたから。

先の見えない不安、いつ収束するかわからない現状、誰も答えを出せないなかで希望なんて軽々しく言えない。希望を見せることも難しい。春がやって来ることが曲としてはきっとハッピーエンドなんだろう。最初に通して聞いたときは春を待って終わってしまった、バッドエンドなのかと思った。

でも、彼女が希望を見せるように手を差し伸べてくれるよりは、彼女自身も不安を抱えながらそれでもそばにいる、同じ目線で共に歩んでくれるように聴こえた。それが私は嬉しかった。「やさしい言葉さえ知らない」しかける言葉も見つからないときもあるだろう。けれど、「涙に濡れた蕾を抱きしめ」ながらいつか来る春を彼女といっしょに迎えたい、そう思えた。

「螺旋の中」にいる私たちは一見同じ時間を繰り返していくのかもしれない。だけど螺旋が上昇して同じ位置を辿らないように私たちの日常も少しずつ良い方向へ変化していけるはずだ。灯火のような微かな希望だとしても私にはその背伸びしない寄り添い方が心強かった。

彼女が最後の有観客ワンマンライブをした月から一年以上が経つ今、私はあの日のライブを心の拠り所にしてきた。次に会えるときはあの日をさらに更新するパフォーマンスをしてくれるだろう。春を待ちながら、その日を迎えられることを楽しみにしている。