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【読書会感想】臨床の知とは何か

LDC(大学院)同期のゆかっちが企画してくれた読書会に参加してきました!
月1回?2か月に1回くらい?のペースで難解な本をみんなで読んでます。
ゆかっちいつもありがとう!

今回の読書会では「臨床の知とは何か 中村雄二郎」を読みました。
今まで読んだ本の中で一番難しかった…!


サマリ

科学に代表される〈近代の知〉は大きな成果を生んだ。しかし今日、その限界も指摘されはじめている。人間存在の多面的な現実に即した〈臨床の知〉が構築されねばならない。著者の積年の思索の結実である本書は、人間の知のあり方に新たな展望を開き、脳死や臓器移植などの医学的臨床の問題にたいしても明快な視点を提供する。

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この本は、近代科学は生活の発展に大きく寄与した一方、有効性重視のため現実とのズレは軽視されがちであり、自己目的のための使用から戦争や自然破壊を引き起こしていることも無視できなくなってきた、という現代の科学を尊重する世の中の見方に対する警鐘から始まりました。
そして、改めて近代科学を振り返り、臨床の知の意義を問うことで別の選択肢を提供したいというのが主旨です。

臨床の知って?

科学の知と対比される形で、臨床の知が書かれていました。
それぞれが固有の世界を保有していること、相互依存性が高いこと、自分の体を他者にさらすことで心が影響を受けること、この3つが臨床の知をつかむポイントです。

科学の知

  1. 普遍主義:事物や自然を基本的に等質的なものとみなす立場。地域的、文化的、歴史的な特殊性は簡単に乗り越えられる

  2. 論理主義:事物や自然のうちに生ずる出来事をすべて論理的な一義的因果関係によって成り立っているとする立場。事物や自然のうちにあるメカニズムが見いだされれば、その技術的再現が可能

  3. 客観主義:扱うものの主観性をまったく排除して、それらを対象化して捉える立場。客観的なメカニズムは、他のなにものにも依存することなく、自律的に存在する

臨床の知

  1. コスモロジー:場所や空間を、一つ一つが有機的な秩序をもち、意味を持った領域とみなす立場。個々の場合や場所(トポス)が重要

  2. シンボリズム:物事をそのもつさまざまな側面から、一義的にではなく、多義的に捉え、表す立場。

  3. パフォーマンス:行為する当人とそこに立ち会う相手との間に相互作用、インタラクションが成立していなければならない。人間が身体性を帯びて行為する。わが身に相手や自己を取り巻く環境からの働きかけを受けつつ、つまり自己のうちにパトス的な在り様を含みつつ、行為し、行動することになる

感想

一番の学びは「科学偏重によって見えなくなるものがある」ということです。科学だけでは目の前で起こっている現実をすべて説明できるものではない、無意識のうちに切り捨てている景色はないか?と問われたような気がしました。そしてこの本を読みながら思い出した方が3人いました。

一人目は、新卒時代の同期です。「ファクトベース」だけで仕事を進めることの違和感を相談した時に「あなたの世界はあなただけのもの」と言ってくれた人でした。事実と解釈を分けることも大事だけど、世の中の見方は人それぞれ違うのだからその人にとっての世界も大事にしたいと思ったきっかけでした。(今のところこれがコスモロジーであり、シンポリズムなのかなと理解してます)

2人目は授業にてこの本をご紹介いただいた中原先生。ここでは書ききれないほど、授業で学んだ言葉が思い出されました。(今さらでごめんなさい)あえて一つあげるなら中原先生の「背骨をつくりなさい」という言葉の解釈が広がりました。これまでは間違った道を歩まないように、迷った時に判断できる拠り所として倫理観を持つという意味で捉えていました。しかし、今回自身の臨床の知を見つめなおすことで、これまで自身や周囲に対して見落としていた点もあったのではないか、敏感に意識を向ける重要性もあるかもしれないと思いました。

3人目は秋学期に「統計学はサイエンスではなくアートだ」と教えていただいた山口先生です。数値であらわれるものが全てではない。客観的になろうとして見落としているものはないか。これは今後コンサルタントとして働く上で教訓として刻みたいと感じた気づきでした。

まだわかっているのかわからない染みこみ中の読書体験です…
また10年後に読み返したら違う景色が見えそうですが、30歳の私の感想はこんな感じ。

余談:中村氏の背景

読書会の最後にグループに分かれて感想交換をしました。
その時どういう経緯で中村氏はこのような考えに至ったのか…という話題になり、生い立ちを検索。
敗戦経験がきっかけで哲学者を目指されたそうです。(新聞記事より)
この本は戦争の話を皮切りに科学への言及がされておりますが、激動の時代を生き抜かれた背景を思うと、近代合理主義への厳しい批判や「共通感覚論」の提唱も悲しさを伴う強い教訓のように感じます。


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