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今までオリジナルキャラクターを愛せなかった事。

先日、友人が開いたインディー系の格闘ゲーム対戦会イベントに参加した。胸に男の子の縫い包みを持った女性の方が参加していて、興味があったのでパスタを食べながら御話を聞かせて頂いた。彼女はイラストレーターで、その縫い包みは自分の創作キャラクターと教えてくれた。縫い包みを少し触れてみたいと思い、どうかと尋ねてみると快くOKをしてくれて、僕の手に持たせてくれた。デザイナーはフェルトで優しく包まれた男の子のキャラクターと同じ服のデザインを着ていて、我が子のように大切にしているように思えてきてハラマはその場にて泣きたくなるほどの愛情が伝わり、思わず手が震えた。もう一分も、男の子を抱える事ができずにいて感謝を伝えてそっと彼女の手に戻した。その後、自分は上手に伝えられなかったけど今まで生み出してきたオリジナルキャラクター(以下OC)を正直に愛せなかった事を伝えた。自分を馬鹿にし続けて、ある意味我が子のようなOCを精神的に虐待し続けていた事。

現在では、自分が作ってきたゲーム「キャン太」のキャラクター達は、愛してる。でも、よくよく考えると花に水を与えるように、一生懸命に愛情を注ぐ努力をしているんだと思う。真剣に、枯れるまで彼ら彼女達を愛せ続けられればいいなと思う。振り返れば、今まで自分の作ってきたOCを愛せなかった事は、とても残念だった。愛すべきOCに対して正直になれないハラマの場合は明らかに態度に出る。OCに固執すると次の創作に影響が出ると本気で思っていたし、好きではなく嫌いと声を大にして叫んでた。これは大問題で、自分のOCが好きな人に対して攻撃的なメッセージにもなるし、やはり自分自身を傷つけるような自傷行為になる。素直になれなかったし、上手く伝える事が出来なかった。

人間が変わるきっかけになれたのは、やっぱりキャン太のコミュニティの人々だった。コテンパンに愛されてしまったからだと思う。キャン太のファンアートも沢山貰ったし、感想も沢山頂いたり、僕自身の事も愛してくれるような人々に囲まれて、いくら歪に曲がってしまったハラマの心根も整わずにはいられなくなってしまった。それに加えて志は違えどゲームを作っているクリエイターの友人が沢山できた事。誰にでも嫉妬をして、常に尺取り虫が頭の中を蔓延っているかのようにムズムズしていたハラマに比べて、彼らは凄く自分以外の作品やOCの愛し方を分かっていて、また行動的で素晴らしかった。意見が食い違ってハラマの醜態を晒すような事もあったけど、大人で優しい人達で尊敬している。コミュニティや彼ら、そして創作の事を大切に思えると同時に、自分の事も大切にしようと思えるようになったのは、本当にここ数年で明るい僕の話題です。

自分は子供がまだ居ないけど、だんだんと作ってきたOCも我が子のように思える瞬間があったり、それを嫌な人物にしたり、ナイフを持たせて街中で暴れてもらおうとかワルい思考が巡り巡ることもあるけど、創作は本当に楽しい。善人も作れるしエッチなキャラクターに仕上げることも、世紀の悪人に仕上げることも出来るのが面白くもあり、怖いところです。OCを考えていて良い子すぎるよりも、悪人だったり変人だったりするところに自分の楽しさを見いだせてまた、それが良かったと思う。何事も愛していく事から始めないと、まともな評価は出来ない事もこの歳になって、ようやく分かった。

それとやはり、誰かに自分が考えたOCを好きだと言ってもらいたかったり、愛されてほしいと思いたくなるのはあると思う。僕も高望みはしないけど、強烈にそう思っている。でもまずは自分のOCに愛情を込めて、救ってあげるところからが大切で、自分自身の救済でもあると思う。自分のOCを愛せれば、他人のOCも愛せることが上手になると思います。究極言うと、自分でキチンと愛してあげれば、他人からの愛はなくても大丈夫とさえも思います。

久々に赤裸々に書きましたが、年末だし記事を読んで少し青い気持ちになるのも良いでしょう。ハラマのような自分のOCに対して愛せる事が難しい状態にある人にとって、少し力になれればいいなと思う。それと、みんな何かクリエイティブな活動に打ち込む時間をわずかに生活へ取り入れて頂けると、オリジナルってなんだろうって考えるきっかけが出来ます。そうすると、クリエイターがいかに森羅万象の物からアイデアを取り入れているのかが理解出来て良いと思う。

それでは、一年間ありがとうございました!
来年もよろしくお願いします。

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