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うろつきうつろう話

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垂れ流し
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#語学留学

14)帰国して結婚式にゆき私はどうするのか(26歳)

社畜営業ウーマンを辞めて1年。 オーストラリアでの語学留学を終え、日本へ帰国したのは26歳の時だった。 どこまで英語力が伸びたかは不明だが、とにかく勉強漬けの日々だった。 これまで勉強は「大学のため」「就職のため」...私自身がやりたいかどうかよりも、やるべきものとしてそこにあったのでしょうがなくやってきたが、生まれて初めて学ぶことが楽しいと思えた一年だったように思う。 帰国して2週間後、私は東京で友人の結婚式に出席した。彼女は営業時代の同僚で、私からすれば仕事にプライ

13)前のめりなアジアンメイツ(25歳)

そういえばオーストラリアでアルバイトをしていたことがある。 パパジョンに再会する少し前、いつものように語学学校に到着すると、タイ人のクラスメイトが日本食レストランでスタッフを募集していると教えてくれたのがきっかけだった。 「You look for a job? You can work at a Japanese restaurant!! Japanese restaurant is good for you!」 はて私アルバイト探してたかな..?首を傾げているとクラ

12)オーストラリアでパパ活しかけたときの話2(25歳)

ベトナム旅行でオーストラリアのおじさんグループ3人組と出会ってから2年、語学留学で渡豪した私はグループの1人「ジョン」と久々に再会することになった。 たまたま私の滞在している街メルボルンを訪れる予定があったらしく、彼は飛行機に乗ってはるばるアデレード(オーストラリア第三の都市)からやってきた。 私たちは金曜の午後に市内にあるロイヤルボタニックガーデン(王立植物園)付近で待ち合わせた。 彼は黒い皮ジャケットにジーンズという出立ちで現れた。 メルボルンのボタニックガーデンは1

11)オーストラリアでパパ活しかけたときの話(25歳)

一度オーストラリア人のおじさんとドラマチックな?展開を迎えたことがある。 名前はジョン(仮)。 彼と出会ったのは渡豪する2年前。当時私はまだ東京で営業をしており、はじめて長い休暇をとって友人とベトナムはホーチミンに旅行に出掛けたときだった。 市内散策に飽きた友人と私は市街の日帰りツアーに何度か申し込んだのだが、行く先々でまるで何かの力に引き寄せられたかのうように毎回同じおじさん3人組とバッタリ出会った。 彼らはオーストラリアから旅行に来ており、私たちと同じ旅行社を通して日

10)オーストラリア、ホームステイ終了。f*ckと叫ぶ香港人との共同生活(25歳)

レイザーラモン家でのホームステイを終え、私は巨大なスーツケースを抱え次の住処へ移動することとなった。 次の目的地は、 ・立地が良い ・家賃が手ごろ ・寒くない が条件である。 ホームステイの次のステップとして一般的なのは「シェアハウス」だ。 アパートや一軒家のオーナーが使用しない部屋を他人に貸し出し、複数名と共同生活することで借り手は家賃を安く抑えることができる...といったもので、オーストラリアではごく一般的な生活スタイルの一つである。 家具つきの物件がほとんどなの