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こんにちは、腹痛です

私はとにかく腹痛に悩まされてきた。新卒で入社した会社の内定式では、営業で海外を目指すだの、感動する商品を作るだの同期は素晴らしい目標を言っていたが、当の私は、なんとか漏らさないよう頑張りますと、半ば目立とうとも自分にとっては死活問題である腹痛に対して真面目とも言えるスピーチを行ったくらいだ。ややうけだったのが同期の優しさを感じた。

その会社も退社し、喫茶店で働いていたが今は無職だ。妻方のお家事情で実家の方に引っ越したため仕事を探しているが、如何せん田舎なためなかなか仕事が見つからない。焦りと不安感でお腹は痛くなる一方だというのに。

自分はお腹が弱いと自覚したのは小学生の時だ。登校に要する時間は歩いて20分ほど。しっかりと家で排便をし、マンションの下で待っている友達に、おはようお待たせと挨拶を済ませ、道路に落ちている大きめの石を蹴りながら通学していた。しかしあれだけトイレに行ったのにも関わらず、石を蹴る余裕がなくなるほどには便意の波が押し寄せてくる。ちょうどうんちを漏らすことが社会においてどういった意味を持つのかを理解してきている年頃だ。せんせーうんち漏らした!あらら、困ったわねでは済まないとわかってはいるのだ。どれだけ急いでも小さな足で進む距離は大したことないし、赤信号がこんなに長く感じることはない。もうあと3分くらいで下駄箱だ!というところで漏らすという経験を2、3度した。こっそりと保健室へ行き、漏らしちゃったので助けてくださいと母くらいの保健室の先生に懇願した。いつの間にか朝方の保健室常連となっていた。

ある日見かねた母が、ちょうど家と学校の中間にある友達の家に目をつけ、親御さんにトイレを貸してくれるようお願いしてくれた。気も良くOKしてくれたみたいで、母は強しと文字通りクソガキながら感じた。実際便意をリセットする安心感はひとしおで、現実世界にもセーブ地点はあるものだと思った。バイオハザードのタイプライターを見つけたときの安心感だ。もうゾンビという名の便意に恐れることはない。が、いざ使わせてもらうときはなんとも気恥ずかしく、その友達の家で排便を済ませ、一緒に家を出るということはなんとも不思議な感じで、友達の弟からはトイレのおにーちゃんと呼ばれ不名誉な義兄の認定を受けたようだった。しかし我が家は裕福とは言えず、たとえパンツ一枚でも無駄にしない方が大事なので恥を偲んでトイレを拝借していたのだった。かくいうその友達は本当にいいやつ、というか友達たちはそのことを誰もいじることなくそっとしておいてくれたのは今になって恵まれていたんだなと思う。

小学校で初めて漏らし、その汚れたパンツを泣きながら丸め、トイレの隅っこに押し固めたその日のHRで、所在不明のパンツが見つかったという連絡があり、必死に平静を演じた結果、顔面が強張りすぎて能面みたいになっており、ただいまと帰ったその瞬間まで取り繕った能面が、母の眼の前で涙とともに剥がれ落ちたあの日以降あだ名が能面ウンコマンになっていてもおかしくなかった。本当に友達には恵まれていると思う。

だがしかし30歳を迎えようとしている今も腹痛には悩まされている。悩みが故に腹痛が引き起こされる、Tウイルスびっくりの増殖作用だ。今後もこの悩みとうまく付き合っていくためにひっそりと文をしたためていこうと思う。

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