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私達は何を食べているのか

と、最近また改めて思う日々。

食べるものにあまり拘らない私が
ハライチを始めてから
色々な農家さんや食に関わる人々と繋がるようになり、沢山の食材を扱うようになった。

お野菜ならば農法、肥料、種の種類、土の作り方etc.. 色々な事を少しずつ学んだり
栄養学とは言わないまでもxxが体に良い、xxが毒を出す、xxは体を冷やすなど自然療法的なことも沢山教わったりして、ここに来てから多少なりとも知識は深まったと思うし、それはお店で扱う物選びにも大いに役立っている。

でも個人的にこの数年で一番気になる事は
全然別の所にあって

食は作り手そのものなんじゃない?
という事なのかもしれない。

同じ無農薬の人参でも
清水さんは清水さんの軽やかさ、池亀さんのは家庭的なあったかさがあり、高橋さんのお野菜は女性的な柔らかさを感じたり、平井さんの根菜は本当に彼の見た目そのままの力強く潔い味がする。
最近食べたお料理なら空石のナオさんの作るものは自ら選び整えた石を丁寧に積み上げたような静かな強さがあるし、みきちゃんのそれはパンチの効いた味付けを好みながらもどこか慎ましい味、
毎週来てくれる珈琲だって然りで
もう本当に作り手そのまんま。

なんかもう鏡のようです。

(そう思うと自分のお菓子はどうなんだ?とそこはわからないのだけれど)

詰まるところ私達が食べてるものっていうのは、栄養とかそういうのは横において

大地から私達の口に至るまでの自然なり人なりすへての作り手が紡いだスピリットというか結晶の姿なんじゃないかという事。

作り手の気をきちんと纏った料理はなんでもないサラダだって本当に本当に美味しい。

素材の味、料理の味とはまた違った
その食の纏う世界。
そういう物を私達は頂いているのかもしれないな。

と、今日はかもしれない、かもしれないと不確かな考えを綴りましたが、そこを大事に日々とりあえずお菓子作りをつづけますまた明日も。






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