強さのこと(武道の話)

強さってなんだろう。武道を志す人は、誰でも強さに憧れたことがあるはず。
強くなりたい、誰よりも強くなりたい」そう思いながら、道場で稽古に励み、大会にでて結果を残す。
技術の習得の度合いは人によって違います。すぐにうまくなる人もいれば、ゆっくり徐々に習得していく人もいます。ある時期、ある瞬間だけを捉えれば、だれかが強いということはあります。けど、それから十年経ったらどうでしょう?
たとえば、こんな二人がいたとします。片や大会で結果を残し、すぐに辞めてしまった人。片や、大会で成績を残すことはなかったけど、コツコツと稽古を続けた人。そのふたりがもし十年後に対峙することになったら。
十年では、それほどの差は付かないかもしれません。けど二十年だったら?もしくは三十年経ったらどうでしょうか。ずっと稽古を続けている人の方が、三十年後で比較すると強いかもしれません。
ひとは、どこかのある断面だけを見て、評価を決めてしまいがちです。だれだれは強く、だれだれは下手だ、とか。でもそういう比較も、断面の切り方次第で、結果は違って来るはずです。

強さとはなんだという話でした。強さは、突き詰めれば際限がありません。ルールが影響することもあるし、時と場合も影響します。誰かの全盛期が誰かの全盛期と被っていなければどちらが強いかなんてわかりません。強さ論争をすると最終的には武器を持った方が強いじゃないかとかそういう話になってしまいます。

とはいえ、やっぱり強さには憧れるし、強くなりたいと思うのは根源的な部分なんですよね。そういう根源的な目標や欲に対して、変に理屈づけされてもモヤモヤとして、結局堂々巡り。

わたしは、長年日本拳法を続けていて強い選手、とてつもなく強い選手、化け物みたいな師範、そしてそうでない選手など、いろんな人に出会いました。そうした中で、強さには際限がなく、どこまでもいっても上には上が居るんだ、ということに気付かされました。そして強さを追い求めるとはどういうことなんだろうと考えました。
稽古を続けているうち、自分にも自信が付いてきます。この自信というのも強さのひとつの現れでしょう。道場で、ある程度の人相手なら絶対に負けない自信。出稽古に行っても一目を置かれるようになる。そのときふと自分は、いま自分の人生のなかで一番強いのではないか、と気付きました。
強さというのを追求していくうち、その目標を見失い勝ちなときもありましたが、自分の人生の中で最強を目指す。という視点が生まれたのです。
過去の自分、たとえば20代の自分ともし対峙したとして、いまの自分なら勝てるような気がする。20代の自分と対峙しても怖くないと思えるのは、稽古を続けている成果だと。いまのまま続ければいい、そう確信できるようになりました。

武道の強さというのは、不思議なものです。体力があっても、ムダな動きが多ければ相手に動きを読まれます。ムダな動き無く、相手の攻撃を見極められるようになってくると、少々の相手ではまったく気にする必要がなくなるようになります。そうなってくると、今度は強さよりも上手さの方に興味が向くようになりました。日本拳法で強くなり撃力が上がれば、道場生相手に強く当てることもできません。相手の動きが見えれば、相手に打撃を与える必要もなくなります。そうなると強いという指針がどうでもよくなってきたのです。
強さという言葉を意識して、強さを求めて武道を続けていたはずなのに、気付くと強さがどうでもよくなる。不思議な気もしますが、そういうことがなんだか武道的だなとも思うのです。
そしていつのまにか強さという概念に折り合いが付けられるようになった気もするのです。

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