見出し画像

IT業界のデザイナー、林業の世界に触れる。この地で生きるということ。

今年2月、地元である静岡県三島市に戻りました。住民票が静岡になるのは約15年ぶり。15年前に大学進学で上京した時は、地元に戻ることなど考えていませんでしたが、いま地元に戻る決断をしたのは「"私は"あきらめない」と最後まで自分を主語にして言えるものを見つけ、これからの時代を生きる人にそれを残したいと思えるようになったからです。私にとって"それ"は地元の里山や森林でした。

地元や林業というものを意識し始めたのは3〜4年前でしょうか。大学時代から里山保全のボランティアに細々と関わっていて、里山や森林の保全には興味がありました。
大学進学で横浜市に住むようになってから、大学付近の地域活動に参加し始め、社会人になっても里山の活動だけは続いていました。いつかは地元で似たような活動ができたらと、ぼんやりと考えていましたが、関わっていくうちに、こういった活動は基本的に無償のボランティアで、かつ高齢化しており、高齢者の年金によって成り立っているのだと気づきました(もちろん全てがそうではないですが)。
終身雇用が終わりつつあり、私の世代は年金がもらえるか分からない。40〜50年後に自分が高齢者になったときに、無償のボランティアだけをやって暮らしていくことは難しいのではないかと思いました。そういう面で、産業としての林業に興味を持ちました。

そんな中、コロナで目まぐるしく社会が変わった2021年の夏、熱海で土石流の災害がありました(熱海市伊豆山土石流災害)。この災害は違法な盛土による「人災」であることが判明して、私の意識は完全に地元に向き、「いつか地元で」というぼんやりした希望は、何か起きてからでは遅いという焦りに変わりました。

それから1年半後には会社を辞めてフリーランスでWeb関連のデザインの仕事をもらいながら、徐々に林業や森林の世界に足を踏み入れました。

林業初心者研修を受けてみる

「まずは林業を知ろう!」と思い立って、手始めに誰でも受講ができる林業初心者研修を神奈川県西部で受けました。
研修は座学と実技が半々で、チェーンソーの安全講習と刈り払い機の講習を受け、さらに伐倒の講習も受けることができました。
研修を受けて分かったことの一つは、未経験者が川上の林業、いわゆる「木こり」だけで食っていくことはなかなか難しいこと(全く食っていけないわけではない)。山を所有しておらず未経験者である自分は、林業会社や森林組合、域おこし協力隊などで入り込むしかなく、さらにほとんど補助金に支えられており、ビジネスとして成り立っているのか不安でした。
もう一つは、体力仕事であり、非常に危険な仕事だということ。研修を受ける前に「林業は女性には難しい」と林業関係者に言われたことがあり、「そんなことない!」と息巻いて参加したのですが、装備は男性基準のサイズで重く、肉体改造しなければ8時間労働は厳しいと思いました。
また、危険な仕事だということはなんとなく知っていましたが、実際に講師の方から怪我をした話や過去の死亡・事故事例を聞いていたら、尻込みしました。リアルに命の危険がある仕事だと感じ、業務として生産性を求められたら、かなりきつい仕事だと思いました。

一方で「林業」という世界の奥深さを知りました。
研修には講師として奈良県の吉野(林業で伝統的な歴史がある地域)から講師の先生がいらっしゃっていて、先生は山に入る前にこんな話をしました。
「木は切っても血は出ないし、叫び声もあげない。それでも僕らは、木という命を奪う仕事をしている。だから山の神様や自然に敬意と感謝を表しながら仕事をしています。」
この話を聞いたとき、この仕事は信仰と深く繋がっているのだなと感じました。
この1年間、地方に行って林業に関わる方たちと話す機会がありましたが、多くの方がこの仕事に大なり小なり信仰心に似た"何か"を持っているように感じました。そして林業や森林に関わっているうちに、自分自身の中にも似たような感覚があることに気付きました。

体系的に学ぶ大切さ

林業研修を受けた後、もっと広く体系的に林業を知る必要があると考え、昨年は三重県にあるみえ森林・林業アカデミーに通っていました。
毎月、神奈川から三重まで行くのは結構大変でしたが、今振り返るとアカデミーに通ったことは、とても重要なプロセスでした。
アカデミーでは日本林業のトップランナー、大学の教授、国家機関の研究者、スタートアップ企業の社長、現場で働く林業関係者など、さまざまな方の話を聞き、国内の動向や仕組み、世界の動向、ミクロとマクロの視点で林業・森林界を学ぶことができました。
体系的にアカデミックに学ぶというのは、それぞれのピースを合わせて、社会構造を把握し、自分の立ち位置を知ることだと思います。自分がこれから取り組むことの全体像を知らずに、クローズドな地域に入るのと、それを把握した上で地域に入るのは、行動としての結果は同じでも意識は全く異なると思いました。

木材価格の下落により、木材を売って利益を得て、植林するという今までのやり方では採算が合わず、さらに林業の担い手が少なくなり、人口が減少していく日本においては、国土の7割ある森林を多面的に活用する必要があることを多くの方が講義で話していました。

木材価格の推移 林野庁

最近だとブロックチェーンやWeb3と掛け合わせた森林投資の領域が出てきており、さまざまな業界との掛け合わせが進んでいます。
ただ、やはり気になるのは、日本の林業従事者の死亡率の高さです。林業従事者の死亡率は全産業の中で1位。年々減ってきてはいますが、近年は横ばいです。

林業従事者の労働災害、死傷率 林野庁

なんにせよ森林を活用しようとしたら、現在の荒れ果てた人工林を整備する必要があります。機械化がそこまで進んでいない日本では、まだまだ人の手で整備をしている所が多いのが現状です。
自分は安全な場所にいて、現場の人々にリスクを負わせていいのだろうか。ここを見ないふりをしていいのだろうかという気持ちは消えませんでした。誰かの犠牲の上に成り立つ「社会的意義」などあり得ないと思ったのです。

自分の手で木を切ってみる

「やはり現場を知る必要がある」という結論に戻ってきました。ただ、林業会社や森林組合に入るのはちょっと違うなと感じたので、デザイナーの仕事を続けながら、林業や森林整備を学べる場所を探していました。
幸運なことに、地元でチェーンソー安全講習を受けていれば初心者でも林業・森林づくりに関われるNPO団体を見つけ、早速加入しました。チェーンソーや装備を貸してくれて、活動は土日がメイン。初心者にとって始めやすい環境でした。何より地元の方たちが信念を持って長年に渡り、森林づくりをされていました。

間伐作業に参加して、はじめて一人で75年生のヒノキを2〜3本伐採したとき、1年前に林業初心者研修で先生に言われたことをふと思い出しました。

「木は切っても血は出ないし、叫び声もあげない。それでも僕らは、木という命を奪う仕事をしている。」

立木を倒した時、“75年生きた命を奪ったのだ”と自覚しました。林業は死亡率が高いと書きましたが、最も危険なのは伐倒の時です。伐倒の瞬間、確かに命をかけた緊張感がありました。
命を奪う仕事とは、同時に自分の命を懸けることであり、それが奪う命への最大のリスペクトであると感じました。これは実際に体験しないと、絶対にわからない感覚でした。

今まで、川上の林業に関わる人たちが「危険だけど、この仕事が好きだ。」と話すのを聞いて、正直「早く機械化した方がいい」と思っていました。
実際に現場の作業をしてみて、やはり機械化は必要だと思っています。ただ、命を奪う感覚、自分の命をかける緊張感、これだけは機械化されても忘れてはいけない感覚であり、私にとってこの仕事の原点であると感じました。

林業は、ほぼ公共事業

よく「林業という産業は補助金で成り立っている」と言われたりしますが、これは林業が「国土保全」という役割を担っているため、国が補填すべき分野だという側面があります。そのため、林業はほぼ「公共事業」に近いと言えます。
そう考えた時に、「国土保全」という重要な役割を担う仕事をする人々の死亡率がこんなに高くていいのだろうか、ということです。
例えばチェーンソーから身を守るために着用する防護ズボン(チャプス)は、日本では2019年に着用が義務化され、これだけ歴史のある産業に関わらず、つい最近になって見直されています。

先ほど林業に関わる人たちは、大なり小なり「信仰心」を持っているのではないかと書きましたが、現場に関わるようになってから自分の中にも似たような感覚を認識し始めました。富士山というシンボリックな山がある場所で生まれ育ったこともありますが、林業・森林づくりに関わるようになってから、自分の中に新しい輪郭が浮き上がってきたように感じます。それはいつしか私の中で「使命感」のようなものに変わっています。危険でしんどいが、誰かがやらなくてはいけない。その思いが林業の現場で働く人たちの命を軽くしてしまっているとも思います。

IT業界に長くいた自分からすると、自然や山に関わる仕事をしたい人は結構多くいるのではと思いますが、実際の現場を知った上でやりたいと思う人は少ないと思います。
国の意識、現場の意識が変わり、林業の仕事が安全で効率的になれば、もっと価値を生み出すこと(最終的にお金として還元される)に頭を使えるようになるはずです。そうすれば特別な使命感などなくても、いろんな人が関わりたいと思える仕事になると思います。

木という寿命が長い生き物を扱い、長い歴史を積み重ねてきた産業であるからこそ、変えにくく、変わりにくい世界だと思います。
まだ現場のことを学ぶのに精一杯ですが、少しずつでいいから新しい価値を生み出すことに向き合っていきたいと思います。

70年後を想像することは難しく楽しい

日本の山の人工林(スギ・ヒノキ)の多くは戦後に植林され、70年ほど経っており、伐期を迎えています。よくもこんな至る所にスギ・ヒノキを植えたなと思うのですが、戦後の資源が少ない日本で、70年前の人はきっと70年後も同じように、成長が早くすぐに使えるスギやヒノキが必要になるだろうと思って植えたのだと思います。(植樹は戦争から帰還した兵士の仕事にもなったそうです。)
そう思うと、私がいま切っている木は、誰かが未来に向けて植えた木であるし、私が植える木は数十年後に生きる人たちに向けて植える木です。

最近、参加しているNPOでスギ・ヒノキの人工林を伐採した土地に、150本の広葉樹を植樹しました。人工林を残しているエリアもありますが、天然更新をする多様な森林に戻す取り組みもしています。
でも数十年後の人たちにとって、私たちがやっていることが本当に必要かどうかはわかりません。数十年、数百年後にこの森林がちゃんと天然更新するかも、実際はわかりません。わからないけれど、放置するよりかはきっといい。
林業・森林づくりは、過去と未来が今でつながっていることを意識し、木を切る瞬間、自分が生きていることを強烈に実感します。それがこの仕事の楽しさであり、他の仕事では得難いものだと思っています。


山の近くで生きていくこと

山の近くに住む人と話していると「山を見ると心が洗われる」というような言葉を度々聞きます。以前は「景色が綺麗だということかな」と思っていましたが、最近この言葉の意味が少しわかるようになりました。
生きていると、少しの気晴らしでは紛れないような出来事によって自分の内側に重い感情を溜めてしまうことがあります。そういう時、山を眺めると感情が落ち着くような感覚があるなと思いました。
それは起こった出来事や抱いた感情を忘れることではなく、その瞬間にしか出会えない情景と一緒に心に刻み、余分な感情を洗い流すことなのではないかと思います。そうやって人は、山や自然の近くで生きることで、強くしなやかに前に進めるのだと。
私自身が、そしてこれからを生きる人たちが、いつでも近くの豊かな山や自然を眺めて明日を強く生きられるように。山に関わることを生涯の「活動」とし、この地で生きていくことを決めました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?