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やっぱりROCKが好き

もうすぐ6月9日〜ロックの日ということで、昔から私と切っても切り離せない関係、ROCK愛について。

簡単に書くためこれからはカタカナのロックで書いていきたいと思います。私がロックに目覚めたのはまさに世代もあると思う。
今年38歳になろうとしている私は空前のバンドブームの中青春時代を過ごしました。
これがロックかというのは分かりませんが、よく母が小さいこと車の中でT-  BORANをかけていた。
父はあまり歌が好きではなく、好きな歌手もいないようだったが母はこの
T- BORANがえらく好きだった。これを年中聞いていた私は小さい頃、童謡よりもT- BORANを口ずさむ子供だった。これがロックの始まりかは分かりませんがwいわゆるバンド系ミュージックを気づけば追っかけることが多くなった。

ZARD、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel、B'z、GOING STADY、とにかく思いっきり魂を込めて歌う系の音楽に惹かれていた。
もちろん歌手の方はそれぞれが魂込めて歌ってるんだけど、テンポよく耳に入ってきて自分も思い切り共感できて歌えるところに魅力を感じていました。


結局のところ
私が人生で一番長くずっとファンであるのが椎名林檎さんな訳なんですが、私が初めて聞いたのは歌舞伎町の女王でした。

斬新かつこんな親子がこの世の中にいるのと思うんだけど、劣等感を抱きながらも母の後を追っている娘の情景が物語のように頭に浮かんでくるような歌詞だった。
常に新しく若々しく、かっこよく凛として見える林檎さんの歌や見た目は私の常に憧れだった。

多分こんな生き方がしたい、凛としてかっこよく常に斬新でありたいそう思っていたんだろうなと思う。
林檎さんがそうでありたいという言葉を聞いたわけではなく、あくまでも勝手にこっちが想像して造り上げているりんごさん像なのですがw

いつだって常識を疑い、みんなと同じものからは抜けたがり斜め横から物事を見たい。
こうなんじゃないと言われたら、そうじゃないかもと思い。
まっすぐ進めよと言われれば、横道にそれていきたくなる。

ロックはいつだって自由でかっこいい存在で、私の心を躍らせてくれる表現の一つだとそう思っていたのだ。


でも最近気づいたことがある。かっこ悪いところを見せるのも、ダメな自分を認めるのも、色んな人と同じ考え方をするのも、どんな生き方だって○であって、自分の中が平和に保てるならなんだっていいのだと。
こんなにも誰かと違う自分でいたいと何かを探し続けてきた何十年。
結局のところはどこかにいる誰かを探し、ロックな自分になり続けようと模索していた。

ロックは私に自由とパっションを与えてくれる存在。私の生き方が例えこれからも何も変わらない平凡な日常だとしても、自分の中にあるロックな(暑苦しいくらいの情熱w)は燃やし続けていきたいなと思う。
そのためには私の人生観にはロックは欠かせないエッセンスである。


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