柿次郎さんの『おまえの俺をおしえてくれ』を読んだ感想
ジモコロの柿次郎さんが40歳の節目で自費出版した『おまえの俺をおしえてくれ』(通称おまおれ)を読み終えた。
30万文字、408ページのズドンとした分量で、まあのんびり読み進めるかと思ってページを開いたら、ついつい引き込まれて数日で読み終えてしまった。サピエンス全史を5年くらい積ん読してる自分なのに…。
土門蘭さんとの「出版カウンセリングRADIO」(Podcast番組)の書き起こしが章ごとに差し込まれていて、構成に緩急がついていたのもテンポよく読めた理由だと思う。Podcast番組もぜひ聞いてみてほしい。
読んでみてどこがよかったというと、全部よかったし、読了直後の未消化の段階では(っていうかまだスルメみたいに咀嚼中で胃腸にすら至っていないかも)どっから書いていいかわからんのだが、特に印象に残っている2か所を引用して紹介させてもらう。
1か所目は柿次郎さんが東京から長野に移住した過程を振り返っての以下の文章。
僕は今、福岡に住んでいるのだけれど、昨年4月から今年6月までの1年間あまり、津和野町という島根県西部の小さな町で暮らしでいた。その前5年間は東京に住んでいたから、大都会から山陰の人口7千人の町へのドラスティックな環境変化をともなう移住だった。
縁もゆかりもなかったその町でふと息をつけるのは、高津川の清流や、津和野城跡から見下ろす雲海、堀庭園の紅葉といった四季折々の自然を目にした瞬間であった。
東京という、人間が生活をするために最適化された場所にいると、あたかもすべての物事は人間のコントロール下にあり、思いどおりにいかないことは己の努力不足であるような強迫観念に駆られることがしばしばあった。
しかし津和野の自然に囲まれていると、まるでそんなことはなく、僕がいようがいまいが雲は流れ、鯉は泳ぎ、山は呼吸をしているのだ、僕は自然という大いなるものに含まれた一介の人間にすぎないのだという事実を肌で感じることができた。
そしてそれはストンと肩から力を抜けさせてくれる、実に心地がいい感覚だったことを、この文章が思い出させてくれた。
もう1か所はローカルコミュニティを運営する中での問題点について書かれた以下の箇所。
この問題に対して柿次郎さんは章末で以下のように一喝している。
しびれる。青少年からの悩み相談を「ソープに行け!」で一刀両断した北方謙三先生を彷彿とさせる。
ほんとにそうなんだよなあ。生きることの孤独やさびしさを自分にの中に認めて、よしよしとかわいがって生きていくしかない。そしてそれを抱えているのは自分だけじゃなくて、誰しもが折り合いをつけながら生きているのだと気づくことがとても大切だと思う。
上の一文を読んで、新美南吉の詩『デンデンムシノカナシミ』を思い出した。
柿次郎さんは自分の半生をふりかえって、お金や文化的資本や安心できる家族やスキルなどが”ない”ことが多かったと述べていた。
きっとそのとおりなんだろう。でも”ない”ことの欠落感やいびつさや焦燥感に飲み込まれそうになりながら、それらに向き合い、堪えて生きてきたんだろう。彼の言葉が持つ気迫は、かつての”ない”に裏打ちされているんだろうなあとしみじみ感じた。
「おまえも俺も孤独とさびしさを抱えながらも、だからこそ一緒にやってこ!」
そんな勇気をもらえる本だった。
柿次郎さん、すてきな本をありがとうございます!
柿次郎さんとはClubuhouseでチラッとお話したのと、僕が出張先の沖縄でたまたま入ったハンバーガショップに、柿次郎さんがジモコロメンバーを引き連れて入ってきて、びっくりして声をかけた2回くらいしか接点はないけれど、いつかどこかでまたお会いしたいです。
あ、福岡移住して休日どこ行くか迷ったら、柿次郎さんが書いてくれた『ジモコロ的ローカルガイド-福岡編-』にめちゃくちゃ助けられてます!
随時更新となってるので、また更新してくれることをこっそりたのしみにしています(笑)
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