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運転とシーシャ

仕事で島根県津和野町に移り住んで4ヶ月ほどが経った。
高円寺に住んでいたのがずいぶん昔に思えるが、数えてみるとまだ4ヶ月かとちぐはぐな気持ちになる。

津和野はもちろん田舎である。ぼくの住む場所は津和野の中ではかなり恵まれた立地で、駅も郵便局もスーパーもコンビニも徒歩圏内にある。
駅と言っても1両編成が1時間に1本停まる程度だし、スーパーは20時閉店、頼みの綱のコンビニ(ローソン・ポプラってなんだよ)ですら22時閉店という有様だが、まあ生きていける。

とはいえちょっと大きな買い物だったり、気分転換に少し遠出したいとなれば、車は欠かせない。
幸い会社が社用車を用意してくれたおかげで、近くの温泉や海にでかけるのにも不便していない。日産ノートは実に運転しやすい車だと思う。

もっぱら一人で運転しているが、たまに助手席に誰かを乗せる機会がある。
ぼくはそうやって運転しながら誰かと話すのが結構好きだ。
運転(運動野)と会話(言語野)で脳みそをほどよく同時並行で使い分ける感じ。
どちらか単体の行為―運転だけ、会話だけ―よりもむしろリラックスできる気がする。

ふとその感覚に近しい体験に思い当たった。シーシャだ。
シーシャを吸いながら会話をするときもちょうど同じような感覚を得る。
会話と会話の間の沈黙を、シーシャがパテのように埋め、つないでくれる心地よさは、運転中の会話と似ている。

なんなら誰かと会話するときだけじゃなく、ひとり思索にふける(なんというと仰々しいけど)ときも、運転やシーシャをしながらの方がリラックスできる感覚がある。
ある問題について考えようとなったときに、それだけだとどうしても堂々めぐりになりがちだけど、運転やシーシャのついでだと比較的スムーズに思考を展開できる、感じ。

それこそ高円寺にいるときは毎日のようにシーシャ屋に通ったり、自宅で自前のシーシャを友だちにふるまっていたりしたのだけれど、津和野にはシーシャ屋はもちろんないし、自分のためだけに作るのも結構手間なので、しばらくご無沙汰。
そんなわけでいろいろ煮詰まったときはひとりドライブに出かけてる今日このごろです。

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