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アラサーの失恋

数週間前に失恋をした。

失恋したといっても付き合っていたわけではなく、告白して玉砕しただけなんだけど、その人とは数年来の友だちだったから、うっかり好きになってしまって、友だちに戻ろうとしても(相手はそれを望んでいた)、今のぼくには以前のような友だちに戻れるだけの精神的余裕も、割り切れるだけの潔さもなかった。
フラれたこともツラかったけれど、とても大切な、よき理解者であった友人を失ってしまったことが本当に悲しかった。

なぜだかわからないけど、自分でもびっくりするくらい好きになってしまって、相手からのLINEの返信速度に一喜一憂したり、Instagramの過去の写真をさかのぼってみたり、相手が喫煙者だったから、少しでも同じ時間を共有したくて大学生ぶりにタバコを買って吸ったりもした。
このコロナのご時世にバカすぎるだろって我ながらうんざりして、フラれてからまた禁煙している。

そもそもこの歳になって誰かを好きになると予想していなかったから、どうしていいからわからず「恋愛感情 何歳まで」とかググったりなんかしていた。
「50、60になっても恋に落ちるときは落ちる」とヤフー知恵袋に書いてあってひとり絶望した。

フラれたときはびっくりするぐらい取り乱してしまい、それから3日くらいは文字通り泣いて過ごした。
家にいると息が詰まりそうで、かと言ってこのご時世電車に乗って海に行って感傷に浸るのもはばかられたから、泣きながら高円寺から自転車に乗ってふらふら阿佐ヶ谷や鷺ノ宮あたりを走り回っていた。
アラサーの金髪男が泣きながら自転車をこいでいる姿はさぞかし滑稽だったと思うし、すれ違う人々はギョッとした顔でぼくを見ていた。

普段洋楽ばかり聞いていて「J-POP(笑)」だったのに、傷心のぼくには髭男の「Pretender」がびっくりするくらい刺さってまた泣いた。

傷心したときって英語の歌詞なんかしゃらくさくて聞いてられねえんだなと知った。
でも本当にしんどいときはJ-POPすら聞くのがしんどくて「うるせーお前にオレの気持ちなんてわかるか何が La la laだボケ」と毒づきながら無音の部屋で泣いていた。

数週間経ってようやく気も晴れてきた今、どちらかというと独身主義だったぼくだけど、誰かと真剣に付き合うのも悪くないのかなあとほんの少し考える余裕もできた。

でも当分はいいや…。この1ヶ月とてもとてもつかれたから。

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