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統一は多様性に分解されてしまう

わたしはそのひとの髪の色とか、話し方、人柄などを取り出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや<なんじ>ではなくなってしまう。
マルティン・ブーバー/我と汝

これこれこうが正義である。と分析していてはおそらく、正義にはたどり着かない。たとえば、バットマンがそうであるように。
もっと深いところで共振しあったとき、我と汝となりうるのではないだろうか。
今日は、ブーバーの言葉を読みそう思った。