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おもしろいことが生まれる瞬間

おはようございます。今日は「面白いことが生まれる瞬間とは」です。

何事もつまらないよりも面白い方が断然いいわけです。そこで、どうしたら面白いことが生まれるのか?ということを考えていきたいと思います。

結論から言いますと、面白いことが起こる瞬間とは、まず面白がる自分と、それを面白がってくれる人たちがいるからこそ生まれます。

たとえば、鬼ごっこしようぜ!と言い出しっぺが言うとする。そこに、お!それ面白そうじゃん!と一人の友人が入ってくる。

その友人がめちゃくちゃ面白そうだから(実際は、面白がっているココ重要!)、次々に人が集まる。そのうち20人以上も集まると、人数が多いから三角鬼にしようぜ!とまた面白いことがうまれる…

コレは、子供のころの鬼ごっこをしたときの経験です。(ちょっとうろ覚えですが)きっと同じような経験をされた方もいると思います。

何かをしようとするとき、これ面白いかな?と思うときもありますが…それを勇気をもって超えて、面白がれるように考えを変えた方が、結果 おもしろいことがどんどんと生まれてきます。

先日、はじめてオンラインで読書会を試みたのですが、中々うまくいきませんでした。(ごめんなさい。)それでも、この状況を面白がってくれる方々がいたからこそ、より深く楽しく学び合える場になりました。ホントにありがとうございました。

▲挑戦を面白がれる人▼

挑戦者を否定しない環境、面白がれる人たちが、面白いことを生み出すことになります。

気が付けば、一億総ツッコミの時代と思えるくらい、何かあるとすぐ反応してツッコミをいれることが多い昨今(自分も含め)。きっとそれは正論で正しく、時と場合によっては必要なことです。策士は、正面突破をどこで使うか一番あたまを悩ますくらいですから。しかし、そればかりでは疲弊しますし、面白い考えは生まれずらい。

これを少しでも良くするには、日常においてボケとツッコミの割合を変えることです。その割合を3対1くらいの割合が丁度いいと思っています。(ボケとは、面白がるからこそ違った角度から物事をみれることとここでは仮定義します)

そして、話しにオチを求めない、という姿勢も大切ですよね。話しにオチがなっくてもそれを面白がれる人物こそ、きっとどんな場面でも引っ張りだこです。欠かすことのできない存在になってきます。

面白いことがうまれる環境とは、このような状況下で生まれるのではないかな、とコーヒーを飲みつつ思う朝でした。

普通に忍苦の生活と認められる生活状態でも、彼らは何らの不平を訴えないでいる、或は却ってこれを感謝するという気分さえ見える、いわゆる法喜禅悦である。(中略)たんなる「無抵抗」とか「無害」とかいうだけではなく、積極的にこれを楽しむとさえいい得るものがある。
鈴木大拙著/妙好人

それでは、今日もいい一日を。