ジュールスの法則
結論からいうと、ボクが常に言っている言い聞かせによる自己暗示なんだけど。
みなさんパルプフィクションという映画をご覧になったことがあるだろうか?もう随分前の作品になりますが、こんなに何度も観た映画はこれが一番なんじゃないかな。次がエヴァの序だと思うけど。だいたいセリフ覚えるほど観てるから。だいたいね。
この映画による影響は多大に受けていて、まずスプライトが好きだとか、曲がいいからとディックデイルを調べて買ったり、デートするならモノマネレストランで、ダンス踊る彼女がいいなとか、数え上げたらきりがない程。今の所3つ。
そんな中、サミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスが、殺しのシーンでは聖書を暗唱して唱えるシーンがあるんですが、ずっとそれをしてきててフと、我に返り足を洗う事になるんですが、この行動原理をぼくはジュールスの法則とよんでいる。
映画の中で、殺しの場にふさわしい詩だといつも聖書のエゼキエル書の25章17節を唱えていたんです。(実際は聖書の一節ではなく、1976年に公開された千葉真一の映画『ボディーガード牙』の序文から引用したものだそうです。)
「心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。よって我は、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもって、我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ。そして、我が汝に復讐する時、汝は我が主である事を知るだろう。」
そう言ってジュールスは引き金を引き殺めてきた。ある時殺しの現場でヒットマンが現れ銃弾が飛び交うんですが、不思議と一発も当たらなかった時にジュールスが気がつくのです。いつも殺しの現場にふさわしいからと読んでた詩の意味に。これをきっかけにジュールスはもう殺し屋家業から足を洗い、牧師になると言い出すんです。カッコいいなぁと。あ、当然映画だからで、これを殺しのシーンではなく、何か私生活に真似して取り入れたろと常々思っていたんです。そういうふさわしい言葉を探しながら。
どういう事かと言うと、何気なくただ気にって言ってた言葉、この場合ジュールスは殺しの場面にふさわしいと思ってと劇中でも言っている通り、聖書のエゼキエル書の25章17節を唱え続けていたところ、フと気づくのです。そのとおりの事が映画でも言われているのですが、何気なく言っていた事がじつは真理だったみたいな事。
身近な例であげれば、好きな歌を常に口ずさんでいて、フと、そういう意味だったのかとある日突然気づくみたいな事、よくあると思うんですが、これは知らず知らずの内に自分に言い聞かせている言わば自己暗示なんだと思うのです。ですから、この行動原理を逆に利用してそうなりたいと思う事を常に口にすればいいという事なんですね。なりたいと思う事を常に言って、言い聞かせて、そうなる。逆説的に利用して理想を手に入れればいいんだと。
オートバイに乗る人、乗った事のある人なら誰でも経験あるとは思いますが、オートバイって見ている方向に曲がるんですね、ぼくが走り屋をしてた頃の話ですが、コーナーの出口を見ろとよく言われたんですが、見ている方向に進むんです。高速でコーナーを曲がる時、怖くて外側を気にして見ていると膨らんで曲がりきれずだったりするんですね。これと同じで、人生という幾多のコーナーも見ている方向に曲がる、つまり常に口にしている方向に曲げられてしまうんです。だったら常になりたいこと、やりたいこと、そういう願いを常に口にして、自分を言い聞かせる自己暗示にかければいいんです。あまりに直球で言いにくいことだったら似た様な歌でも、詩でも、映画のセリフでもいいからマネて言っていれば、ジュールスの様に弾に当たらずフと気がつく時が来ると思います。
これはONE PEACEのルフィーにも言える事ですが、最初は誰がお前みたいなもんが海賊王になれるかよ!と思っていても、そこまで根拠も無く言い続けるルフィーの姿に周りも協力しだして、今じゃいつなるの?今でしょ!みたいになってますからね。
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