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雪月花

 その冬の夜、私は外へ出ました。
 理由などありません。あるとしたら部屋の中にいると得体のしれないなにかに、自分自身に押しつぶされそうな気がしていたからです。
 この先、どうしたらいいのか、どう生きていったらいいのか、私には何も見えていませんでした。人は一度視野が狭くなると、どんどん狭くなっていくものなんですね。あの時の私がそうでした。
 友人も知人も遠く離れた場所にいて、仕事も辞めていて、親は体調を崩していて、でも生きていかなくてはいけない。なのに仕事は見つからず、自分でなにかをしようにも、何をすればいいのかわからず、資金もない。
 何でもすればいい。そんなことはわかっていても、自分にはできそうもないという思いにとらわれていて、ただただ時間が、日々が過ぎていました。
 親が眠りにつき、テレビもラジオもネットも音楽も本も、どれも見たくも聞きたくも読みたくもない。寝てしまえばいいと思いましたが、目も頭も冴えていて眠れそうもなく、ただただ、静かな部屋の中で壁を眺めていました。
 そんな状況に、そんな自分に押しつぶされしまう。そう思って、私はただただ外に出たのです。
 気温は氷点下。空には三日月と星たち。
 冬の深夜、誰も歩いている人はいません。車も通っていませんでした。
 ザク、ザク、ザク。
 私が雪を踏む音だけが聞こえていました。
 雪道で転んではいけないので、下を見ながらあてどなく歩き、ときおり立ち止まっては空を見上げ、私はただただ歩きました。
 ザク、ザク、ザク。
 しばらく歩き、再び空を見上げようと立ち止まったとき、大きな雪が舞い降りてきました。空を見上げると、月と星は輝いたまま、無数の雪が静かに、花が散るように、はらはらと、はらはらと舞い降りていました。
 美しい。
 私がはいた白い息が、夜空と雪に広がり、溶けていきました。
 大きな雪がコートを濡らしていきました。
 三日月が浮かび、星々が瞬き、無数の雪が舞い降りる静かな夜の中、私は再び歩きました。
 ザク、ザク、ザク。
 ザク、ザク、ザク。
 家を出たときは寒かった体も、歩いているうちに温かくなりました。
 三日月が映る川の橋を渡ると、一軒の家の塀がありました。ふと塀の上を見ると、木の枝が塀から外に出ていて、紅い花が咲いているのが見えました。
 梅の花でした。
 雪が舞い降りる静かな夜。紅い梅の花の向こうには三日月と星々が光っていました。
 私は冷えていく体を気にせず、しばらくその光景を眺めていました。
「梅の花言葉は上品、高潔、そして忍耐なんだよ」
 ふと、あの人の言葉が蘇りました。
「寒い冬の雪の中でも りんと咲いている。そこにかつての人たちは高潔さと上品さ、忍耐力をみたんだよ」
 私はひとり、梅を見たまま尋ねました。
「私は、梅の花のようになれるのかな」
 もちろん誰も答えを返してはくれません。
 梅の花の向こうの夜空は、私のことなんかどうでもいいかのように、どこまでも広がり、どこまでも続いていました。
「もう少しだけ」
 誰に言うでもなくつぶやいて、私は帰路につきました。
 ザク、ザク、ザク。
 ザク、ザク、ザク。
 私が雪を踏む音だけが聞こえる、静かな夜の中を。


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