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消防時代に経験したリアルな現場

みなさんは消防士をどんなイメージで見ているでしょうか。

災害から街を守る、街のヒーローですか?

筋肉マッチョで、誠実で優しいですか?

子どもと一緒に遊んで、面倒見のいいお父さんですか??

それとも、、、、チャラいですか???

どれも正解です。笑

元消防士の自分が言うので、間違いありません。

ただ、これだけは言わせて下さい。

みんな真っ直ぐなんです。
仕事に対しても、女性に対しても、子育てに対しても。。
そうでなければ、街の災害に備えて、毎日市民の命のために、体力錬成や訓練をしている人がどこにいますか?消防士の使命は、第一に人命救助です。

これだけは、消防士であれば、必ず備えている使命感です。
そして、そんな自分が経験した消防現場(人命救助)
4つ紹介します。

私は消防士として、3年2ヶ月勤め上げました。
その後、民間企業に就職し、自ら起業もしました。
消防の世界は、普通に生きていれば経験しない現場ばかりです。
こうしている間にも、世界ではいくつもの命が亡くなっています。
日本も同じです。

私自身、毎当番のように人の死と向き合ってきました。
そして、命の大切さと命の儚さも知りました。

ほぼノンフィクションで記載しましたので、読者様の人生で一つの価値観として、手にとって購読して頂ければ、幸いです。

私が経験した消防のお仕事は、非常に表には出てこない事ばかりだと思います。なので、消防士を辞めた今、私は少しでも消防の世界観を伝え、形は違えど人命救助に尽力して生きたいと考えています。

4つのお話をする前に、もう少しお時間を下さい!!

なぜ有料化するか?について
正直言って、有料化する程のものではないかも知れません。
待って下さい!!まだです!!


私には、夢があります。

それは、世界総旅人時代のプラットホームを創る

もっともっと人は旅に出て、いろんな価値観を持った人に出逢い刺激を貰いながら、助け合いながら、生きて行けば、より人生を幸せに生きる人が増えると考えています。そして、結果的に人命救助へ繋がる!!

全ての人が、そうとは限りませんが、何かしたいけど、何をしたらいいか分からないって人、くすぶっている人は少なくともいます。だから、その人たちに提案したい!!
旅でお金を稼いで生きて行く価値観を!!

そのために、まずは自分がやらないといけない!!
なので、旅をしながら稼げる選択肢として、プログラミングは現在学習中です。そして、今後世界を旅して回る計画です。少しでもその資金の足しになればと考えています。

長々とお時間を失礼しました!!
こいつよく分からんけど、おもろそうやな!!っとか
ちょっとサポートしてやろかな!!っとか
何と無く気持ちは伝わる!!
しゃーないなっでも、何でもいいです!!笑

是非ご購読頂ければ幸いです。
では、あなたの知らない消防の世界へご案内します。


第一話  現場に笑顔はない

2011年3月11日 東日本大震災が発生。これに伴い、津波や福島第一原子力発電所の災害により、甚大なる被害を受けていた。

その頃、自分はと言うと、4月に東京消防庁の入庁を控えていた。

実家の徳島で、午前中のトレーニングが終わって、リビングで疲れた身体を気遣って、少し大の字でリラックスしながら、寝落ちしそうな記憶が曖昧な感じで、テレビを見ていた時だった。

テレビで、緊急地震速報が流れる。夢の現実の狭間でいた自分は、反射的に飛び起きた!!どうなるんだろう?いやっ、どうなってんだ??とか考えながらも、何もできないまま、遂に4月の入庁の日を迎えていた。その頃、東京も被害は受けており、放射能が酷いから、入庁は見送りだとか。早速、災害現場に行くんじゃないか?と、本当かデマかも解らない情報が、良く耳に入ってきた。

結局は、入庁後、通常通りに、実技の研修と座学の研修を受けることとなる。ただ、その頃まだ余震は続いていた。時折、揺れることはある中で、嵐のように研修がスタートする。

初めに、これから研修に携わってくれる教官と助教が紹介される。

研修1週間ぐらいで、3人ぐらいは研修からリタイヤして行った。

助教の言葉が印象的だった。

「ここわな!!お前らを立派な消防士に育てるんじゃないんだ!!

消防士に適性のない奴を落とす研修なんだよ!!」

来たー。やっぱそう来ないと。盛り上がらないなーと思いながら、一人ハイテンションでモチベーションは一人グングンと上昇気流に乗って行った。

それから、自分は目標であるハイパーレスキュー隊に入隊する為に、まずは同期の中で一番になる為に、毎日欠かさず筋力トレーニングし、人の何倍も技術の自主訓練をし、クラスでは技術試験1番、体力試験2番の成績を収めることができた。

そんなある日の、訓練中のことでした。

同期の仲間と、会話をしていて、少し笑った瞬間でした。

教官「お前ら何笑ってんだ!!!」

怒声が飛んできた。

自分「はい!!申し訳ありません。」

教官「いいよ。訓練しなくていいから、端で見てろ。やらなくていいよ。」

と叱責を受けた。

自分「やりたいです。やらせて下さい。」

こんなやりとりが、数回繰り返された。自分はこの時少し調子に乗っていたのかもしれない。それまで、気を引き締めていた訓練も終盤に差し掛かっている頃でもあった。正直、笑顔は自分の取り柄でもあったから、自然と笑ってしまう癖があった。

そして、教官は静かに口を開きます。

「現場に笑顔はないんだよ。災害現場に行ってみろ、もし建物の中に要救助者がいて、要救助者の家族が近くにいたら、お前らは笑えるか?報道陣もいっぱい来て、カメラも現場に向けられてるんだぞ。どうなると思う?」

静かに、現場の厳しさを、悟らされるように、、、言われた。

沈黙があり、再度教官は口を開く。

「災害の現場はいつも真剣勝負なんだよ。ふざけてるなら、訓練はやらなくていい。普段の訓練が、現場に出るんだよ。」

この時、教官は自分の少し浮ついている様子が解っていたかのように、叱ってくれた。

自分でも解っていた。それから、訓練には真剣に取り組んでいた。

しかし、ある日の渡過訓練での落下をきっかけに、少し左肩に違和感を憶えていた。

人生を変える運命が近づいている事を、その時は予想だにしていなかった。

そして、、、数日後に人生を変える大きな事件は起こる。

いつも通り、訓練に入り、降下訓練という、ロープを使用して、高所から地上まで降りる訓練をしている最中でだった。

ロープの取り扱いを誤り、高所から数メートル落下!!

左肩に違和感を持ったまま、訓練をしていた事やロープのちょっとした取り扱いを間違えた為に、左肩を脱臼し、高所で宙ぶらりの状態になった。

この時、自分の頭は真っ白になっていた。

肩の痛さより、これからどうなるんだろう。

少しレスキュー隊、ハイパーレスキュー隊が遠ざかって行くような感覚だった。

自分はこの日から、トレードマークの笑顔を封印し、笑わなくなった。。。

消防士を辞めるまで!!


第二話 白銀世界での救出活動

消防学校時代は、卒業前の訓練中の事故により、自分は左肩に後遺症が残ったまま、、、、

そして、同期は2011年の10月には配属先の所属へと、飛び立って行った。

その日は、生憎の台風直撃、ニュースでは暴風域警報が出ていた。

教官室で飛び交っていた会話は、こんな感じ。

「地震と共に、嵐のように入庁して、嵐と共に去って行ったな〜」

「調子に乗って羽目を外さなければいいけどなぁ〜」

そんな会話を横耳で、聴きながら、自分は教官室の片隅が自分自身の職場の定位置となった。

厳しく、時には和気藹々と指導してくださった教官や助教の側で、仕事を共にするのは非常にいい経験になった。恐らく、東京消防庁でもこんな経験をしているのは、ほんの一握り。

ある意味で、、、、、笑

そして、週に一度のリハビリも順調に進み、思っていた以上に回復は早かった。

ただ、手術をした方は、動作と共にギシギシと音をたてていた。自分の身体なのに、自分の身体じゃ無いような変な感覚があった。

何はともあれ、自分はもう行けると感じ、お医者さんにも許可を貰い、少し痛みを抱えながらも後期生との訓練の日々、訓練のサポートに回り、寮は後期生と同じところで、寝食をした。

幸いなことに、後期生であるが、自分より年齢は上の常識はある方々が多く気を使って頂いたり、プライベートも仲良くして頂いた。人間関係もかなり良好で、暖かく迎え入れてくれた方々に、本当に感謝の日々だった。

そんな調子で、時は流れ

怪我の状態もそれなりには良くなり、同期とは約4ヶ月遅れで、いよいよ現場の消防署への配属が決まる日も迎えた。

「現場に笑顔はない」

と言った教官もその時は少し微笑んでるのか分からないけど、、、

「よし!!

お前も卒業!!配属先への拝命を受けて来い!!」

こんな調子で、いつも笑わない、厳しさと優しさの両輪で指導してくださる教官は、相変わらずの鬼瓦だったが、心の中で「なにはともあれ、卒業できて良かったな」と背中を押してくれているように感じた。

そして、拝命先の発表

順次後期生の拝命先が呼ばれて行く、自分は最後の発表となり、ワクワクドキドキしていた。救助隊がある消防署を祈っていた。

いよいよ、担当していた助教が読み上げてくれた。

「原消防士。。。。。。

小平!!!」

「はい!!!!!」

『えっ〜〜〜〜〜どこ〜〜〜〜〜〜』(心の声)

東京の土地感覚はまず分からないので、、、、、

周りの自分が救助隊志望という事を知っていたので、微妙な反応なのを感じ取った。

ともあれ、決まったものは、変わらず何もなく予定通り小平消防署へ

ちょっと、間違えでしたを期待していたが、、、、笑

そして、配属と同時期に、東京地方には大寒波が訪れていた。

深々と夜も更けて行き、目が醒めると辺り一面は、白銀世界へと変貌していた。

なかなか、東京でも稀に見ない積雪だったそうで、積雪1メートル近くにも上っていた。

先輩方は冗談混じりで、

「これで救助活動でも出たら、半端ね〜な〜」

とボヤいていた。

その矢先に、出場指令が鳴り響く。

「PA連携、〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

※PA連携・・・ポンプ隊(pomp)と救急隊(ambulance)の頭文字を取っている。2隊が連携して、急病人の救急活動に当たること。〜〜〜〜は出場先の住所

自分は、配属先の業務内容に慣れる間も無く、いきなり来た。

自分が出場した中でもベスト5ぐらいに入るぐらい過酷な現場を経験することになる。

この時の自分はまだ知る由もなかった。

ポンプ車の車内で、要救助者は心肺停止であることを告げられる。

そして、現場に到着後自分は、衝撃の光景を目にする。

一戸建ての家の前に、車が停まっており、周りは雪で覆われている。運転席の中に、高齢男性が心肺停止状態で倒れている状態。通報は、奥様であった。

奥様の証言では、「夫はちょっと車で出てくると言って出ていき、戻って来ないから、外に出てみると、車は停まっており、エンジンも付けっ放しであった」とのことだった。恐らく、心筋梗塞であろう。

寒いこの時期は、朝方の心肺停止事故は頻発している。

さて、ここから必死の救出活動劇です。

まず、お父さんに呼びかけます。

「お父さん大丈夫ですか?大丈夫ですか?」

何度か呼び続けたが反応がない、呼吸と脈動の確認したが、これもない

「反応レベル300」

「心臓マッサージとAED準備」

自分は急いで、AEDの準備に取り掛かった。そして、もう一人の隊員は心臓マッサージに取り掛かる。そして、AEDの衝撃を一度発動。実はこの時間での、救急隊は出動件数が多く、到着が遅れていた。

僕ら、ポンプ隊が出来る事には限界があり、どうしよも無い状態になっていた。

救急隊が到着するまでは、とにかく心臓マッサージに人工呼吸に保温に必死だった。

消えかけている命に少しでも火が灯れば良いと、少しの希望を抱えながら、、、、人命救助を続けた。

そして、救急隊の到着連絡が入る。

要救助者の容態、意識状況は変わらず、、、

救急車へ搬送することになる。

すると、救急隊からの要望を、隊長から告げられる。

「救急車はこの雪で、ここまで来れないみたいだ。」

「布担架で運ぶぞ」

隊長も自分たちも必死だった。目の前の人の命を助けるために!!

※布担架は、メインストレッチャー(車輪付き)が使用できない狭い箇所でよく使用する。車輪も無く腕の腕力だけで支える

おおよそだが、150メートルぐらいは、腕の力だけで搬送したのではないか。

半分ぐらいの所で、早くも自分の腕は限界に近付いており、左肩の痛みも出ていた。

日頃トレーニングをしているとはいえ、なかなか過酷な状況下に置かれていた。

まず、昨夜まで遡ると、夜中まで体力錬成と訓練をしており、睡眠時間は2時間ぐらい、からの早朝早々の出場ということもあり、体力は正直言ってすり減っている時でもあった。しかも、配属間も無くメンタリティもやられていた。って言うのは、言い訳に出来ないが、かなりギリギリの状態であった。

ともあれ、無事にメインストレッチャーまで搬送完了し、救急車まで無事に辿り着いた。

消防士の人命救助の現場では、日々このようなドラマが起こっている。

そして、自分が左肩の後遺症が残っているとかは、自分の中の問題であって、災害現場で助けを求めている人には、自分のそんな状況など関係はない事。左肩が痛いから、目の前の人命救助ができませんでしたでは、消防士として情けない。人命が掛かっている。命に変えられるものはない。だから、自分は左肩の後遺症を言い訳にはしたくなかった。

左肩が駄目なら、事務員として引っ込んどけと言われるのが落ちだから。。。

ここから、自分は更なる左肩の強化を積み重ねて行く事になる。

また、この救出劇は序章に過ぎなかった。

これから起こる現場は、自分自身も想像していなかった現場の連続。

人の生きる意味とは???

家族とはなんなのか???

仲間の存在とは???

人命救助=消防士の存在価値とは???

深く考えさせられる日々が待ち受けている。


第三話 命の火を灯す

自分は、小平消防署に配置されてから、業務内容にも慣れて来ており、相変わらずの毎日を過ごしていた。朝の8時15分から大交代という当番の交代を行う引き継ぎの時間がある。

その交代前に、勤務に当るまでの準備をする訳ですが、自分はいつも7時過ぎごろに、出勤し実施するルーティンがあった。それが、腕立て伏せと懸垂を限界まで、追い込むというルーティン。それから、大交代の引き継ぎに入っていた。

ただ、体育会系独特の風潮がかなり強い消防世界!!

偶に、チクチク嫌味を言われることもあった。

「お〜やってるね〜。お前交代の準備できているのか??」

「そんなんやってる暇あるんやったら、先に準備しろよ!!」

その他には、勤務明けで、自分の仕事も全て終わらせて、上司にはお先に失礼しますと、一声かけて帰っているにも関わらず、先輩からはこう言われる。

「帰るん早くないか??帰る時、俺に一声かけろよ。」

その意味が全く自分には理解ができなかった。

自分の直属の上司でも無く、同じ勤務日で働いていると言うだけで、なんで少し先輩に帰る前に一声掛けなければいけないのか?直属の上司や先輩なら理解できるが、正直言って意味がわからなかった。

と言う感じに、自分自身は周りのことを、全然考えておらず、自分が目指したいと言うレスキュー隊に必要な事しか、しておらず素直さを失っていた。ただ自分の中での揺るぎない心は萌え続けていた。

それは、

『人命救助をする事』

綺麗事に聞こえるかもしれないが、自分の中では燃えていた。誰から何を言われようと、自分は身体が勝手に反応していた。

第三者から見れば、「アイツはストイックだな〜。よくやれるな。」

「逝き急ぐなよ」と言われたことがある。

あの時から、いつもただ目の前の事に一生懸命だった。真っ直ぐに直向きだった。

時には、周りの声が聴こえず、自分の想うように、突き進むこともあった。

判断を見誤り、仲間に迷惑を掛けることもあった。

そんなある日の、PA連携での出場指令が流れる。

「PA連携!!PA連携小平市〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

自分は慣れた手つきで、出場先の住所を確認し、AEDを車載を完了する。

出場先の情報は、車内では知らされず、どうのような現場が待ち受けているのかわからず、、、

現場に到着した。

到着後、一軒家の建物の玄関を開けた途端に、飛び込んだ光景に驚愕した。

首吊り自殺をして、意識を失っている50代半ばの女性が、玄関前に横たわっている。

すぐさま、AEDの準備を行い、自分自身は心臓マッサージ(CPR)を実施。

これが、初めての心臓マッサージとなった。

当たり前の話だが、訓練中とは違い、かなりの緊張感があり怖さもあった。

自分に人命の生死がのしかかっていた。すると継続していると、まず自分に変化が現れた。

心臓マッサージをしている女性の肋骨が折れたような感覚があった。

この時、自分自身が少し吐き気があった。初めての出来事に、驚きと焦りがあったが、そのまま心臓マッサージを継続した。人命を優先するには、こちらの方が最優先だった。

そして、恐らく20分ぐらいは実施したであろうと思われる。

救急車に搬送され、病院へと搬送された。

それまで、女性は息を吹き返すことはなかった。

悔しかった。なかなか人命を救助すること、消えかかった命の火を灯すことはそう簡単じゃないことを知った。自分自身の無力さに落ち込んでいた。

そんな時だった。

自分は、その夜も車庫で、筋トレをしていた時、救急隊の先輩から声をかけられた。

「今日の昼間の女性、病院に到着した後、息を取り戻したよ」

「こんなのなかなか無いよ」

「お前、一生懸命だったもんな」

「よくやったよ。大したもんだ。」

自分はその時、知りました。

自分は甘かった。自分は正直言って、人命を救助すること、命を灯すことは簡単だと想っていた。

普通だと想っていた。でも違う。

本当は人の命を救う方が、奇跡なんだってこと。

生きていることは、何不自由なく生きていることは奇跡に近い。

ご飯を美味しく食べていること、家族がいること、家があること、、、

そして、読書やセミナーに参加して、学ぶことができること。

本当に幸せなこと。最高の贅沢だと言うこと。

特に心肺停止になった人命を救うことは、時間とともに生存率は下がっていく。

命を救う初めての経験になった。

改めて、命の大切さ、人の命について考えさせたれる1日となった。

最後に、隊長から言われた一言

「一生懸命とか必死って、伝わるんだよ。お前の一生懸命さが、きっと伝わったんだよな。俺にもそれは伝わったよ。その気持ち、その心をずっと忘れるなよ。」

時として、科学では証明できないような、出来事が起こる奇跡というものが、世の中には存在する。その奇跡のような体験を起こせる人、奇跡の体験に出会う人とはどういう人なのか?

自分は、心だと感じる。

テレパシーのような、心は時として、人の心を動かし伝わる。

それが、全てでは無いにしても、時に奇跡は起こる

それは

『心』

自分はこれからも、自分の心に火を灯し続ける。

もし、隣に消えかかった心があるなら、自分の心の火を移せるような、大きな火に育て続ける。


第四話 自分を見失う

自分は消防士と勤めて、2年が経とうとしていた。

これまでにも、人命救助の経験を重ね、火事の現場にも何度か出場していた。

自分は、次の人事異動で特別消化中隊が配置してある所属を希望した。

なぜなら、救助隊員(オレンジ)になる前のステップとして、一番ふさわしい異動先だとい考えていたから。研修時代一番優秀だった人材が、怪我で同期から出遅れる。言わば、都落ち状態から、こうして地道にステップアップして這い上がっていく。シンデレラストーリーに、舞台整ったと、一人有頂天に立っていた。

これで、必ず同期をアッと驚かせるイメージはできていた。

同期が驚いているにも関わらず、自分は平然といつも通り淡々とこなしていく姿も

「さすがやな〜」

「お前ならやると想ってたよ」

って言葉を妄想していた。

そして、人事異動で希望通りに特別消化中隊へ配置となる。

ここまでも自分の想定通りで、全てはうまく進んでいた。

人事異動も完了し、間も無く、周りのレベルは明らかに変化した。

まず、技術や体力はもちろん、モチベーションが高い隊員が揃っており、同じように救助を目指すライバルも集結していた。そして、隊長も救助隊を経験した。救助の経験豊富な隊長が配置された。

自分自身もこれから、刺激的な毎日を送れると興奮気味だった。

新体制での救助活動訓練や消火訓練を隊長の指導の元、順調にこなしていた。

数日後、、、、、

救助の出場指令が入電。

西武新宿線での、人身事故の情報が入る。

毎週月曜日、東京では電車に飛び込むサラリーマンが多い。

そして、頻繁に電車の遅延は起こり、ホーム内で待っているサラリーマンはボヤく

「またかよ〜。人に迷惑かけんなよ」

「どっか違うところでやってくれよ」

また、しかめっ面で、貧乏ゆすりをしながら、イライラを隠せない人もたくさんいる。

狭い電車内やホーム内で、我先にと近くの人に体当たりしながら、ブーブー言いながら職場へ急ぐ人もいる。

そんな状況を、自分には変えることはできない。

ただ自分ができることは、電車に飛び込んだ人を助けること。

ただそれだけ!!!

そして、自分は人身事故が起きた現場へ到着

電車での人身事故での死亡確率は非常に高い。

大概が血まみれで、身体がバラバラになっているケースが多い。

言葉を選ばずに言うと、、、

えぐい

だから、今回も自分は確実に、人命はなくなっていると心の中で思っていた。

幸せの価値とは一体何なのかを考えさせられる。。。。

そして、自分が目にしたのは、

40歳前後の女性だった。

しかも確実に、息をしており生きている。

自分は呼びかけます。

「大丈夫ですか??歩けますか??

「・・・・・・・」

返答がない。でも確かに息はしている。

再度呼びかける。

「大丈夫ですか??すぐに病院に行って治療してもらいましょう。

もう大丈夫ですよ。」

女性は昏睡状態だった。

呼びかけると微かに反応はある。

一刻も早く病院に搬送しなければ、命が危険である状態だった。

バイタルチェックでも脈動が弱く、呼吸もかなり弱い

そんな中女性が、何か喋っているのが、微かに聞こえる。

「た・・・す・・・・

「助けてください」

と言っている力ない声が聞こえたように感じた。

自分はそれに応えます。

「今助けますからね。もう少しです。頑張りましょう。」

女性はまた、力ない声で何か言っている。

「た・す・・・

「け」

「な」

「い」

「で」

自分は一瞬言葉を疑った。

女性は「助けないで」と言っていたのだ。

その後、自分は何も言えなかった。

自分たち消防士の仕事は、人命を救助すること。

自分は人命救助するために、消防士になった。

なのに、、、

自分自身には信じれなかった。

人命救助することが自分の中での使命感であり、正義だと想っていた。

ただ、この時は違った。

女性はきっと、職場での人間関係で死にたくなったのか?

職場ではないにしても、死にたい様な出来事があり、今に到っている。

日本は年間に約3万人に上る自殺者数(警視庁統計)

平均して、1日に約100人近くの人の命が、自分の意思で命を絶っている。

日本には、美味しい食べ物は多く、治安もいい、便利なものは溢れている。

四季折々、世界でも屈指の絶景100選は全国津々浦々

にも関わらず!!!

現在は若者の自殺者数が増加している傾向にあり、ニュースでもよく中学生や高校生、大学生の自殺ニュースも耳にすることが多い。

こうしている間にも、自殺を選択しようとしている若者がいると言う事実に、自分は何とも言葉では言い表せない感情に襲われていた。

「助けないで」

と言われた。この衝撃は今でも忘れられない。

そして、全ての人が、人命救助を求めているのでは、無いと言うことを初めて知った。

人それぞれ、生きている環境、人間関係により、思い悩んでいることは全く違う。

一人として、同じ人生を歩む人はいない。

同じ家庭環境に生まれたとしても、全く違う価値観の人間に育っていく。

自分の人生というドラマのヒロイン(主人公)を演じるのは自分。

そして、そのストーリーを

創るのも

編集するのも

キャストを選択するのも

全て自分

時に失敗もするし、

あれやってみたり、これやってみたり、

いろんな経験をしながら、

自分自身を見失うこともあるかもしれないが、

それも全て含めて、自分

自分らしさって、結局は自分が普段感じている事

普段考えている事

自分らしさは自分で創ればいい

自分は新しい価値観に触れながらも、今自分がやる事は

人命救助だと

再度、心に誓い

また、日々の訓練・災害現場へと奔走し続ける。




消防士→経営者→旅人 ⭐️同期成績No.1〜手術する程の怪我で後遺症が残り,心も身体もドン底〜消防を退職→半年後、年商3,000万店舗経営者〜事業拡大に失敗【倒産&吸収】→2店舗で年商4億企業のNo.2→旅人⭐️Blog &YouTubeやってます!