見出し画像

サラリーマンと農家の二刀流から、何者かになりたい。

はじめまして、今現在は、サラリーマンをやりながら農業をかじっているハラちゃんです。

肩書きもない、何者でもない24歳です。

早速ですが自己紹介させてください。

千葉県出身。大学では国際社会を学んでいて、その流れもあり大学4年時の4月から海外留学が決まっていました。しかし、当時のパンデミックにより留学は流れました。もう一年留学を待つか、早急に就活をするかの2択で揺れてました。

決断は早かったです。就活することに決めました。自分の人生において留学が全てじゃないなと思ったのが1つ。また当時20歳だったので、1年でも早く社会人になって、もっと新しい環境に触れてみたいという思いが強かったからです。この考えに至るまでも直感だった気がします。

今までも私は物事を決断する時にあまり深く考えないタイプでした。

その1つが大学の学部を選択する時。これが学びたいということがなく選んだ理由は「なんとなく」
しかしその学部の影響が大きく、海外にも多く足を運び、途上国(タイ、インド)で自ら支援内容を企画し、ひとり旅の中でスラム街の子供たちと支援交流を行ったり、大学3年からは親日国のスリランカでの滞在をキッカケにスリランカでのゲストハウス開業構想などを立てたりしていました。

この「なんとなく」で入った気持ちが、ちょっとした好奇心や探究心に飛び火し、今まで経験したことのないような景色や学びを得てきました。

もちろんそれで失敗したこともありますけどね笑

話を戻すと、もともと論理的に考えるのが苦手でした。逆に直感で「これがしたい!」と動くタイプではあったので、留学もまたパンデミックが収まって「行きたい!」という熱があるのであれば、すぐにでも仕事をやめてでも行こうという考えに当時は落ち着きました。

さてそこで時間もない中で就活をはじめました。
特に武器(特技)がなかった私にとって、どの業種にアプローチするのか凄く悩みました。

父がメーカーの営業をやっていて、毎日全国あちこちに出張にいってる人でした。「メーカーの営業は楽しいぞ、特に全国拠点のメーカーは。お前に合ってると思う。留学行けなかった分、国内だけど全国のいろんな地域をみてきたら?」と言われました。

その言葉がタイムリミットが近づいた私にとって、背中を押してくれました。

背中を押されたものの特にやりたいこともなかったので、業種は考えず、とりあえず全国に拠点のあるメーカーを数社選んで受けました。

そこで内定を頂いたところが今の会社でした。
業種は農業メーカー(スマート農業の機械、ビニールハウスの施工、農薬、肥料のメーカー)の営業職でした。

全くの未経験だったものの、とにかくここで働きたいです‼︎の一心で熱意で入社にこぎつけました。(予想通り、殆どが農大、農学部出身で研修初っ端で挫けたのは記憶に新しいです

そこで最初の配属先が 新潟 でした。 

「にいがたあぁぁぁ⁇」って思いました。
まさかの新潟(笑)

もちろん縁もゆかりもない地域で、同期も全国に散り、仲間がいない上に仕事面と生活面も不安でしょうがなかったです。

最初の1.2ヶ月は自社商品を覚えることや職場環境にもストレスもあり、仕事の時以外は放心状態でした。笑

2ヶ月経ってさすがにやばいと思い。動き出しました。 
机上での勉学が苦手で、直感で行動派の私は、まず「農業とは❓」を知るためにアクションを起こそうと、新潟市でやっている農業サポーター制度に申し込みました。これは農業を学びたい人と、人手が足りない農家さんをマッチングするための仕組みです。

これに申し込み、マッチした農家さんのところで休日(土or日)の早朝から晩まで働きました。
それを半年間打ち込みました。

そこで感じたのは、

汗流して無心で働けるって、最高のストレス発散だな。農業って、楽しいかも。

初めて農業に触れてから半年、営業マンとして知識を植え付けるためにこの制度を申し込んだのが、いつの間にか、「農業かじってみたいかも?」に変化していったのを思い出します。

その「かじってみたいかも⁇」が翌週には形になっていました。というのも次の日の夕方に市役所に訪れ、市の職員に貸し農園を探してもらい、翌週の土日には貸して頂いた畑を耕していました。(サポーター制度もシフトを減らしながらやっていました

この時はいつもに増して病的に行動力がありました。

その年の夏には【トマト、きゅうり、オクラ、黒崎茶豆】を実際にSNSのフォロワーさん(インスタでは3300にんのフォローさんにみて頂いています)に対してプレゼントイベントや販売を行いました。

秋には【大根、人参、春菊、ラディッシュ】を直売所に対して出荷交渉、陳列を行いました。

しかし夏も秋も全く売れませんでした。
はじめてながらも悔しかったです。

そんな楽しい、悔しい経験から、いつの間にか農業に没頭している自分がいました。

その理由として明確なのが、自分のアイデアを使って "形" にできるのが農業だと感じたからです。

この夏秋の農業で、タネ撒きから販売の過程を通して、どの作物を作るか決めたり、それに合った土づくりをしたり、面白おかしくSNSで宣伝したり、出荷先に営業かけたり、イベントやったりしました。

その過程(ストーリー)を作ることに私はやりがいを感じました。

そんな過程がもっと形になれば、野菜や野菜作りに関心を持ってくれる消費者も増えていくと思います。

話を戻します。

時が経ち、新潟配属になり2年目を終えます。次は社会人3年目。また土日の農業生活が1年半経った今。少しどきどきしています。

それは来月(3月)にそろっと異動を告げられる可能性があるということです。
(異動の多い会社なので。笑

だとしてもそれもなにかの縁だと思って、次の地域でもその事業所に貢献できればと思いますが…。また新しい環境で不安ですが、。
また新天地でも畑を借りて引き続き、自分のやりたいことをしていきたいと思います。

そもそも農業と出会えたのも、パンデミックで留学が中止になってくれたおかげ。正解はないとは思いますけど、この縁に感謝したいです。

長い自己紹介と現在までの経験話でしたが、
これからもサラリーマンと農家として泥臭く活動していきます。

まだ何者でもない私ですが、
いつか何者かになって、自分の力で生きていきたいと思っています。

その何者かになる、現時点での目標は、
農業+αの施設のオーナーになることです。

こんな大きな目標、無理でしょ!と思うかもしれませんが、目標は大きくです。笑

まだぼんやりしていますが、このマガジンではこの目標に向けた過程や想いを綴っていきます。

いずれは、(まだ先の話ですが)物件探しから創業計画書や届出の書類なんかも色々細かく紹介出来たらと思います。

文を書くのは余り経験ないので拙い文章になりますが、まずは自分のペースで書いていくのでよろしくお願いします。

まだまだ未熟者ですが、
今後ともよろしくお願いします。

ハラちゃん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?