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世間話にできなかった最近のこと

朝から気持ちがモヤモヤする日だった。

まぁ、そんな日はよくあること。その日は午前中に今現在開催中のグループ展へ搬入へ行く予定だった。

京都の東山というところへいかなければならない。いつもなら阪急梅田から河原町まで電車で行き、時間があれば20分ほど東山まで歩くこともよくあるが僕の作品はとにかく重いし15時までに大阪へ帰り店を開けなきゃいけなかった。よって河原町より一つ手前の烏丸で下車。歩いてすぐの地下鉄四条駅から東西線に乗り東山へ向かうことにした。

慣れない地下鉄のホームで自分が乗る車両があっているか、降りる駅はどれくらいかを確認する。電車を待ちながら慣れない地下鉄の路線図を見ていると、最終の駅に見覚えがあった。

「六地蔵」

つい最近聞いたな、と考える間も無く思い出した。

その前日。朝から娘が熱を出して1日面倒を見る為に家にいた。ニュース好きの僕は永遠とabemaTVのニュースを流しっぱなしにしている。と、速報が入った

「京都アニメーションが火事に見舞われている」

との一報が入った。それが、京阪沿線の六地蔵駅の目と鼻の先での事件だった。

僕がそこで目にしたのは京都市営地下鉄の「六地蔵」であったがほとんど地理的には変わらない筈、というのはすぐに想像できたし、気がつけばまだ搬入が終わったいないのに東山から六地蔵までの時間とそこからアトリエ三月までの時間を調べていた。

すぐに搬入が終わればその日は15時オープンだったので間に合いそうだ。搬入を済ませ、事故があった現場に向かった。

現地に着くと多くの報道陣がいたが、その段階では事件翌日だった為正式な犠牲者の数は十数人ということだったが、それがただ放火ではなく、ガソリンを撒き火をつけた殺人事件であることは間違いなかった。雨が降った後ではあったがまだ少し焦げ臭かった。

前日僕は娘の面倒を見ながらその事故の報道が次々とニュースやSNSに流れ気が気でなかった。元々、殺人事件や社会問題には関心があるが今回の事件はオウムの地下鉄サリン事件や秋葉原通り魔事件、相模原障害者施設殺傷事件とも違う、というかそれほどインパクトがあり、胸糞の悪い事件であることは間違いなかった。

しかしその時点では、というか今もそうだけれど、事件の全容も、動機も何もわからない。その日は事件現場を歩いて、大阪に帰った。

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昨日、京都で開催しているグループ展に行くことにしていた。今回は行く前から時間をとって現場に行こうと思っていた。ちなみに僕は京都アニメーションの作品を何作か見たことがあるが特にファンである訳でもない。

駅に着くと以前よりは報道陣の数も減っていた。献花の為のテントがあり、そこで少し黙祷し、事件翌日には立ち入ることができなかった京都アニメーションの建物のすぐ前にまで入ることができた。

建物の周りにはぐるりと工事現場の防護壁で囲まれているが二階部分より上は見ることができる。声を失う。想像はしていたがテレビで見るのとは違った。二階部分も三階部分も窓枠すらなく、煤で真っ黒だ。そこから見える建物内部は焼け焦げている。この場所で、こんな中で35人もの命が突然奪われた。突然だ。まだ苦しんでいる人々も沢山いるだろう。辛かっただろうな、苦しかっただろうな、悔しかっただろうな。その日の朝まではきっとまた明日がくることを疑いようもなく信じていた。僕が歩いた駅の周辺をきっと1週間前までは同じように歩いていた。涙が出た。悲しかった。本当にただただ悲しい事件が起きた。

僕はしっかりと自分の目で見なくちゃいけない気がしていて、ここに来た。

十数分、手を合わせたり、その光景を目に焼き付けるように見ていた。

昔、こうした事件に対してとても興味があり、文献を読んだり、色々調べることが多かった。元々は僕が生まれた隣の街で同い年の中学生が残酷な殺人事件を起こしたことがきっかけだった。神戸児童連続殺傷事件だ。その当時僕らは事件の犯人である酒鬼薔薇聖斗と共にマスコミに「切れる世代」だと一括りにされ、マスメディアの標的になった。

大人になって、改めてあの事件はなんだったのかを調べたりしているうちにこんな自分でも考えることによって何か変わるかもしれない、と思うようになった。

それは僕が画家、美術家だからと言って特に作品にしようと言う事ではなく、自分が人生を通して考え続けたいことの一つとなっていた。死刑の賛廃論などの問題に対しても熱心に講演会に足を運ぶことがあったがお店を始めてからはすっかり行かなくなってしまっていた。

個人的に、死刑制度には反対の立場だ。だからと言って今回このような事を起こした犯人は到底許せる訳ではない。ただこんな犯人を生み出してしまった社会を作っているのは僕でありこれを読んでいるあなたでもある。前科のある人間が再犯によってまた新たな罪を犯してしまう確率が日本は異常に高い。再犯率は29年で約半数。犯罪そのものは減少しているものの前科者が全く更生できていないのがよくわかる。

なぜか?それはSNSを見ているだけでもよくわかると思う。少しでも悪い事をしたやつは晒され笑い者にされネット上でボコボコに叩かれる。それがメディアにも飛び火して名前や顔などは晒されないものの、ことは同じ。一度失敗したものは排除しようというのは国民性だろうか。死刑廃止が世界で叫ばれているが日本の民意は世界とは逆だ、

何が言いたいか、

ただもっと考えなきゃいけないと思ったんだ。あの、凄惨な現場を見て強く思った。このままじゃダメだと。何か変えないといけない。でもしかし、こんなこと僕1人で何か変わる筈はないんだが、時間がかかっても声をあげなきゃいけない。

じゃ、ないと浮かばれない。こんなの悲しすぎる。被害者の方々が浮かばれないよ。こんなこと絶対に、二度と起こっちゃダメなことなんだよ。

この1週間、なんだかモヤモヤすることが多かった。個人的に娘が1週間ほど体調が悪くあたふた心配していた事あるっちゃあるが、今回の事件や吉本興業のこと(ズルズルとお家騒動になったことは別)や選挙のこと、

平成という時代が終わり、歓迎されない令和という時代がやってきたような気がした。大津の園児に車が突っ込むことに始まった高齢者の事故の問題、川崎殺傷事件に始まった引きこもりに関した事件。そして今回の事件。

昭和と平成という時代でできた問題が何にも解決されてこなかった事を象徴するような事件が多いように感じる。でも令和という時代がそんな時代だと決めつけるのもまだ早い。

僕達はただSNSで辛い悲しいと呟くことしかできないのか?

考えることから始めたい。

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今回は話の内容があれだったので言いにくかったのですがその京都で開催中のグループ展ギャラリーモーニング様で日曜までです。何卒よろしくお願いします。


大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。