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命はかるくない。


目まぐるしい一ヶ月間がようやく少し落ち着いた。

ようやく落ち着いた瞬間に、ふと、スイッチが切れる。これがいつも問題。

とは言え数週間数ヶ月先にはまだまだ大変なことが盛り沢山とある。1週間もしないうちにすぐにまたきっと慌ただしくなる。


ふと少し時間に余裕が生まれては、考えなくてもいい余計なことを考える。

それなら目の前に常にやることが山積みの状態の方がいいのかもしれない。


しばらくゆっくりと進みたいなーと目まぐるしい時は思うのだが、時間ができるとまた新しいことをしたくなる。病気である。



ところで、ちょっとここから先の内容は少しだけグロいのでダメな人は見ないでください。




先日の出来事。

目まぐるしく忙しくって1週間ぶりくらいのジョギング。なんとなくいつもと違うルートを走ろうと思い、十三の方へ。

淀川の橋を走っていると対岸の河川敷に消防車が止まり、後から後から合計8~10台ほどの消防車と救急車が集まってきた。

その時点で何となく予想はついた。


淀川の橋の上から消防車に向かって手を振る男性。そしてその橋の下を指差した。

僕も立ち止まって橋の下を見た。徐々に野次馬も多くなる。


河川敷の水面に何かが浮かんでいた。


予想通り、それは人のようだった。うつ伏せに浮かんでいた。


消防隊員が駆け寄り、水面に浮かんでいた人を抱えて地上まで運び出す。


ぐるりと仰向けになった。初老の男性のようだ。橋の上からだったが顔は少し紫色に見える。でも、何となくそこまで時間が経ったような感じではない。


橋の上からは詳しい安否は確認できなかったが、うつ伏せで浮かんでいたのでどうだろうか。後から到着した救急隊員が心臓マッサージを始めた。男性の胸部がぐわんぐわんと揺れる。人の胸部ってこんなにゴムみたいだったけ?ってくらいに。


後から後から消防隊員や警察が到着し、やがてその全貌はシートに囲まれて周りからは見えなくなった。

僕はその一部始終をじっと見ていた。人が一人、目の前で死に着面している様は見ていてとても言葉にならなかったが、見ていよう、と思ってじっと見ていた。

隣で見ていた男性がスマホで写真を撮っていた。どんな神経してんだと思って睨みつけるとそそくさと立ち去った。興味本位で見ている僕とさほど変わりはないだろうが。


2年前、父親が腐敗した状態で発見された時のことを思い出した。

僕が見た当初は一生忘れられないだろうと思った、強烈な悪臭と、父親ともわからない姿だったが、不思議なもんで今ではもうあまり覚えていない。元気だった姿しか結局覚えていないもんだ。


その男性がその後どうなったのかはわからないが、父親が目の前で腐敗しているのを見た時と、今目の前で起きていることは一緒だった。

その背景や、実際何があってそうなったのかはわからないが、親族であろうが、それが他人であろうが死というのは確かに平等なのだな、と思った。


そして遠い国ではこうしたことが何千何万と毎日起こっているのだな、と。起こっていることは全く違うとはいえ、目の前で起こっているような命のやり取りが毎日繰り返されているのだ。


一部始終5分ほど見ていてそのまま淀川を走った。おかげで考えごとなどできなくなったが。


その数日前に一番上の娘が通っている公文へ送り届ける際に(もう5歳ってことは今の記憶のいくつかは、大人になっても覚えているんだな)と感じた。もう随分日常会話もできるようになってくると赤ちゃんだった娘、子供だった娘も一人の人間だとしっかり認識するようになる。


そしてさっきの男性にも、おそらく5歳くらいから今までの何十年の記憶を持った人であった。それが、僕も含めていつか呆気なくなくなるんだと思った。


もういっそ、出家してやろうかなとか訳のわからないことを考えながら走り、先ほどの場所が気になるので帰り道も同じ道を走って帰った。

30分ほど前まで10台ほどの消防車や救急車が止まり騒々しかった現場あたりはすっかり静まり返り数人の警察官が現場検証なるものをしていた。


都会で何かあると人一人の為に何十人という人間が動き、そしてすぐに何事もなかったように静まり返る。



大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。