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浪人生の時、勉強が嫌になって自転車旅に出た話
これは僕が浪人生の時、勉強に嫌気がさして九州一周の自転車旅に出た時の話です。
同じく浪人生の友人と二人、夏期講習をサボって行った20日程の夏休みは、つまらない浪人生活の中で唯一輝いていた思い出です。
高校三年生の冬、現役での大学受験に全落ちした僕は晴れて浪人生の身となり、春からは近くの街の予備校に通うことになりました。
予備校の初日、やけっぱちになって入った東大クラスの教室に入り自分の席につくと、隣の席に座る男がひらひらっと手をふって、「やあ。」と声をかけてきました。
僕が顔を向けると、小池徹平に似た小柄で爽やかなイケメンが笑顔で手をあげていました。
「これから1年間よろしくな。俺は岡野。」
僕もよろしくと挨拶を返すと、
「分からないことあったら何でも聞いてよ。俺ここ3年目だから。」
さ、3年目?
それってもう高校と一緒じゃん凄いなとか思いながら話していると、実際は今年で5浪目で、この予備校に通いはじめて3年目ということなのでした。
僕が圧倒されていると、じきに先生が教室に入って来てホームルームが始まりました。
担任の先生が建物のことや授業について説明していましたが、隣の5浪男の存在が気になって今ひとつ僕の頭には入ってこないのでした。
1浪目の浪人生というのはだいたい、次こそは受かってやるぞ!と目をギラギラさせているものですが、何浪もしている人間に限ってなんだか悠然と構えているのがまた余計に不気味に見えました。
僕の隣の男も5浪目だけあって、欠伸なんかしながら余裕の表情で先生の話を聞いていて、チャイムが鳴って昼休みになると僕の方へとやって来ました。
「一緒に昼飯食いに行こうぜ。美味いお好み焼き屋知ってんだ。」
3年も通っているだけあって、岡野は予備校周辺の飯情報には詳しいようでした。
僕らは予備校の建物から出て5分くらい歩くと、細い道と古い建物が並ぶいかにもな場末にいました。
そして、その中でもひときわ古くて汚い「なっちゃん」というお好み焼き屋に案内されました。暖簾は色褪せて、何か分からないよごれがびっしりついていました。
「ここ、ここ。見た目はちょっとアレだけどうまいんだぜ。」
僕一人ならばまず入ることはないだろうし、人の紹介だとしても入るのを躊躇するような店の佇まいでしたが、岡野はさっさと入っていってしまったので、僕もあとに続かざるをえないのでした。
店の中に入ると、外観とは違って意外にも綺麗にされていて、鉄板ではお好み焼きがジュージューと焼かれながら香ばしいにおいを漂わせていました。
だったら外の暖簾も洗ったりもう少し綺麗にしたらいいのにと思いましたが、もしかしたらボロすぎて洗った途端に繊維がバラバラになってしまうのかもしれません。
岡野は空いている席に座ると、
「とりあえず生2つとホルモン焼き、牡蠣バター、あとちょっとしたらお好み焼き海鮮ミックス2つお願い。」
と慣れた調子で注文しました。
鉄板の向こうで、短い白髪のいかつい顔をした婆さんが「あいよ。」と返事をします。
しばらくすると生ビールのジョッキが2つ僕らのまえに並びました。
「この店はランチビール半額なんだぜ。」
と岡野がウインクしましたが、僕は焦ります。
「だめだよ!僕飲めないし、午後から授業あるでしょ。」
僕は言いましたが岡野は全然聞いていません。
「大丈夫大丈夫!今日は俺の奢りだ。じゃあ新しい友達と受験の成功に乾杯!」
そう言ってグビグビと美味そうにビールを飲み始めました。
つい何日か前に受験に失敗したばかりなのにもう「受験の成功に乾杯」なんてどうかしています。
僕は5浪男の恐ろしさを垣間見てしまった気分なのでした。
※ この時点での僕の年齢や、このビールを飲んだかどうかについては、あえて明言を避けたいと思いますが、ホルモン焼きや牡蠣バターをつまみながらのビールの味はとても美味だった、ということだけ伝えておきたいと思います。
その後にやってきた海鮮お好み焼きも、イカやエビや牡蠣が入っていて、普通のお好み焼きとは食感もうまみも全然別ものみたいに変わっていて衝撃を受けました。
たらふく食べて、ジョッキが何杯か空いて、大満足で店をあとにする頃には、午後一の授業はとっくに終わってしまっていて、僕らは次の授業から参加しましたが、フワフワといい気分でろくに頭に入ってこないのでした。
そんなこんなで始まった浪人生活は全然勉強に身が入る訳もなく、夏前にして僕は勉強にほとほと嫌気がさしていたのでした。
岡野たち何浪もしている連中は、浪人生のくせに昼からビールを飲んでいるような不良達でしたが、飄々と過ごしているのが少し羨ましくもありました。
逆に周りの予備校生達がロボットみたいにガリガリ勉強を続けていられるのが不思議なくらいで、まあそんなマインドをしている時点で僕には大学受験というのは向いていなかったのだと半ば諦めの境地にもなっていました。
そんなふうな浪人時代の僕は精神的な窮屈さからか、世界を旅する小説や映画にハマっていて、面白そうなものを見つけては片っ端から読み漁っていました。
自転車で世界一周した人の日記や、イラク戦争に行った戦場カメラマンの日記、若き日の革命家チェ・ゲバラがバイクで南米一周した時の話などです。
そんな話を岡野としていたら、彼も読んだことがあったみたいで、「俺も読んだよ。いいよな~あれ。」と頭の後ろで手を組んで本の内容を思い浮かべてていたみたいでしたが、何か良からぬことを思いついたみたいで、目をキラっと光らせると「そうだっ!」と言って立ち上がりました。
「俺達も旅に出ようぜ!こんな予備校に籠もってお勉強なんかしてちゃダメだ。旅に出て、世界を見て、見聞を広げるんだ!」
みんなが黙々と勉強している空き教室に岡野の声が響きました。
季節は夏になっていました。梅雨も終わって旅には絶好の時期です。
退屈な浪人生活に飽き飽きしていた僕もそのアイデアに賛成しました。
そして僕たちは夏休み期間を利用して、自転車で九州一周する旅の計画を立てたのでした。
本来、浪人生にとっては夏期講習や模試で予定がギッチギチなので夏休みという概念は存在しないのですが、僕も岡野も夏期講習に申し込みしていなかったので、20日間程ぽっかりと予定が空いていたのでした。
僕は短期間に詰め込む勉強が嫌で(というか勉強自体が嫌で)、岡野は「毎年受けない事にしている。」と言っていました。(そんな事だから5浪もするんだ!、と思いましたが僕も似たようなものなので黙っていました。)
かくして7月の終わり、登山用のリュックに荷物をパンパンに詰め込んで、僕はママチャリに跨り、岡野はどこがで5000円で買ったというボロい自転車に乗り込んで、九州一周の旅に出発したのでした。
僕達の地元広島からずーっと西を目指して、山口県の下関から関門海峡を渡り、九州に上陸したら時計回りで一周するという計画でした。総距離がどのくらいだったかは忘れてしまいましたが、適当に見積もってみた結果たぶん20日くらいでいけるだろうということになりました。
晴れ渡る夏空の下、僕らの旅は順調に進みました。お尻が擦れて痛くなったり、2日目以降はずっと筋肉痛だったりしましたが、大きなトラブルもなく、とにかく西へ西へと自転車をこぎました。
岡野のボロい自転車にはギア変速がついていなかったので、坂道ではヒイヒイ言いながら立ちこぎをしていました。
夜寝る時はどうしていたかというと、だいたいが田舎の駅の軒下や、公園や駐車場などで野宿していました。
幸いなことにずっと天気が良かったので、風が当たらなそうな所に厚めの柔かいシートを広げて、寝袋にくるまって寝ていました。
夏といえども夜は冷えるので、パンパンに着ぶくれするくらい着込んでから寝袋に入ります。そして蚊が寄ってこないように、枕元で蚊取り線香をたいていました。
旅に出た初日の夜のこと、どこかの駐車場の隅で寝袋にくるまって寝ていると、誰かに声をかけられて目を覚ましました。
「君たちなにしてるの。」
寝袋から上半身だけ出して体を起こすと、まだ真っ暗な中、警察官が二人いて懐中電灯を僕らに向けていました。
「えーっと、自転車旅行をしてます。」
僕が寝ぼけた頭で答えると、どこから来たとかどこに行くとかいろいろ質問されました。
ゴソゴソと岡野も起きて「なにどうしたの。」とか言っていました。
こんな所で野宿していたのを怒られるかと思いましたが、そんなことはなく「火はたかないようにね。」と注意されただけで終わりました。
幸い僕らは二人とも悪人面はしてないですし、むしろいかにも無害そうなのが伝わったのでしょう。
最後に「じゃあ気をつけてね。」と言ってお巡りさん達は去っていきました。
旅の途中、何度となく野宿をしていましたが、こうやって夜中にお巡りさんに職務質問されることが何度かありました。
僕らはたいてい、風を避けて物陰とかで野宿をしていたのですが、やっぱり警察というのはよく見ているものだなあと感心しました。
そうして旅を進めている途中、どこだったか忘れてしまいましたが、海沿いの道にボートレース場があって、ちょうどレースの開催日だったので立ち寄ってみることにしました。
売店でビールと焼きそばを買って席につくと、モサモサと食べながらボートレースを眺めました。
水しぶきを上げながら凄い勢いで旋回していくレースはなかなかスリリングで見ごたえがありました。
気がつくと先に食べ終わった岡野は、舟券を買ってきていました。
「いえい、当たったら今夜は豪遊だぜー!」
ご機嫌で言っていましたが全部外れました。
「ちぇっ。次はお前も行こうぜ。」
建物の中の舟券売り場には人がたくさんいて、そのほぼ全てがおっさんか爺さんでした。
売り場のあちこちにテーブルがあって、みんなそこに向かって一生懸命書き物をしているようでした。
「こっちこっち。」と岡野が空いているテーブルを見つけて引っ張っていかれると、テーブルには鉛筆とマークシートの紙がおいてあって、それに記入したものを機械に読み込ませて舟券を購入するシステムのようでした。
いつの間にかボートレースの新聞を手に入れてきた岡野は、授業中には決して見せないような真剣な眼差しで新聞とにらめっこしていました。
僕はよくわからなかったので、オッズが表示されている電光掲示板から倍率の高そうなのを適当に見つけて何点か買いました。
そのレースは二人共ハズレてしまいましたが、岡野はだんだんと熱を帯びてきているようでした。
マークシートを塗りつぶしながら、
「なあ、俺たち今、超実戦的な模試やってんな。センター対策はこれでバッチェオッケーだぜ。」
と言ってニヤリと笑いました。
センター試験もマークシートに解答するスタイルだったのでその事を言っていたのでしょう。
しかし、僕らがこうしている間にも他の受験生達はホントの模試を受けているだろうに、全然オッケーな訳はありませんでしたが、僕も「だな。」と答えておきました。
そしてなんとそのレースで僕の買った舟券が的中したのです。
高倍率のやつばかり買っていた僕の舟券はなんと3万円もの配当になっていました。払い戻し機から出てくる一万円札を手に取り「おおお。」と興奮する僕に、
「やったな!この波に乗らない手はないぜ。次のレースは大勝負だ!」
岡野は、勝った金を全て賭けるべきだと主張しました。強気の岡野に引っぱられて僕もなんだかいける気がしてきて、次のレースにその3万円を全て投じてしまったのでした。
しかし、ビギナーズラックとは恐ろしいもので、そのレースでもまた僕は的中してしまったのです。
僕はあまりギャンブルに熱をあげる人間ではありませんが、その時ばかりは
「行け!行けー!」
と叫んで、僕の選んだボートがゴールすると岡野と抱き合って喜んでいたのでした。
そうして少しづつ正気を失っていたのです。
配当金は35万円くらいまで跳ね上がっていました。
僕らはそれを、さらに次の最終レースにつぎこみます。
その時は流石に鉛筆を握る手が震えました。
こんなのは模試でも、センター試験の本番でもなかった経験です。
緊張と興奮と期待で一杯でしたが、負けることなんてチラリとも頭をよぎりませんでした。
「落ち着けよ、落ち着いてよく考えて選べ。考えるんじゃなくて、感じるんだ。いいか。」
岡野も興奮でよく分からないことを言っていました。
僕は最高に研ぎ澄まされた感覚で、3点を選んで買いました。一点10 万円で、全部で30万円の大勝負です。
きりが悪かったので、残りの5万円は財布に入れておきましたが、結果的にこれだけが僕らのもとに残ることになりました。
レースは惜しいところもなく、あっさりと負けて終わりました。
「行け!行けー!うあああぁぁぁぁー!」
絶叫して、30万円の紙切れをビリビリに破り捨てると、僕たちは急ぎ足でボートレース場を後にしました。
こうして、僕たちの超実戦的なセンター試験の模試は、大いなる教訓を得て終わったのでした。
大勝負に負け、ボートレース場からぷりぷりと飛び出してきた僕たちは、そのまま自転車に飛び乗ると、怒りをぶつけるようにがむしゃらにペダルをこぎました。
こいでこいでしばらく走ると、道が少し登って海がよく見える峠にさしかかりました。
自転車に変速ギアのない岡野が息を切らして登って来るのを坂道の上で待ちながら、僕は考えていました。なぜ負けたのか。
理由は簡単でした。僕はただヤマ勘で選んでいただけで、むしろそれまで当たっていた方が不思議だったのです。
いいかげんに買った舟券にあそこまで熱中していたのが途端に馬鹿馬鹿しくなって、僕はなんだか可笑しくて笑ってしまいました。
「いやー負けたなー。くくく。」
レースが終わった瞬間の岡野の顔といったら、大の男が頭を抱えてみっともなく泣き叫んでいて、写真を撮っておけばよかったと思いました。
「負けも負け。大負けだ。くそっ!」
岡野は追いついてくるとひょいと自転車から下りて、地団駄踏んでまた悪態をつきました。
「お前すごい顔してたぞ。こんな風に頭抱えてムンクの叫びみたいだった。」
僕が岡野の真似をして笑うと、「お前だってひどい顔だったよ。」と返され、二人して笑いました。
「あーアホらし。アホ過ぎて腹減った。焼肉でも食いに行こうぜ。祝勝会だ!」
実際、最終レースで残していた分の5万円は勝っていたわけですから、それで僕らはパーっとやることにしました。
近くの焼肉屋でたらふく肉を食べて飲んで、その日は強制終了しました。
焼き肉でスタミナ充電した僕たちの旅は順調に進み、山口県の防府の近くを通りかかった時のこと、ずっと走っていた国道を逸れてちょっと海の方に行ってみようという話になりました。
地図を見ると、峠を一つ越えた先が小さな入り江になっていて、海水浴場があるみたいでした。
国道を逸れて南に走ると次第に上りになり、30分ほどで切り開かれた峠の上に着くとその先に海が見えました。
僕らは下り坂をシャーっと気持ちよく下って行くと、みるみる海が近付いてきました。
そして、下り始めてものの10分もしないうちに海水浴場の駐車場に到着しました。駐車場は海側に木が鬱蒼と生い茂っていて、一箇所だけ人の通り道がトンネルみたいに開いていて、4、5メートルの緑のトンネルを抜けると明るい砂浜に出ることができました。
そこは小さくて静かな浜辺で、駐車場からの出入り口がトンネルみたいになっているのもあって、秘密の入り江という感じがしました。
海の家があったので、僕らはとりあえず腹ごしらえすることにしました。まず、ビールを頼んで喉の乾きを癒やし、あとは枝豆や唐揚げなんかを頼んで、ゆったりと海を眺めながら火照った体を休めました。
お店は70歳くらいのお婆さん一人で切盛りしていて、お客さんは二十歳くらいの女の子の二人組とサングラスをかけた外国人が一人いただけでした。
浜辺には人っ子一人いなくて、静かな波の音が聞こえてくるだけの贅沢なプライベートビーチみたいな所でした。
「すげー穴場見つけちゃったな。」
岡野が枝豆をつまみながら言い、僕もビールに口をつけながら頷きました。
その後は、カレーとかたこ焼きを食べて、お婆さん店主がカレーの皿を下げにきてくれた時、「お兄さん達、旅行で来たの?」と話しかけてきました。
僕らが旅の計画を話すと、「青春ね~。」と笑って、そしてひとつ頼みごとをされました。
一人で来ている外人さんが、午前中からいるらしいのですが、何も注文しないまま居座っているので、なにか頼むように言ってほしいということでした。
「なにか注文してくれれば、いてくれてもいいんだけどねー。言葉が全然通じないのよ。」
午前中からお婆さん店主を悩ませていたらしく、それならばと岡野がその外人に話しかけました。
僕は英語は全然ダメですが、岡野の方は流暢にスラスラと話していて、ここはお店なのでなにか注文するように言っているようでした。
すると、背が高くて金髪にメタルフレームの眼鏡をかけているその外人は、
「Why Japanese People!」
と声を荒げ、ることはなく、ただ単に休憩所かなにかと勘違いしていただけのようでした。
それじゃあ、ということでその外国人もビールを注文して、僕らは一緒に飲むことにしました。
彼はミシガン州出身のアメリカ人でジェイソンといい、大学を卒業した後バックパッカーで世界のあちこちを巡っているらしく、日本では長崎→福岡→山口と来ていて、この後は広島で平和記念公園に行ったら、四国に渡ってお遍路をしたいと話していました。
ジェイソンがなぜこんな日本でも端っこの方に興味を持ったのか、岡野はいろいろ聞いていましたが、英語音痴の僕にはちっとも分かりませんでした。しかし、なにかしらの情熱を持ってやった来たのだなということだけはわかりましたが。
僕たちはどんどんジョッキをあけていき、ジャパニーズおつまみもたくさん紹介していきました。
お婆さん店主も悩みのタネが解消してスッキリしたようで、どんどんビールを運んでくれながら、
「ありがとね。今日はサービスするわ。」
と言ってくれたのでした。
そして、僕らが盛り上がっているのを見て、隣にいた女の子達が声をかけてきました。
「英語話せるんですね。すごい。」
僕は「イェー」とか「オーケー」しか言っていませんでしたが、岡野はペラペラだったので5浪するのも意味はあるんだなーと僕は感心していました。
「地元の子?こっちで一緒に飲もうよ。」
イケメンの岡野が自然に誘うと、僕たちのテーブルにやって来ました。
二人は近くに住む姉妹で、姉の真夏ちゃんは看護師の学校に通っていて、妹の佳奈ちゃんは高校生ということでした。
真夏ちゃんは明るい髪をクルクル巻いているギャルで、佳奈ちゃんは肩くらいの黒髪の、二人とも目鼻立ちのくっきりした美人姉妹でした。
僕らはジェイソンの旅の話を聞かせてもらったり、僕らがボートレースで大負けした話をしたりしました。
真夏ちゃんは「馬鹿だねー。」と大笑いしていましたが、佳奈ちゃんの方は「狂ってる…。」と目を細めてドン引きしてしまっていました。
しかし、ジェイソンの方は興味を持ったみたいで、どうやら海外にはボートレースというものがないみたいで、ぜひ行ってみたいということでした。僕らもどの辺りにあったのかよく覚えていなかったので、「海沿いに2日くらい行ったらあるよ。」と古代の人みたいなことしか教えられませんでしたが。
そうして、静かな浜辺の一画だけガヤガヤと賑やかに過ごしていくうちに、段々と日が傾いていきました。
「今日はここに泊まるの?」
と真夏ちゃんに聞かれ、僕らもこんなに長居する予定はなくて、今日中にもう少し進むつもりだったのですが、ジェイソンとビールを結構飲んでしまったから、今日はもうここで野宿するか、と話していると、
「うち民宿もやってるからよかったら泊まってけば。」
とお婆さん店主に言われたので、僕らもたまには宿で寝るのもいいか、と一泊することにしました。「じゃワタシも。」と言ってジェイソンも泊まることになりました。
「じゃあさ、暗くなったら花火しようよ。友達も誘って来るから。」
そう言って、真夏ちゃんと佳奈ちゃんは着替えてまた来るね~と車で帰っていきました。
お婆さん店主も、民宿の用意があるからと海の家を閉め始めたので、僕らはビールを何本かバケツに入れてもらって浜辺に移動しました。
夕陽が空をオレンジ色に染めていて、両脇を岬の昏い影が縁どっていました。
しばらくの間、そんなマジックアワーに黄昏れながらビールを飲んでいた僕たちでしたが、やがて周囲が薄暗くなっていきました。
「夜の浜辺と言ったら焚き火でしょ。」
岡野の提案で、僕らは流木や乾いた小枝みたいなものを集めることになりました。「暗くなるぞー急げー。」とせかせかと集めると、適当に円錐形に組んで火をつけました。
砂浜に落ちていた藁みたいな草がよく乾いていたおかげで簡単に火がつきました。
僕らはだんだんと暗くなっていく砂浜に座って、ぼんやりと燃える火を眺めながら、たまに小枝を投げ込んだり、ビールに口をつけたり、特に喋るでもなく、ゆっくりと時間がすぎるのに任せていました。
やがて、「おーい。」と言う声がして、真夏ちゃん達が懐中電灯とランタンの明かりと共に現れました。
「通訳を連れてきた。こっちは英ペだから。」
と言って、ギャルの友達の優子ちゃんを紹介してくれました。「英ペ」というのは英語ペラペラの略だそうです。
そして、真夏ちゃんが大量に花火を持ってきてくれたので、惜しみなく点火していき、ギャーギャーと大騒ぎしながら僕らだけの花火大会を楽しみながら海辺の夜はふけていったのでした。
翌朝、ジェイソンとお別れして出発した僕たちにお婆さん店主は大きな山賊むすび弁当と2リットルの麦茶のペットボトルを持たせてくれました。
結局、宿泊代や前日の飲み食い代もとても安くしてくれて「気をつけて行っといで。」と僕らを見送ってくれたのでした。僕らは何度もお礼を言って、姿が見える所まで振り返っては手をふって、そして出発していきました。
そうして自転車旅に出発してから数日がたち、僕たちはついに山口県の下関までやって来ていました。
ここまでやって来るのにかかった日数を考えると、どうやら夏期講習が終わるまでの夏休み期間では旅を終えられそうにありませんでしたが、僕らは気にしないことにしました。今は自転車旅にオールインです。
僕たちは意気揚々といざ関門海峡へと向かったのですが、意外なことにあの有名な関門海峡大橋は歩道がなく車しか通れないということでした。
人や自転車はちょっと戻った所に海峡の下を通る地下通路があるのでそっちに行ってみてといわれ引き返しました。
地下通路に行ってみると、幅2、3メートルくらいの狭いトンネルが続いていて、初代ポケモンでタマムシシティの地下にあるトンネルみたいな感じでした。
「自転車からは下りて行ってくださいね」と係の人に言われたので自転車をおして進んでいましたが、トンネルは延々と続くし、前後を見ても僕らの他には誰もいなかったので、「乗ってっちゃうか。」と自転車に跨ってペダルを漕ぎ始めると、ものの数メートルも進まないうちに「ウ〜。」とサイレンが鳴り、
「そこの2人、自転車から降りなさい!」
とスピーカーからお叱りの声が響きました。見られている!?
僕らは慌てて自転車から飛び降りると、「すんません。」とペコリと頭をさげて謝りました。
こんな地下通路が見張られているとは、恐るべしです。
その後は大人しく、自転車をおして進んでいると、福岡山口県境に線が引いてあったのでその上で反復横跳びしてみたり、岡野はブリッジしてみたりして、僕らはついに九州の地に足を踏み入れたのでした。
九州一周という旅の目的を考えると、やっとスタート地点に立っただけだったのでしたが、それでも僕たちにとってはとても感慨深い瞬間だったのです。
この後は、九州を時計回りに南下し鹿児島までは辿り着くことができましたが、そこで僕ら二人とも自転車が壊れてしまい、自転車旅は終わりを迎えることになります。
夏期講習の途中で帰るのが嫌だった僕らは、そこで進路を一転、フェリーに乗り込んで奄美大島まで行き、夏休みパート2を楽しんだのでした。
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